闇の森からの撤退戦
魔物が血の匂いを嗅ぎつけて集まってきた。
森の奥から無数の気配が近づいてくるのを、ナマハゲ――小五郎は感知できた。
獣のような四足で忍び寄るもの、得体の知れない唸り声を発する二足歩行の魔物などが、急速に距離を縮めている。
『……お客さんが来たみたいだね』
火煉は金棒を持ち上げて、屈伸運動をしはじめた。まるで準備運動だ。
『長居は無用だべな。いくど、カレン』
ナマハゲが険しい視線を森の暗闇に向けながら言った。
『ゴローちゃんが安全な場所まで二人を運んで。アタイが背後を守るから』
『……ンダな。おめだ少しガマンしろよ』
少年と少女をナマハゲはひょいっと両肩に担ぎ上げる。「おめだ」とは「お前たち」が訛ったものらしい。
「きゃ!?」
「わ、ああ!?」
『大人しくしてれば、喰わね』
もちろんこれは冗談だが、二人はナマハゲの肩の上で半泣きになりながら、コクコクと頷いた。
腰にナタを括り付けると、足音を響かせながら、ナマハゲは悠然と走り出した。目指すは人間達の気配がする方向だ。
「あ、あの……!」
「ど、どこへいくの!?」
『安全な人間のドコさ連れでぐど』
マリエルとリィがナマハゲの鬣を掴みながら恐る恐る問いかけるので、直ぐに返事を返す。
この赤い大鬼は、二人の命の恩人であることは事実だった。しかも向かっているのは明らかに森の入口、ダルヴァーザ城塞都市の方角だ。
自分たちを森の外まで運んでくれる事を知り、半信半疑ながらも少し安堵の表情に変わる。
――森の入口に十数人。戦隊として4隊……か?
小五郎は薄暗い森の中を疾走しながら、研ぎ澄まされた超感覚で気配を探る。それも、真っ当な人間のにおいがする気配を探る。
森の入口付近から、いくつかの集団が森へ突入しつつあるようだった。午後の陽が傾く時間から夕方に向け、魔物の活動が徐々に活発になる時間帯を狙っているのだろう。
大勢の人間が移動しているが、全て武装した男女混成、戦隊だろう。
と、背後で『ガゥウウ!』『グガルゥ!』と獣の声がした。
「あっ……!」
「魔物が……!」
マリエルとリィが振り返りその光景を目撃する。二人を騙して酷い事をしようとした男たちの躯に、無数の影が襲いかかり、食い散らかし始めた。
手足を奪い合う狼型の魔物たち。血に飢えた野獣たちの宴だ。
そこから逃れるように、赤毛を振り乱しながら、ナマハゲの娘――火煉も走ってくる。
『ひぃい……!』
やや必死の形相で走りながら、木々の影から飛び出してきた狼型の野獣に向けて、ブォン! と金棒を思い切り振る。
『ギャゥン!?』
金棒は側頭部を殴打して、体ごと闇の彼方へ野獣を打ち返す。
『犬公が! ブッ飛ばすぞテメェ!』
ぶん殴ってからブッ飛ばすぞ! と叫ぶカレンの様子に、マリエルとリィは目を白黒させる。
「あっ、危ない!」
「カ、カレンさん反対側!」
『次から次へと……!』
今度は反対側の茂みが揺れ動いたかと思うと、火煉の行く手を遮るように大きな魔物が飛び出してきた。
それは、熊のような怪物だった。上半身は毛むくじゃらな熊か大猿のよう。しかし下半身は人間と同じ肌色で、尻や股間が丸出しという醜悪極まりない怪物だ。
『クマァァアン?』
『変態か死ね!』
バギャス! と脳天を容赦なく金棒で一撃。真上から振り下ろした勢いで、火煉は跳び箱のように下半身露出熊を飛び越えた。
ビュシュウ、と脳天から赤黒い液体を噴出させながら野獣は前のめりに倒れた。
軽快な足取りで、ナマハゲに追いつく火煉。
『ヤバイじゃんこの森!?』
『出会い頭に撲殺するオメェもな』
『ゴローちゃんだって斬首魔じゃん!』
おまけに魔物や野獣をいくら殺しても『魂』は手に入らない。戦うだけ無駄、ナマハゲにとっては『骨折り損の草臥れ儲け』というわけだ。
『んだども、すぐ森を抜ける』
マリエルとリィの記憶でも、現在地は1キロほど森の入り口から進んだ地点だった。
走り始めて数分で、森がやや開けた場所を向進む人影が視えた。明らかに戦闘集団といった姿格好の者たち。
様々な装備を身に着けた男性の戦士2人に、シーフらしい女性1人と、ローブを身につけた魔法使いという感じの女性が1人。
それぞの鎧や盾、マントには『赤い剣型の十字』の紋章が刻まれている。
「正規の冒険者さんたちだ……!」
リィがその紋章を見て叫んだ。組合に所属する正規の自由冒険者たち、ということらしい。
『……んだばいいな』
「前方の森から単体の巨人族出現……!」
「警戒! 後ろにもう一体……メス?」
「いやまて! 人間の子供を連れてやがる。エサにしちゃ丁寧だが……?」
巨大な赤鬼が二匹出現し一瞬慌てたようだ。だが、こちらが二人の子供を抱き抱えた様子を見て戸惑っている。
背後から迫る魔物はまだ数体いる。しつこく追いかけてきているが距離は稼げたようだ。小五郎は、走る速度を落とし、マリエルとリィを地面へと下ろす。
『魔法とか弓矢とか撃たないでよ!』
火煉が叫びながら手をふると、十数メートル離れた位置に居た5人のパーティから驚きの声が上がる。
「え!?」「しゃべった!?」と相変わらずの反応を示す。
「ありがとうナマハゲさんにカレンさん」
「助かりました……本当に」
マリエルとリィが礼を言う。ナマハゲは周囲を警戒しつつ、二人の頭に大きな手をポンと乗せて、撫でた。
『もう騙されるンデねぇど』
出来れば平和に暮らして欲しい、と願う。森に入るような冒険心や好奇心は、この世界では時として身を危険に晒し、命さえ容易に失うのだ。
「……はい!」
「はいっ!」
『あのさ、この子らを保護してよ! いい? 頼んだからね!』
「え……あ? わ、わかった」
「うーん、普通にしゃべっちゃってるね」
「君たちは『ミカウラ嬢の報告』で噂になっていた……人語を話す魔物なのか?」
パーティのリーダーらしい男が鎧のヘルムのバイザーを上げ、語りかけてきた。
『魔物でねぇ。ナマハゲだど』
「本当に人語を理解しているとは……!」
「あの報告は本物だったのか」
ミカウラと聞いて小五郎はハッとした。最初にこの世界で命を救った一人の少女。盗賊に襲われていた彼女はその後、無事であり何らかの形でナマハゲの話を伝えたのだろう。
『どっちでもいいけどさー、この格好じゃ人間には見えないし、アタイら魔物扱いだよね?』
『ンダどもさ……』
昔話みたいな話だ、と小五郎は思った。
人間を救い、友だちになろうとした赤鬼の話。いくら善業を重ね、人間と親しくしようとしても、所詮は赤鬼。
最後は迫害され、人間から追い払われる。
それが自分たちの運命なのかもしれない。
『さ、行こゴローちゃん』
『まだ、やることが残っているみてぇだしな』
あの悪辣な冒険者二人を殺しても、帰還するための扉が開かない。つまり、まだやるべきことがあるのだろう。
と、森の奥からドドド……と魔物の群れが接近する音が聞こえ始めた。それも無数にだ。
「索敵の魔法に反応! 森の奥から……魔物が接近中! すごい数です」
魔法使いの女性が杖を地面に突き刺しながら、小さな声で警告する。
「……今日の狩りは中止だ。少年少女を保護しながら城塞都市まで撤退する!」
リーダーが異変を察知したのか、すぐさま決断を下す。魔物を倒して英雄になるとか金になるとか、そういった判断基準で行動していないのは明らかだった。
「赤字だねぇ、さ。こっちへ」
「人命第一だ。陣形を整えつつ後退するぞ。ミリナは他のパーティの魔法使いにも連絡を。森の様子がおかしい、と」
シーフ職の女性がマリエルとリィをすばやく保護し、手を引きながら仲間の元へと合流する。
「ハマハゲさん!」「カレンさん!」
手をふる少年と少女に、火煉も笑顔で手を振り返す。
剣や弓を構え周囲を警戒しながら、パーティはすばやく撤退して行った。小五郎はそれを見送ると、ナタを手に持って戦闘態勢に移行する。
『さて……と!』
もはや魔物の気配は音として、いや地面の振動としても伝わってくる。ものすごい数だ。十や二十ではない。
『あのパーティが撤退するまで、食い止めるのね』
『んだな』
『でもさ、命が手に入らないんじゃ……いくら魔物を倒してもジリ貧だよ?』
森全体がざわめいた。まるで土石流のようにそこまで魔物の群れが押し寄せてきていた。
『かもな、んだどもよ……こういうのも悪ぐねぇべ』
『そうね、ゴローちゃんと一緒なら』
小五郎の言葉に、火煉は不敵に微笑むと金棒を肩に担いだ。
<つづく>




