遠心分離とドラゴンの魂
『エェエェエリィザァベェェエトさまぁッ!?』
キャウンキャウンと鳴き声をあげながら、イグニールが戻ってきた。蜘蛛のように四肢を動かして、首を失った女騎士の骸へと駆け寄る。
『アァ、酷い……なんてことだぁ……! キャゥウウン』
背中に盗んだ手桶を乗せたまま、絶望した表情でエリザベェトの首を探す。すると数メートル先に、金髪の首が墜ちていた。涙を流しながら近寄ろうとするイグニールの行く手を、火煉が遮った。
『戻ってきたね?』
炎のついたままの金棒を右肩でトントンとしながら、凶悪な笑みを浮かべている。
『い、愛しのエリザァベェトさまを貴様ァア! よぐも、ヨグモぉ――』
蜘蛛のようにカサカサと四肢を動かし襲いかかってくるイグニール。それに対し、何の躊躇いもなく金棒を頭上から振り下ろす火煉。
バゴッ! という音とともに頭部が半分、砕け散った。
『無慈悲ィ!? お、鬼かキサ……』
かろうじて動く舌で苦情を言うが、赤い髪の少女が金棒を振りかぶった。
『鬼だよ!』
二発目は真横からのフルスイング。ばちゅん! という炸裂音と同時にイグニールは首から肩まで全てを失うことになった。赤黒い血飛沫を撒き散らしながら身体がその場に崩れ落ちた。
『バカで助かった。コゴローちゃん、これ!』
『オゥ!』
火煉はイグニールの背中から魂の入った『首桶』を取り返すと、小五郎へと手渡した。
その時だった。
馬車に兵士たちが殺到した。魔法の爆発の炎で数人が吹き飛ばされる。だが、倒れた仲間を乗り越えて後続の兵士数人が、荷台へと駆け上った。そこでも黒い嵐により身体ごと吹き飛ばされる。
「貴様ァッ!」
「くっ……! おの……れ」
だが、多勢に無勢。魔法の励起には時間が必要であり、剣での攻撃に特化した兵士十人が相手では、さすがの魔法騎士リーゼンハイアットも万策尽きたようだった。
自ら細身の剣を抜くと身構えるが、ついに兵士の一人が魔法騎士リーゼンハイアットの右腕を斬り落とし、絶叫するその身体を深々と刺し貫いた。
「ぐぅあああああ……ぁ……っ!」
「裏切り者め、成敗!」
「ぐはぁ……」
黒い瘴気が身体から噴き出すと、黒衣の魔法騎士は馬車の荷台から転げ落ちた。兵士たちから歓声があがった。
騎士でありながら王国に背き、暗黒神の野望に染まった男の、それが最期だった。
『……あっちも、片付いたみてぇだな』
小五郎が、ようやく静かになった周囲を見回しながらナタを拾い上げ、腰に括り付けた。
『あら? アイツの首をアタイらが落とさないと、帰れないんじゃない?』
火煉が「あー!?」という表情で、小五郎の横に並ぶ。
『どうだべな。まぁ……やるべき事をやれば、戻れるべ』
『殺るべきこと?』
『ちげぇよ。悪しき相手は倒し、泣く子を救うんだべ』
『泣く子……?』
火煉が思案すると、小五郎は地面に落ちていた女騎士の生首を拾い上げた。
切断面からは赤い血と、黒い液体が流れ出している。
表情は穏やかで、血の気の失せた頬には、一筋の涙が光っていた。
『まんず試してみんべぇ』
『まさか……! その女を復活させる気!? ヤバイでしょ! また暴れるだけだよ!』
『んだなぁ。だから……試してみるのさ』
にやりと鬼面を歪める小五郎は、女騎士の身体に近づいた。
身体には醜い腫瘍がべったりとへばりついている。蹴飛ばすと、それはタコの死骸のようにズルリと外れシュワシュワと黒い瘴気となって消え始めた。
『よっ……と』
そして女騎士の両足を小脇に抱えて、ぐっと持ち上げた。
首を失った切断面からは、やはり血と黒い液体の混合物が流れ出している。
右手に生首を抱え、左腕で両足部分を持った格好だ。騎士の首と首なし死体を抱える図は、討伐されても文句は言えない構図だろう。
だが、魔法騎士を討伐したばかりの兵士たちは、まだ此方を気にしていない。
――試すなら今だべ。
ふんっ、と気合を入れると小五郎は、ぐんぐんとその場で回転を始めた。ぶぉん、ぶぉんと死体の切断面を回転の外側へと向けて。
『コゴローちゃん、まさか……!?』
『こうして……回せば……うりゃぁああああっ!』
『え、えぇえええ!?』
『少し、離れてろ火煉!』
ぶぉん、ぶぉん……ぶんぶんぶん、ヒュンヒュンヒュン……と徐々に回転が速くなる。女騎士の死体から風切り音が聞こえ始めた。
『ちょっ……!? まさか、遠心力で黒いのを分離する気……!?』
『理科はぁああっ、得意だっべ』
ギュィイイイ……と巨大なコマのように回転する小五郎と女騎士の死体から、液体が周囲に飛び散り始めた。
赤黒い液体が周囲の地面に丸い輪を描いてゆく。
『遠心分離……! 血を身体から全て遠心分離するなんて、無茶苦茶だよぉおおッ!』
確かに理科だ。科学とか物理とか、現代の常識を超越したナマハゲの理科だ。
ゴォオオオ……! と周囲では風が渦を巻き始めた。
血飛沫が、やがて尽きたのか、音が軽くなる。ひゅぃいいい……、いんいん。と回転も弱まると、停止。
『……がふぁ……』
さすがの小五郎も目が回った。女騎士の首と死体を下ろすと、首を抱えたままその場に大の字に倒れ込んだ。
『だ、大丈夫!?』
『はぁはぁ、流石にキツかったべ……。火煉、首桶は?』
『ここにあるよ』
荒い息のまま、立ち上がる。首を拾い上げると真っ白な石膏像のように安らかな顔になっていた。
女騎士の美しい顔に金髪がサラリと流れ落ちる。身体の首との切断面からも、ほとんど何も出ていない。
体内からは完全に血が抜かれていた。
それに伴って黒い瘴気も消え失せている。小五郎は鬼の姿をしているが、秋田では『来訪神』とされ聖なる力を有する言わば「神の眷属」のようなもの。それが、この多少強引な「血抜き、瘴気抜き」に効果があったのだろう。
『血抜き、完了。これで……どうだぁ?』
首をびちっと身体の切断面に押し付けて、きゅきゅっと位置を合わせる。
『えぇ……なんかいい加減ね』
鬼の手を首桶につっこむと、特大の魂を取り出した。青白い渦のような、美しい輝きがあたりを照らす。それは、あのドラゴンのものだった。
『これを使えと……いうごどがぁ?』
『普通の魂じゃぁダメってことかな?』
『おそらく、そうなんだべぇ』
小五郎はボゥッと光る魂を、エリザベェトの首と身体の密着部分に押し当てた。
すると、シュルル……と魂の光は乾いた砂が水を吸い込むように身体へと吸い込まれた。
夕刻が近いのだろうか。空は雲がかかり薄暗い。
『……』
『……ぁ?』
どれくらい時間が経っただろう。女騎士の頬に血の気が戻ってきたように見えた。そして、ぴくん、と長いまつげに縁取られた、まぶたが動いた。
「こふっ……」
<つづく>




