敗北
「てめぇ何者だ? 人語を操るとなりゃぁ上位クラスの魔物。事によっちゃぁ魔神ってこともありうるが、まさかな」
何やら愉快そうに口元を歪める。元勇者、マクゥートは手慣れた様子で長剣を振り回すと、切っ先を小五郎へと差し向けた。
宝飾された柄、白銀の剣の側面には記号めいた文字がびっしりと刻印されていて、赤く禍々しい光が文字を浮かび上がらせている。
『……グゥ?』
「おかしいわね。判定魔法でも種族、特性を判断できない。気をつけたほうがいいわ」
狂気に満ちていた魔女デクネが、一転して冷静な口調で進言する。まるで参謀だ、と小五郎は思った。
「心配ねぇ。どのみち次の一撃で倒す」
周囲は薄暗い日暮れ前。農家の庭先は広く開けており遮蔽物もない。ナタを構えたナマハゲ――小五郎は低く身構えて息を整えた。
――こいつら、ただの押し込み強盗じゃねぇ。
先日の盗賊集団とは明らかに違う。
と、鬼面の奥でナハマゲと一体化した小五郎の意識は相手を観察する冷静さを保っていた。
今度の相手は3人。一人は不意打ちで倒したが、残る二人が問題だ。見た目はファンタジー物語に出てくる「勇者」と「魔法使い」そのものだ。
小五郎はナマハゲの険しい怒りの表情の裏側で、相手を観察しつつ戸惑いを覚える。
だが家に押し入り金品を物色し、無慈悲に住民を虐殺した。今も幼い子を手に掛けようとしていたところを、小五郎はしっかりと視た。
だからこそ扉が開き、この異世界へと殴り込むことが出来たのだ。
蔵の奥に封印されていた不思議な「鬼の面」は、何処か見知らぬ異世界へと意識、記憶、あるいは魂だけを跳躍させるものらしい。
その証拠に、数日前に盗賊団を倒した後、小五郎は蔵の中に倒れていた。
鬼の面を被った直後に気を失っていたらしいが、不思議なことに経過した時間はわずか3分ほどだった。異世界で盗賊団から少女を救い、会話を交わすまでの時間とは明らかに齟齬がある。体感時間では20分ほど掛かっていた気がするのだが。
どうやら鬼の面は、異世界で「救い」を求める声に感応し、面を被ったものの魂を跳躍させ、そこでナマハゲの姿で顕現させるようだ。
つまり――。
『ちっけぇ子が泣いてだべ。だからオラ、おめぇさんがた、許さねぇど』
幼い子が泣いて助けを呼んでいた。だから俺はお前らを許さん!
小五郎の秋田なまりの言葉は、意思は、相手に伝わったようだ。
「……許さねぇだと? 言うに事欠いて、化物風情がぁッ!」
元勇者のマクゥートが激昂し、剣を水平に構えて地面を蹴った。
ドウッ! とまるで地面が爆発したように勇者の足元で破裂する。飛び散る土煙を置き去りにして、10メートルの間合いを一瞬で縮めると、猛烈な一撃を叩き込んできた。
『グッガァ!?』
「へっ!」
先日の盗賊の動く速度はスローモーションのようだったが、目の前の勇者崩れの押し込み強盗は、「普通の速度」で動いている。
小五郎はナマハゲと一体化することで、数倍の身体能力を獲得しているのだと理解していたが、相手はそれと同等。いや、あるいは上なのかもしれない。
ナタの分厚い鉄が真っ赤な火花を散らす。持っている手が、初めて衝撃に痺れる。
ガァン! ガン! と左右から叩き込まれる剣に、小五郎は徐々に押されていく。
「オラオラ! どうした化物ォオオ! テメーは、勇者様に……俺に! 退治されるだけの、ブサイクな化物んだろうがよおおお!」
『グッ、アッ!?』
血走らせた眼で、勇者崩れの大男が放った一撃で、小五郎は吹き飛ばされた。そのまま農家の壁に激突すると、ボゴッ! と壁一面に蜘蛛の巣のような亀裂が生じた。
「あぁ……!」
「きゃあっ」
声がした。
横の窓から老婆と子供たちが、戦いの成り行きを見守っていた。
「……お願い!」
「がんばって……」
「負けないで、鬼さん……!」
『……ガ?』
幼い姉妹たちは、祈るような面持ちで叫んだ。鬼……あるいはオーガ、といったのかもしれない。
衝撃で視界が狭まり、耳もよく聞こえない。それでも小五郎は必死に立ち上がった。
――んだども、負けらんねぇ……!。
よろよろと立ちあがった、次の瞬間。
視界に赤黒い稲光のようなものが閃いた。ズシュッ! という音と同時に全身に衝撃が走った。再び壁に背中を打ちつける、
『グッガアアッ!?』
身体が動かなかった。首だけを動かすと、肩、腹、大腿部。そこに槍のような何かが突き刺さっていた。赤黒い霧が凝縮したようなそれは、黒い瘴気のようなものを撒き散らしていた。
赤熱した火箸を突き刺されたような感覚が全身を痺れさせる。
『マ……魔法……』
「焼槍螺旋弾。闇の力で強化した魔法の槍さ」
魔女デクネが手を天に向けると、闇が凝縮し槍の形を取った。
「所詮、力押しの化物か」
「闇の眷属にしちゃ他愛ないわ」
「そう驚くなよ田舎モンの怪物が。死ね、オレらの仕事を邪魔した……バツだ」
「鬼さん!」
「いやぁあああっ!」
『……もさげねぇ』
幼子たちの方を向き、声を発する。力及ばず、申し訳ない気持ち。
そいて、再びの衝撃。
それは脳天を貫いた。
小五郎の意識は暗い階段を転がり落ち、光が遠く小さくなる。
やがて視界が狭窄し――ブツンと音がした。
◇
死んだ、と理解できた。
負けたのだ。
あの勇者と魔法使いに。
剣で圧倒され、魔法でとどめを刺された。まさに力の差を見せつけられた格好だ。単なる盗賊とは訳が違う。
パワーも技も、そして速度さえ桁違いだった。
――敵わなかったじゃ。
小五郎は、ハッキリと敗北を認識した。
視界は閉ざされて、体の感覚は失われている。ただ、闇の中をおちてゆく。
――オラは……どうなるんだ?
異世界とはいえ、死んだのは間違いない。元の身体に戻れるだろうか。このまま消えてしまうのか。
だとすれば、蔵の奥で面を被ったまま倒れている小五郎の体は……。
誰にも見つからず朽ちてしまうのかもしれない。
様々な想いが、不安が脳裏をよぎる。
だが、その時。
手桶の中から青白い鬼火が飛び出した。
――なんだべ? 魂……。そうか、盗賊どもの……魂か。
小五郎はぼんやりとそれを眺めていた。
そうするしか無かった。
それは、尾を引いて渦を巻くと、やがて小五郎の胸へと飛び込んだ。
――な!? なにぃ!?
ドクン……!
心臓が脈打つ。
太鼓が空気を震わせるよな衝撃が、全身を駆け巡った。
<つづく>