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わんだふる  作者: garashi
2/11

2話

 翌日、大家の上沢と事前打ち合わせのために、僕は事務所近くの古びた喫茶店に来ていた。連日の雨でジメジメした空気が肌に張り付く中、資料の入ったカバンを抱えて二人掛けテーブルの片方の席に腰を下ろす。店内は薄暗く僕以外に客はほとんどいない。打ち合わせの内容が内容なだけに、こういった人気のない店は便利だ。


 待ち合わせの時間まであと5分ほどだが先方はまだ来ていない。ぼうっと窓から外を眺めると、雨合羽を着て犬を散歩している人がいた。散歩が楽しいのだろう、雨が降っているのだが犬は尻尾を左右に振りながら軽い足取りで飼い主について行っている。


 そういえば昔、実家で犬を飼っていたなと思いだす。あの犬の名前は何だったか。


 ふと背後に気配を感じる。振り返ると、初老の女がこちらをじっと見つめている。いつからそこにいたのか分からないが、無表情で僕の真後ろに立ったまま微動だにしていない。


 なんだこの女はと、思わず身構えてしまう。あまりに気味が悪いじゃないか。するとその女は僕を見つめながらぼそっと口を開いた。


「葛城さんでしょうか」


 僕のことを知っているのか。だが僕はこの女なんか知らない。


「あの、失礼ですが、どちら様でしょうか」


「昨晩清掃の依頼をした上沢です」


 えっ、と思う。昨日電話してきたのは大家の男だ。だが確かに上沢と名乗っていた。ということは身内の人間か。


「あ、失礼しました。どうぞお腰かけください。あの、昨晩お電話いただいたのは男性の方でしたが」


「私の夫です。本日は都合がつかず、代理で私が参りました」


 やはりそうだ。だが本人が来れないなら事前にそう知らせて欲しかったが。


 目の前の席に女が座る。髪が黒く顔はしっかりと化粧されているので、ぱっと見5,60歳くらいだが、よく見ると皺がしっかりと刻まれており見た感じ以上に歳がいっているとわかる。


 上沢は席についてからも無表情で僕を見つめてくる。正直かなり不気味だ。さっさと終わらせてしまおうと思い、僕は大家の妻を名乗る目の前の女を相手に話を進めることにした。


「昨日上沢様よりご連絡いただきました範囲ですと、木造二階建ての二階の角部屋が現場とのことで。物件の名称とご住所は間違いないでしょうか」


 挨拶もそこそこに、取り出した紙を机に広げながら僕は現場の物件情報の確認から入る。紙には”さくらコーポ”と書かれ間取り図が載っている。現場のあるアパートの名前だ。


「はい、この通りでございます」


 上沢は資料を眺め、そう答えてから鞄を開けて紙を取り出す。どうやら現場の写真といった現場の資料らしい。


「こちらが現場の204号室の資料になります。警察からもお見せしても良いと許可をいただいております」


 上沢はゆっくり丁寧にしゃべりながら資料を渡してきた。その資料には部屋の中や外から見たアパートの写真が載っている。見た感じあまり荷物は多くなさそうである。このくらいなら当初の目論見通り、作業員は一人で済みそうだ。


 ふと昨日のやり取りを思い出し、上沢に聞いてみる。


「あの、昨日お電話いただいた際に、旦那様から作業人数はなるべく多くして欲しい旨ご相談いただいたのですが……」


「主人がですか?」


 上沢は相変わらず無表情だが、わずかに声色がより低く暗く変わったように感じた。


「はい。ですが、清掃員は一人で大丈夫かと思います。約15平米で寝室は5畳ほどで処分する荷物もそんなにございませんので」


「お一人でお願いいたします」


 ぴしゃりと上沢は言った。


 無表情のままはっきりと言い放たれて僕は少しびくっとしてしまう。


 昨日、大家の男は大げさだが懇願しているような声色で打診してきた。しかし目の前の女は真逆のことを言っている。本当にいいのだろうかと思いながらも、さっさと事務所に戻りたい気持ちに引っ張られ、僕は打ち合わせを続けることにした。


「かしこまりました。では清掃作業は一人を派遣して行うこととさせていただきます」


「葛城さんがいらっしゃって下さるのでしょうか」


 上沢が思いもしないことを聞いてくる。


「まだ決まっておりませんが…どうされました?」


「葛城さんにお願いしたいのですが」


 うちの会社は基本的に、事前のやり取りから清掃作業まで同じ人間が一貫して行うのが基本方針だ。社長は現場第一主義だと大層な言葉を使っているが、単に小さい会社なので社員の頭数が少ないからである。ともかく、今回も最初から僕が行くことになっている。しかし、上沢が僕に固執しているように感じてしまい、多少の気味の悪さを感じて僕はお茶を濁した。


「あ、いえ、まだ誰を派遣するかは決まっておりません。この打ち合わせの内容からこの後に社内で決定するという流れになります」


 そう言うと上沢はまた無表情で僕を見つめながらそうですか、と答えた。


 その後は、依頼者にいつも渡している弊社の注意事項等を記載した用紙を上沢に手渡し、軽く説明して事前承諾書に記入してもらった。そして見積書を作成次第こちらから電話連絡して承諾を貰えれば清掃準備に入る旨を伝え、打ち合わせを終わらせた。


 上沢が店を出たのを見送った後、ぬるくなったコップの水を飲み干して深く椅子にもたれながら窓の外を見た。当たり前だが、さっき犬を散歩していた人はいなくなっている。そういえば何かを思い出そうとしていたが、何だったか。予想外に精神的に疲れる打ち合わせだったからか思い出せない。


 上沢が出てから数分ほど経って店を出た。さっさと見積もりを作って上長にOKを貰って、先方に送ってしまおう。


 何だか疲れてしまったが、今日はまだ一仕事ある。


 敏子と夕食に行く約束があるのだ。

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