勇者の悪行と、幼子の涙
◆
壺が床で粉々に砕け散った。
ガシャン! と鋭い音を立て部屋の中に置いてあった「壺」が無残に砕かれてゆく。
「ふんぬ!」
破壊しているのは一人の男。それも赤い髪の毛を逆立てた大男だ。
銀色の甲冑を鳴らしながら、死んだ魚のような瞳で壺を持ち上げては床に叩きつける。砕けた破片をさらに蹴飛ばして、中にめぼしい「お宝」がないかと探っている。
「お、お止めください……お願いです!」
「あぁ? うるせぇな」
家人が居るにも関わらず玄関の扉を蹴破って侵入し、暴虐舞人に振る舞っている。
この男の正体は、かつて邪悪な『闇の眷属』に立ち向かう、『勇者』と呼ばれていた戦士の成れの果てだ。
全身を覆う鎧は並大抵の剣や魔法では傷つかない程の防御力を誇り、背負った大剣は一太刀で魔獣の首すら切断するという。
太陽の女神ペケレテゥープの加護を受けた『勇者』という属性を持つ者は、「法と正義の番人」として人々を厄災から守るべ正しき人間だった。
だが――。
勇者とて人の子。度重なる戦乱によって引き起こされた貧困と飢え。つづくこの混沌の時代、闇霧の神――グ=ネテゥープに魅入られる者が後を絶たなかった。
時に盗賊に成り果てれば、王国軍によって討伐対象に成り下がる。
「シケてやがんなぁ。この村もハズレかよッ!」
苛立たしげに舌打ちをすると、手当たり次第にタンスを引き開けて中を散らす。床に散らかるのは価値のないガラクタ同然の品々と古着ばかりだ。
色あせた漆喰の壁で囲まれた粗末な部屋には、家の住人――家族たちが数名、寄り集まって恐怖に震えていた。
全員が青ざめた表情で怯えている。髭を蓄えた白髪の老人が、老婆と幼い子供達3人を守るように庇っている。
「おいコラァ! そこのジジィ」
男はゆっくりと立ち上がると、老人と部屋の隅で怯える家人たちを睨みつけた。
「お、お許し下さい……ゆ、勇者様。ここは貧しい村で何も差し上げられるようなものは……」
「ここは村長ん家なんだろ? だったら金目の物ぐらいあんだろうが!? あぁ!?」
荒々しく近くのテーブルを蹴飛ばすと、食器が床で砕け、家族たちから「きゃぁ!」と悲鳴が上がった。
「ご、御存知の通り、度重なる戦で男たちは戦に赴き、残されたのはワシら老人と子供だけ……。なんとか食うのが精一杯の暮らしをしておりますのじゃ、……どうか、どうか御慈悲を!」
老人は子どもたちを守りながら懇願し、深々と頭を垂れた。
「……おぃジジィ! まるで俺が悪人みたいじゃねぇか? あぁん? 気に食わねぇな。俺様がこの村を守ってやる代わりに、対価をよこせっつてんだよ! なんたって俺は勇者マクゥート様なんだからよ。なぁ?」
「は、はいそれは……もう」
答えに窮していると、砕けた部屋の向こうから別の足音が近づいてきた。
「マクゥート、向こうの部屋も調べたが、何も無いな」
「ハズレだねぇ……ここまでシケた村だとは思わなかったよ」
青い僧侶服を着た痩身の男と、とんがり帽子を被った金髪の魔法使いだった。
「ジョス、デクネ、ここもジジィとガキばかりだ。ったくよ」
「人々に恩恵を与える女神、その加護に見捨てられた村とは、傑作です」
ジョスと呼ばれた僧侶は丁寧な口調ながら、女神へ悪態をつく。目付きが鋭く、感情を押し殺したような不気味な薄ら笑いを口元に浮かべている。
「ふん、でも……悪くない。使いようだよ」
デクネと呼ばれた金髪の魔女は妖艶な笑みを浮かべ、嗜虐的な瞳で部屋の中にいる老人と子どもたちを意味ありげに眺めている。
二人は手にそれぞれ形の違う杖を持っていた。僧侶の杖は女神の光の加護を失い、ネジ曲がり黒く変色していた。魔女が持つ杖の先に付いている水晶玉も、本来は太陽の威光を象った杖だったのだろう。だが今や、その輝きは失せ水晶は濁り、黒い霧のようなものを周囲に発散させている。
闇堕ちした勇者のパーティ――。
三人の瞳には、赤く不気味な光が宿っていた。
「……マクゥート、どうする?」
「まず、ジジィは殺せ、目つきが気に入らねぇ」
「そんな――!」
老人が驚き、家族達を背中へと匿う。だが魔女は既に魔法の詠唱に入っていた。
「ちょうど試したい魔法があったんだよ、加護の乗り換え……。光や恩恵の女神なんてクソくらえさ。闇の力こそ世界を覆う力そのものからね!」
魔女デクネが杖を振りかざし、老人に向ける。
「まっ!? まってくだされ! 孫達には、せめて孫達だけはお助けを……」
「あー、はいはい、それは後のお愉しみだから、安心しな!」
――黒死炸裂焼夷
杖の先から生じた青黒い霧が老人を直撃する。
「ぐあッ!?」
老婆と子どもたちの目の前で、白髪の老人の心臓が膨らみ、破裂――。
赤い血は黒い飛沫となり、老人は絶命。ビキビキと黒い石のようになりその場に砕け散った。
「きゃぁあああッ!」
「おじーちゃん!」
「いやぁああああああああ!?」
部屋に悲鳴と絶叫が響き渡った。
「おーぉ? すごい魔法だなデクネ」
「お見事です。それが闇の加護! 我らが望みし究極の力ですか」
勇者が軽い調子で称賛し、僧侶が表情を変えずに目を細めた。
「うーん? でもダメ、まだ全然ダメ、悲鳴とか悲痛な叫びとか、全ッ然足りないわ。もっと、もっと! 苦しんでのたうちまわってほしかったのにぃィイイイイ!?」
魔女デクネが悔しそうにキィイイ! と白目を剥いた。その表情と狂気を孕んだ声に、恐怖に耐えていた子どもたちが泣き始めた。
「うるせぇぞ! ガキども! ブッ殺……」
叫びながら剣の柄に手をかけた勇者マクィートを、魔女デクネが優しく遮った。
「ダメよ、マクィート」
「デクネ?」
魔女が静かに微笑むが、子供たちは泣きやまない。
「魔法には工夫と、探求が必要なの。この子達は一人づつ実験に使うの。だから今殺しちゃダメぇん」
ぐるん! と白目を血走らせたデクネが老婆の後ろで怯える幼子に顔を近づけた。
「いやぁあああああ!?」
女の子は大粒の涙をこぼし、殺された祖父の残骸に飛びついて抱き寄せた。
「おじいちゃぁん! おじいちゃん、わぁあああん……!」
「あらあらいい叫び声、もっと聞かせて欲しいわぁ」
「ギャハハ!」
「フフ……」
三人の勇者パーティが邪悪な笑みを浮かべた、その時だった。
「……………………あ、ん?」
魔女が何かに気づいた。
高笑いをする勇者をよそに、狂気で血走った瞳だけをギョロリを動かした。
何かがおかしい。
魔法ではない。
別の何か、例えば別の高位の『干渉』が部屋に行使された。
魔女が直感したその時。勇者が笑いを止た。
「おぃ? そんなところに扉……あったか?」
「隠し扉……ですかね?」
木枠の扉は古く、見慣れない形をしていた。忽然とタンスの横、漆喰の壁に扉が現れたように思えた。
いや、忽然と出現したというべきか。
位置的に、扉の向こうは廊下のはずだ。村長の家は複数の部屋があるが、この部屋には廊下に通じる扉が2つあるという事になる。
「妙だな、見落としたか? あのジジィが死んだから、何かの仕掛けが動いたな?」
「しかも引き戸……?」
「気をつけろ、ジョス。何か変だ」
勇者の代わりに、細身の僧侶ジョスが近づいて扉に手をかけた。
「ふむ? 扉には魔法も鍵もかかっていませ――――」
「ジョス! お待ち」
魔女がハッと瞳を見開いて叫んだ、次の瞬間。
銀色の鋭い輝きを伴いながら、扉が突然開いた。
「!?」
火山の噴火のような轟音と、吹き込む猛烈な吹雪に視界が奪われた。
急速に下がる室温と白い暴風に、闇堕ちの勇者マクゥートと魔女デクネは、咄嗟に身を守るように身構えた。
老婆も子供たちも、突然の異変に悲鳴を上げて床に伏せた。
『泣く子はぁああああ!? いねぇガァアアア!』
恐怖と殺戮の室内へ、更に異変が起きた。扉の向こうから出現したのは、頭に角を生やした赤い悪魔のような「異形」だった。
「なッ!?」
何かが、物凄い速さで勇者の顔面をかすめ通り過ぎた。ドゴッ! と、背後で壁に何かが激突する鈍い音がした。
ゆっくりと振り返ると、薄笑いを浮かべた僧侶と目があった。
何故、後ろに居るんだ?
マクゥートは一瞬理解できなかった。
否――。
僧侶の薄笑いを浮かべた首は、壁にめり込んでいた。正確には「首だけ」が。
「ジョ……ジョス!?」
勇者の顔の真横をすっ飛んでいったのが、仲間の首だと気がついたとき、首を失った僧侶ジョスの身体がドサリと崩れ落ちた。
「こんな村に魔法のトラップだってのかい!?」
ギロリ、と老婆と孫娘たちを睨みつける魔女の横で、元勇者は背中の剣を抜き払った。
対峙するのは、扉から姿を見せた巨大な悪魔のような、存在。
筋骨隆々とした怪物は、天井に頭がつきそうな巨体。
ゴフゥ! と荒い息を吐きながら、ズゥン……! と室内に足を踏み入れる。凍てつくような冷気と共に、怒号が窓のガラスをビリビリと振動させた。
『悪リィ子はぁ……いねぇがぁあああ!?』
「……やるぞ、デクネ」
「えぇ、楽しくなってきたわ」
バックステップを踏んで間合いを取ると、勇者と魔法使いが戦闘態勢に入った。
<つづく>