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わんだふる  作者: garashi
5/11

5話

 目を覚ますとそこは現場の廊下だった。ぼやっとした頭で腕時計を見ると午前11時ちょうどである。確か、車を降りたのが8時くらいだったはずだ。何故こんなところでぼさっとしていたのか。いや、現状を分析すると寝ていた? 現場で? そんな馬鹿な。


「……あっ」


 犬。犬だ。犬がいたのだ。慌てて辺りを見回す。恐怖感が一気に戻ってきた。確かにいた、いたはずだ。しかし、薄暗い中周囲を見渡すが狭い廊下には何もいない。では寝室にいるのか。引き戸は僕が少し開けたままの状態だ。中からは何も聞こえない。おそるおそるそこから頭を入れて中の様子を伺ってみる。何もいない。


「ははっ」


 しばし立ちすくんだ後、思わず笑ってしまう。疲れていたのだ。そうだ、最近夜更かしが続いていたし、一昨日は敏子に仕事の話をされて疲れが溜まっていたんだ。それに犬が本当にいたとしてもただの野良か逃げた飼い犬が迷い込んだかで、もう外に出て行ってしまっているだろう。ともかく、もうここには僕しかいない。さっさと仕事をせねば。予定よりかなり遅れてしまっている。

 僕は改めて仕事モードに入ると寝室の引き戸を全開にする。中も廊下と同様あまりゴミといったものは少ないようだ。家具自体は畳部屋だが窓際に机と椅子が置かれ、他にはタンスが一つあるくらいか。狭い部屋にはこのくらいの家具の数が丁度良いのだろう。


 部屋の真ん中には布団が敷かれている。その布団はもともとは白い敷布団だったのだろうが、今は全体的に黄色く汚れている。それだけではなく、薄く黒い人型の染みができている。この部屋の住人は目の前の布団に横になったまま死んだのだ。そして誰にも気づかれることなく放置され、この暑さの中で徐々に腐っていったのだろう。布団に染みるほど体液が漏れ出すまで腐った死体は、どれだけ悪臭を放っていたのだろうか。今この場でマスクを外せば布団の染みから発生している腐臭を嗅ぐことができるが、そんな気は一切起こらない。仏さんに失礼に当たるし、これまでに現場で嗅いできた臭いと変わらないだろう。


 生きているときの人間の臭いは様々だ。香水の匂いが強い人、汗臭い人、腋臭の臭いのする人。しかし不思議なことに、死ぬと皆同じような腐臭を漂わせる。結局のところ人間には大した違いはないのだと思ってしまう。皆、いつかは死ぬ。違いがあるとすれば、この部屋で死んだ人間のように一人寂しく死ぬか、誰かに看取られて死ぬかの違いくらいだろう。この仕事を始めてから僕が悟ったことの一つだ。


 仕事にとりかかって何時間か経過し、部屋の中の物をほとんど外に出し終えた。布団を含めカーテンや衣類は臭いが移っているので、二重にした専用の袋に入れて処分する。最後に畳を外し部屋を文字通り空っぽにして殺虫剤と消臭剤を噴霧する。幸い下の基礎部分には体液が染みていないようなので、臭い自体は比較的すぐおさまるだろう。トイレや風呂場は特にゴミもなく、生活用品を外に運び出し同じく消臭剤を撒くだけで済んだ。後は外に置いてある家具類を台車で車に運んで荷台に詰め込むだけだ。これでいったん家主に引き渡しとなり、今後一週間ほどで臭いや虫の発生が無ければ完了となる。

 時計を見ると午後6時になろうとしていた。本来ならば4時には終える予定だったのだが。会社には何と説明しようかと考える。流石に犬を見て驚きのあまり気絶していましたとは言いづらかった。そんなことを考えていると携帯電話が鳴った。慌てて番号をみると会社からであった。通話ボタンを押すと、しゃがれた方言が大きな音量で耳に飛び込んでくる。


「おお葛城、遅いがじゃ。何しゆうがよ」


「小路さん、お疲れ様です。すみません少し手間取ってしまって」


 小路さんは会社の上司だ。上長として何人かの部下を取り仕切って自身も現場に出たりしている。


「もう終わったがか?」


「あ、はい。後は荷台に物を乗っけて大家に説明して今日の作業は終了です」


「そうか。はよお戻って来いや。あと予定より遅れそうになるがやったら連絡入れや」


 すみませんと謝り帰社予定時刻を告げて電話を切る。四国出身の小路さんは、方言のせいか口調は丁寧には聞こえないが面倒見は良い。僕に仕事を教えてくれたのも小路さんだ。


 作業道具を鞄にしまい部屋を出る。玄関から外に出て扉を閉めようとして、鍵を取り出していないことに気付く。ポケットをまさぐっていると、ぎぃという小さな音と共に玄関の薄汚い扉がゆっくりと開いていく。そして、ある程度開いた状態で止まった。

 全身に鳥肌が立つのを感じる。この扉は建付けが悪く、きちんと閉めていないと勝手に開いてしまうのだ。つまり、僕が玄関先の廊下で寝室の様子を探っていたときに扉が閉まったのは勝手に閉じたのではない。やはり、誰かが閉めたのだ。


 雨はまだ降っている。18時を過ぎ、空は若干薄暗くなってきた。周囲を背の高い建物に囲まれているため、余計にこのアパートは暗い。気味の悪さを感じながら、僕はしばらく玄関の前から動くことができなかった。

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