太陽の女神と、闇霧の神
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大陸の東半分を統べる王国、ヒューペルポリア。
賢王と讃えられるデュゼルリヒア・ヒューぺリア国王による「法と正義」の統治が始まって、数十年の歳月が流れていた。
ここに至る長き歴史を紐解けば、度重なる戦乱と苦難は幾度となくあった。領土を巡る国と国との争いに、人々は艱難辛苦を強いられてきた。だが、それらに比べれば比較的穏やかで、安定した時代と言えるだろう。
だが、人々を脅かす脅威は存在し続けている。
大陸の西側に広がる無限の闇の森――シュヴァルリンデア・ヴァドムの奥深くから、魔獣や魔物、そして『闇の眷属』が、夜陰に乗じ湧き出してくるのだ。
魔物が増えれば、人々の生活を脅かす事になる。人を狂わせる『闇の眷属』の無秩序な発生は、社会に混乱をもたらす。
しかし、法と秩序の王国は、闇の力に対抗する力も有している。
闇を切り裂く光、希望。それが、太陽の女神ペケレテゥープによる「加護」であった。
法と正義の御旗を掲げ、光り輝く金色の馬を駆る、武に秀でた女神。ヒューペルポリア神話では、常に『闇霧の神、グ=ネテゥープ』と対立し、対極に位置する存在と云われている。
世界を暗色の霧で染めることで、人々に「完全なる平等」と「絶対の安寧」を約束する闇霧の神、グ=ネテゥープ。死と、無を司る暗黒神。
無垢な魂への浄化、永遠の命たる永劫の約束。そして数多の魔法使いが欲してやまないという、「無知なる全知」を帰依するものに与えるという。
暗黒神の素顔は、闇の霧に隠されて見ることは出来ない。
しかし、禁書である闇の経典によれば、「世界の全ての知恵を書き記した書物」を抱えた物静かな老人の姿とも、美しい少年のようだとも語り継がれている。
また、闇霧の後に続く『グ=ネテゥープ』というのは神の名ではないという。
闇霧の神に帰依する信徒――王国内では邪教徒扱いではあるが――が秘密にする経典を紐解くと、全ての生命の根源、不定形にして混沌、原初の生命、『グ=ネテゥープ』がその由来なのだという。
太古、深き闇の底でまどろみ、一つだった原初の生命『グ=ネテゥープ』は、女神の慈悲と光により目覚めた。やがて分裂を繰り返しながら数多の生命へと分岐し、進化したのだという。
気が遠くなるような時間を経て、動物や魔物が生まれ、やがて人間がこの地に生まれた。
それは歓喜であり、苦痛でもあった。
いつしか、無垢なる混沌の闇へ、『グ=ネテゥープ』へ回帰したいと願う者が現れた。
「――隔てられた苦痛から逃れるため、生命は死を知った」
朗々と、経典を読み上げる声が響く。
何処かの地下の回廊だろうか。赤い魔法の光が、黒く長いローブと、フードを被った者たちを照らしている。
「死は回帰なり。闇の懐に、混沌に、原初の『グ=ネテゥープ』に至る至福の道なり――」
男の声が響く。その声は狂気と熱を孕んでいる。
「闇霧の神への帰依により、私は最強の魔法を得た。すべては……世界を絶対的な安寧たる、闇に導くために……!」
光と闇は決して切り離せない。
光あれば、また闇がある。
闇があってこその、光であるように。
戦乱の時代があってこそ、平和と呼べる時代もあるのだ。
「あぁ……すばらしい」
数多くの信徒たちの中に在って、一段高い祭壇に立つ男が、フードを取り払った。
整った怜悧な顔立ちの、若い男。
それは、魔法騎士リーデンハイアットだった。
傍らには、平服を身にまとった女騎士、エリザベートの姿があった。
『……』
表情は虚ろで瞳に光はない。肌はまるで死人のように白い。赤い不気味な照明がその異様さを際立たせる。
胸から首にかけて青黒く浮き出たクモの巣状の血管が、ヒルのように蠢いている。
「御覧なさい。これが……光と闇でさえ溶け合える証! 死をも超えた生! 我らに与えられし約束された永遠の生! 魔改造人間、エリザベートォオ!』
リーデンハイアットが叫ぶと、おぉ……! と信徒たちがざわついた。
『きゃうん! きゅんきゅん……!』
傍らには四足の犬の体に、人間の顔をくっつけた下僕もいる。
「このエリザベートには今までどおり、王国の秩序を守る職務についてもらいます。人々を苦しめる魔物を退治しながら、静かに……時を待つのです」
黒いフードを被った信徒たちが、リーデンハイアットの言葉に耳を傾ける。
「『闇の眷属』のタネを蒔くのです。それと……」
魔法騎士リーデンハイアットが険しい表情に変わり、エリザベートの肩を強く掴む。そして顔を近づけて、耳元で狂気を滲ませて、言う。
「二本角の怪物を……始末するのです。あれは我々の計画には邪魔な存在だ……。闇にも、何者にも属さない……! 我らの理想の実現を邪魔する……破壊者なのですから」
◆
<つづく>




