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わんだふる  作者: garashi
7/11

7話

「顔色が悪いわ。風邪でもひいてない?」


 食事の最中に敏子が怪訝な顔で聞いてくる。


「ああ…… 少し疲れてるみたいだ。けど風邪をひいたりではないよ」


 正直食欲はあまりない。蕎麦ならなんとか食べられるかと思ったが、それでもなかなか箸が進まない。


「昨日の仕事で何かあったの?」


 敏子がまっすぐに僕の目を見て聞いてくる。

 この流れだといつもの話題につなげられてしまうと思い、適当に誤魔化そうと口を開く。


「いや、特に何もなかった。むしろ運びだすゴミが少ない分、楽な現場だったよ」


 確かに体力的には楽な方の現場だった。しかし、精神的には昨日ほど消耗した現場はなかった。


「それよりこの後はどうしようか。映画にでも行く? 確か見たいやつがあるって言ってなかったっけ」


 無理やり話題を変える。いつものように敏子から転職の話をされるのも嫌だし、変な心配をかけたくない。

 敏子は僕の目を見つめたまま答えない。ただ、その目には若干いら立ちのような色がちらついているような気がする。


 しばしの沈黙。そして敏子が口を開く。


「……あなたが自分で気付いてないだけで、きっとすごく疲れているんだと思うの」


 僕の身を案じる、予想外の内容であった。ただ、その目には先ほどと同じように負の感情が見え隠れしている。


「ねぇ、次郎さん。あなたの仕事に限らず、仕事には良し悪しがあって人によってその捉え方も色々あると思うの。あなたは今の仕事のどんなところにストレスを感じたり、嫌だと思ったりしてる? よかったら教えて欲しいの」


 またも予想外の発言だ。戸惑いながらも、僕の心が少し温かくなっていく。ああ、敏子は僕のことを本気で案じてくれているのだ。なんていい女なんだ、僕にはもったいないと思ってしまう。


 特にストレスに感じるところなんてないよ、と答えようとしたところで止まる。ここまで彼女が案じてくれているのだ。僕もある程度きちんと対応しないといけないのでは、と思う。


「ええと…… 以前、一度だけ亡くなった人の遺体の一部が残っていたことがあってね。僕たちが処理したんだけど、それが結構こたえたかな」


 これまでに入った現場の中で一番ショックを受けたものを思い出す。あれは、確か住人がトイレの便器に座ったまま、発作か何かで急死した物件だった。死体は警察が運び出していたが、便座に皮膚や肉が一部張り付いたままになっていた。あの現場はなかなかこたえた。実際、当分肉を口にすることができなくなったほどだ。もっとも、翌週には普通に食べられるようになったのだが。


「死体が気持ち悪かったってこと?」


「そうだね」


 流石に具体的な内容を説明するわけにはいかないので、今回は軽い説明で済ましておく。


「それ以来現場に入る度に多少は緊張するようになった気がするよ。それが心理的な負荷になっているかもしれない」


「そう…… きっととてもつらい現場だったのね。いえ、その現場に限らず、あなたの仕事は体力的にも精神的にも疲弊するものだと思うの。でも、絶対に世の中に必要不可欠な仕事なのよね」


 敏子が優しい声色で語りかけてくる。その目には先ほどの負の色は見受けられない。


「私、これまであなたに配慮ができていなかったと思う。あなたのつらさをきちんと理解しようとせずに辞めてってまくし立てるばかりで…… ごめんなさい」


 敏子が頭を下げる。

 これは思わぬ展開になってきた。これまでの彼女は持ち前の気の強さでなかなか己の意見を曲げないところがあった。だが、このように他者の立ち位置になって思考する配慮も持ち合わせているのだ。これが、僕が敏子に惹かれている点の一つだと再確認させられる。

 ともかくこれで、仕事についてあれこれ言われることも少なくなるだろう。僕は内心ほっとしながら敏子に話しかける。


「気にしないで。僕だって君の気持ちを考えずにいたところもあったと思う。結婚のこともあるし、ずっと今の仕事を続けるわけでもないだろうから。ただ、少し待ってて欲しいんだ」


 敏子は微笑みながら、わかったわと答える。


 心が軽くなっていく。敏子に対して感じていた、どこか苦手意識の様なものが消えていく。最近は彼女と会うのも、わずかではあるがストレスになっていたのだろう。けれど、今後はかつてのような関係に戻れるかもしれない。


 人間は現金なもので、ほっとした途端お腹がすいてくるのを感じる。目の前の少し乾いたざる蕎麦に箸をのばす。小気味良く音を立てて蕎麦をすすっていると、


「死体が、嫌なのね……」


 敏子が何かつぶやいたような気がした。顔を上げると、こちらに微笑んでから彼女も残っている蕎麦をすすりだす。気のせいかと思い僕も食事を再開する。心なしか、微笑んだ彼女の目だけは笑っていないように思えた。

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