3話
「それで、その仕事はいつになるの?」
敏子は真っ赤なサングリアの注がれたグラスを傾けながら聞いてきた。
「大家さんに正式な承諾を貰ったから、特に何も無ければ明後日が仕事になるね」
「一日で終わるのよね?」
「ああ、依頼の時に室内の写真も見せてもらったけどそこまでゴミが溜まっているわけではないようだし、何より狭い部屋だからね。僕一人だけど一日で終えて引き渡せるんじゃないかな」
大家の妻上沢との打ち合わせの後、さっさと作った見積もり書を上長に確認してもらい、内容を上沢に電話したところ、二つ返事で承諾をもらったので定時で上がることができた。そういえば電話にでたのは妻の方だった。その後、敏子と待ち合わせてイタリア料理風居酒屋に入った。
敏子は僕の彼女だ。付き合って2年ほどで、結婚を視野に入れている。お互い働いており、こうやって仕事終わりに食事をしたり休日が合えばデートに出かけたりしている。そこそこ気が強いけれども他人の気持ちに共感できる、しっかりした女性だと思っている。
「ふーん、じゃあ土曜日は普通に休めるのね。前に話したお蕎麦のお店、行ってみない?」
「おっいいね。行こうか」
敏子は僕の仕事を知っている。僕が清掃の仕事をした後は必ずデートに誘ってくれる。彼女なりに心配してくれているのだ。
「じゃあ土曜日の12時に駅に集合ね。少し並ぶかもしれないけど、人気のあるお店みたいだしきっと美味しいから」
土曜日の予定を決めた後は世間話をしながら食事を楽しんだ。主に敏子の仕事の事や友達が結婚した事が主な内容だった。一通り話したいことを話したのだろうか、敏子は一息ついたようにしゃべるのを止めた。
敏子が話題を出さないのなら僕は相槌を打つこともない。数分ほど静かな時間が流れた。すると、敏子が僕に改めて話かけてきた。
「ねえ、この間の話考えてくれた?」
またか。僕は心の隅にもやがかかるのを感じながら、なるべくそれを表に出さないように気をつけながら答えた。
「うーん、前も言ったけど今はまだあまり必要を感じないんだよね」
「だけどもう30も近いじゃない。今ならまだ将来性のある仕事につけるかもしれないわ」
彼女は僕に仕事を辞めて欲しいのだ。建前は、結婚後を考えてもっと待遇の良い仕事について欲しいといったものだ。だが本音は別のところにあると僕は理解している。彼女の立場に立てば、パートナーが特殊清掃を仕事にしているというのは複雑な心境なのだろうと想像もつく。だけど僕は、将来はわからないけど今の仕事をすぐ辞めようとは思わないのだ。理由は特にない。
「仮に辞めるとして、次に何をするのかまだ決めていないんだ。最近立て続けに現場に入ることが多くてなかなか考える時間が取れなくてね」
嘘だ。確かに何件か清掃で周ったがそこまで忙しいわけではなかった。ただ、そんなことを本腰入れて考えることが億劫なのだ。そして、そんな僕の感情を彼女にそのまま伝えたくもない。愛想を尽かされて別れ話でも繰り出されるなんてのも嫌なのだ。
「今回の案件が片付いてある程度落ち着いたら考えるよ」
「そう、わかったわ。なんかせかすような感じになっちゃってごねんね。また落ち着いたら話しましょう」
顔を合わせる度に、必ず彼女はこの話題を出す。そして僕が適当にお茶を濁し、彼女も深くは追及しない。いつもこの様なやり取りをしている。
この日はこれでお開きになった。明日は朝から手続き等で忙しいと言って帰ることにしたのだ。心のもやのせいか、今日はもう彼女を抱く気分でもない。駅まで彼女を見送る。そして、気分転換がてら住んでいるアパートまで歩いて帰る。
上沢はどんな夫婦なのだろうか。ふとそんなことが頭をよぎった。