ふたり、『海鮮居酒屋、毛無山(けなしやま)』にて
◇
秋田名物の『きりたんぽ鍋』が湯気を立てている。
「お兄さん! ビール大ジョッキおかわり!」
カセットコンロの青い炎を少し細めながら、佳代は今夜3杯目のビールを注文した。
「大ジョッキ追加、毎度ー!」
「あと『ハタハタの一夜干し』と『しょっつる焼きそば』もおねがいね!」
「はい、ありがとうございまーす!」
愛想のいい若者が元気よく注文を復唱すると、厨房へと戻ってゆく。
「よく飲み食いできるな……」
小五郎は佳代のタフネスさに呆れ返る。
「はぁ? あんなの夢よ、出来の悪い夢! 最近流行のバーチャンのリアリティみたいなもん」
ガハハと笑う三十を過ぎたばかりの佳代。子供時代はもう少し淑やかだったと思うのだが……。
「ばーちゃんリアリティってなんだよ。バーチャルリアリティな。ていうより……あれはフルダイヴ型のVRMMOだべさ」
ナマハゲの面で異世界探検。傷つけば激痛、普通に死んでしまう文字通りのデスゲームだったわけだが。
「小五郎ちゃん詳しいね」
「まぁな、オラは現代っ子だからな」
男のたしなみとしてゲームぐらいは普通にやっている。
ここは男鹿半島では知る人ぞ知る名店、『海鮮居酒屋、毛無山』の店内だ。
ちなみに店名は、店主の髪の毛が無いから……というわけではなく、男鹿三山の一つ『毛無山』が近くにあるからである。
店内は金曜の夜という事もあり、結構な数の客がいて賑やかだ。近くの漁港でとれた魚を出すことで評判の店は、炭火の煙に酒の匂いが混じり、演歌歌謡のリフレインによく馴染んでいる。
「二人の秘密に乾杯だね、コゴローちゃん」
「変な言い方するんでねぇよ。佳代」
蔵の奥で見つけた『ナマハゲの面』によって、見知らぬ世界に精神が跳躍し、摩訶不思議で苛烈な体験をした。
面をかぶり直すことで、同じ場所、同じ時間に二人が存在することさえ出来た。
あれは幻ではない。
もう一つの現世で間違いない。という認識で二人の意見は一致した。
とはいうものの、あの体験を誰かに相談できるわけもなく、ネットに投稿してもネタ扱いで消えていくのがオチだ。となれば体験は「二人の秘密」として胸のうちに仕舞うしかない。
うぶな少年少女ならいざしらず、中年に片足を突っ込んだ男とバツイチの女。大人の男女が共有する秘密にしては、いささか色気のない話には違いないが。
だが、色恋沙汰に疎い小五郎にとっては、年甲斐もなくときめく物を感じていたのも事実。そんな事を目の前の佳代に気づかれぬよう、冷たいビールを胃の中に流し込んだ。
「……っぷは、うめな!」
二人で事件の顛末を整理しようと考えたが、結局ここに飲みに来た。腹も減ったし、くさくさする気持ちを持てましたからだ。
幼なじみの佳代と小五郎にとって、二人で飲むのは別にこれが初めてではない。
だが今はちょっと近所の目も気になる。タクシー代はかさむが、二人の家から離れたこの店にやってきたのは正解だった。
美味いお通しを食べ、ビールを胃に流し込むとじんわりと酔いが回り、ようやく「生きた心地」がした。
「佳代、もう三杯目ってペース早ぇべさ。ていうか、焼きそば頼んじゃったのけ?」
佳代が頼んだ『しょっつる焼きそば』は、しょっつるという魚醤味の焼きそばで、男鹿を代表するB級グルメ。飲み会の締めにはちょうどいいが、それを最初に頼むとは。
「だってお腹空いたしさぁ」
「しゃぁねぇな」
しょうがないな、と小五郎が言うと佳代が新しいビールジョッキを受け取って、突き出した。
「生きてることに、乾杯!」
「あぁ、乾杯だべ!」
薄化粧の佳代があっけらかんと笑うので、つい小五郎も笑って乾杯。ビールをごくごくと飲む。
小五郎と佳代はともあれ現代に帰ってきた。
蔵の奥でナマハゲの面を付けた、あの時――。
佳代はやがて苦しみ始めた。意識を失ったままの佳代から、小五郎は慌てて面を引き剥がした。だが目を覚まさない。これはただ事ではないと慌て始めた時、ふとナマハゲの面が仕舞われていたツヅラの底が妙に浅いことに気がついた。手で底を探ってみると……二重底だ。
底の蓋は簡単に外れたが、中に古い巻物と、茶色く変色したノートがあった。
古い巻物は全く読めなかった。蛇がのたうったような漢字を崩した文字で書かれていたからだ。
けれどノートは茶色く変色こそしていたが、なんとか読めた。書かれていたのはどうやら巻物を解読したものらしい。
『武威作戦帳』
書かれていた日付は昭和40年代。祖父が若かった頃に書き記したものだった。
内容を読み解くと、巻物には『ナマハゲの面』のルーツが平安の時代にまで遡ることが書かれていた。
更には何故作られたのか、という由来も記されていた。
――乱世の末法の世。寒風山の中腹に突然開いた洞穴から恐ろしい魑魅魍魎が溢れ出したという。闇色の恐ろしい怪物に、人々は抗うすべもなく無残に喰われていった。
見かねた高僧が、高野山で会得した神仏の力で調伏させようと挑んだが力及ばず。逆に食い殺されてしまう。すると高僧の法力により毛無山に封じられていた鬼が復活したのだという。
鬼は『牛頭の鬼』と呼ばれ、近隣を荒らし回り人々に恐れられていた赤鬼だった。
だが、村人たちが見知らぬ異界の魑魅魍魎ども喰われている様を目の当たりにすると、「人間どもが居なくなればワシを畏れ敬う者がいなくなる。飯と酒がもらえなくなるのは困る。だからワシが怪物共の退治してやろう。代わりに人間の娘をひとり嫁によこせ」と、言ったのだという。
人々は絶望的な状況の中、鬼の提案を受け入れた。その後の戦いの様子は割愛するが、『牛頭の鬼』は凄まじい力で魑魅魍魎を蹴散らし退治した。しかし最後に残った魔物の頭と相打ちになり、力尽き倒れてしまう。
不憫に思った心優しき一人の娘が鬼と「冥婚」の契を交わしたのだという。
冥婚とは死んだ者と結ばれる古き風習である。
やがて鬼の亡骸から生えた樫の木で、娘は面を作った。そして自らが面を被り、何処か遠いところへと旅立ったという。
それは『牛頭の鬼』に逢うためだった……と伝えられている。
最後はどこか物悲しい末世の鬼伝説。
男鹿半島に住んでいる小五郎にとっても、初めて目にした話だった。古いノートには『ナマハゲの面』を被った小五郎と佳代が体験した事に関係する、重要な事柄が書かれているのは間違いなかった。
ノートの後半には、鬼の嫁となった娘が彫った『ナマハゲの面』について、機能に関する研究結果が書き記されていた。
『面を被って、何も起きない時代は、幸いである』
『面を被って、異界へと旅立てたのならば、その世界を救うべきである』
『それはやがて来るであろう災厄の芽を摘み、あるいは回避する事のできる大切な大切なお役目なのだ』
祖父の筆跡は、そう綴っていた。
「面を被って異界へと旅立てたのならば、その世界を救うべきである、とさ」
「なんでそんな事しなきゃならんの? 私、死にかけたんだけど」
佳代が上気した顔で言う。すこしトロンとした瞳。少しウェーブした茶色の髪が肩で揺れる。
同じ場所に、同じ時空間に飛べる保証さえなかったが、あの時、小五郎は必死だった。
ノートには『目的を果たさない間は、何度でも同じ場所で繰り返す無限地獄』とあった。つまり、目的が果たされるまでは何度でも同じ場所へと「跳べる」のだ。
そして無我夢中で飛び込んだ先。そこでは多くの兵士や騎士に囲まれ、体中を剣で刺されて倒れていた赤い髪の娘がいた。ナマハゲになった小五郎には、それが佳代だと瞬時に理解できた。
怒りで全員を殺したい衝動に駆られたが、深く暗い闇の気配は一人の男から発せられていた。
騎士の鎧を身に付けてはいたが、アレはただの人間ではなかった。
今もじっとりと、嫌な気配がまとわりついている気がした。
とりあえずはビールを飲み、鍋を食いまくるとそれは収まった。
「……佳代。このノートの伝承が本当なら、向こう側での善業は、こっち側の世界の安寧にも寄与するってことだべさ」
「えー? やらなきゃダメなの?」
「ノートにはこう書かれているぞ」
――ある時代、魑魅魍魎が男鹿半島に溢れ出したのは『向こう側の世界』が闇に覆い尽くされ、全てが食い尽くされたからだと、私は愚考する。
「闇の眷属とかいう化け物連中は、やがてこちら側に侵攻してくるってことだべ」
「そのときは自衛隊とかにまかせようよー」
小五郎は佳代の言葉に思わず噴き出した。
「ぶはは、確かにな。昔なら食われてたが、今じゃぁ人間のほうがヤバイかもな」
ズビーと『しょっる焼きそば』を食べる佳代。小五郎は『はたはた一夜干し』をかじる。「ブリ子」と呼ばれるハタハタの卵の塊の食感が実に美味い。
「ともあれ、もう一度俺は向こうに行く」
「なんでよ?」
焼きそばの具、イカの吸盤付きの脚が唇の端から伸びている。
「あの女騎士、なんで死んでたんだ……? 誰が、やったんだ」
いや、死んでいなかったかも知れないが、あの傷はただ事ではなかった。
「コゴローちゃん……」
気がつくと、じぃ、と据わった目を向ける佳代に、思わずうっと身を引く。
「あっ、いやその……、気になっただけだべさ」
「金髪で青い瞳とかが好みなの? うわぁ……そうなんだ、ふーん」
佳代はごくごくと三杯目のビールを飲み干すと、ダーンと机をジョッキの尻で叩く。
「おいおい飲み過ぎだべ」
「コゴローちゃんに運んでもらうからいいの! お兄さん! 焼酎をロックで!」
「……やれやれだべ」
小五郎はため息をつきながら、ゴリゴリとブリ子を噛み潰した。
<つづく>




