帰還の代償
「――泣く子はぁッ! イネェガァアッ!」
荒れ狂う嵐のような冷気を噴き出しながら、扉が砕け散った。
「コゴローちゃん……?」
火煉は声を絞り出した。大きな赤鬼のような姿が見えた時、間違いなく「ナマハゲ……小五郎だ」と感じたからだ。
燃えるような赤い肌、突き出た二本の角。そして不動明王のような憤怒の形相。
それは恐ろしい鬼そのもの。けれど佳代にとっては懐かしく感じる姿だった。
安堵とともに意識が薄らいでいく。
けれど、脳裏に浮かぶのは後悔だった。上手く戦えていたはずなのに、騎士の仲間割れが起こるなんて想像もつかなかった。
――女騎士さん……巻き込んじゃっ……た。
「ごめん……ね」
そこで火煉の意識は途切れた。
◆
「くっ!?」
魔法騎士リーデンハイアットは身の危険を感じ、咄嗟に火煉から飛び退いた。
手に持っていた魔法の剣で円を描き、簡易的な魔法の結界を張る。2秒で展開可能な防御結界は『耐破砕』のみ。だが、衝撃をまともに浴びて気を失わないだけでもマシだ。
「――泣く子はぁッ! イネェガァアッ!」
「くっ……! 新たな化け物か!」
轟音と嵐が、路地裏を揺り動かした。
舞い上がる土煙の向こうで、ズゥム……。と、重い何かが降り立った音がした。シルエットだけで判断し難いが、ゆっくりと立ち上がると巨大な、身の丈2メートルを超えるであろう巨大な怪物の姿が見えた。
「うわぁっ!?」
「なんだっあれはぁッ!?」
「新手だ! 陣形を整えろぉおおッ!」
路地全体を揺るがした扉の出現は、『闇の眷属』を粉砕した火煉の一撃に匹敵する驚きと混乱をもたらした。
ここは倉庫街の一角で、建物の壁に囲まれた路地裏だ。前後さえ塞げば『闇の眷属』の動きを封じられると判断し、追い込んだ場所だったはずだ。
その包囲網のど真ん中に出現したのは、人間に近い体型の、赤い怪物だった。
「一体、なんだコイツはッ!?」
魔法騎士リーデンハイアットは敵の素性を判断できなかった。出現の異常さから考えても並みの魔物ではない。
聖盾兵たちが壁を築く後ろへと、ジャンプして退避。持っていた魔法剣で、更に重層的に防御の結界を張る。
扉が壁に出現し開くなど有り得ない。魔法騎士リーデンハイアットは転移魔法の可能性を考えたが、どれもあてはまらない。可能な限り出現した存在の正体を探ろうと探知の魔法を励起する。その間、せめて怪物を足留めしなければならない。
「ビルデリア公爵殿! ご指示をッ!」
「あ、あぁ……」
無礼を承知で叫んでみたが、リーダーであるはずの中年の騎士は混乱したままだった。顔は青ざめて適切な指示を下せない。戦場の英雄と言われて久しい栄光は見る影もない。
「……ふん」
魔法騎士リーデンハイアットはその様子に鼻で小さく嘲笑う。
叩き上げの武人であるビルデリア公爵殿は確かに戦士としては勇猛だ。しかし、それは人間相手の戦における、馬上での活躍に限ったこと。
このような非正規戦――街中での突発的な『闇の眷属』との戦闘にはまるで不慣れであるばかりか、咄嗟の判断を下せない。
更に、部下である女騎士エリザベートを失い、現場指揮官としての監督責任と叱責を恐れていると見て間違いない。
ハイアット・ニクロスア辺境伯に忠誠を誓うあの女騎士は、辺境伯の姪っ子にあたる。おまけに王国騎士団に所属し、白薔薇騎士の称号さえ得ているのだ。
こんな街中の、怪物の討伐戦で失って良い人材ではない。
だが、それさえも魔法騎士リーデンハイアットにとっては承知の上。無能な上司を追い落とし、目障りな女騎士にも謀反の罪を被せ、ご退場願う。
――あとは、あの計画を実行に移せばいい。
魔法騎士リーデンハイアットは頭脳を高速回転させて状況を読み、自らの次の行動を計算する。
だが、ここで不確定要素が、加わった。
謎の怪物が、もう一体、飛び込んできたのだ。
他の者達は気がついていないが、どう見ても「赤毛の少女」と同種。あるいは上位種の魔物か何かの類だ。
大男の化物は派手に出現した時とは一転。沈黙したまま首を左右に動かして、辺りを観察しているようだった。
ただの怪物ではない。明らかに知性のある者の動き。状況判断をし、冷静な戦況分析を行っている。
そして土煙が晴れ始めると同時に、赤い肌の巨体が地面を蹴った。ドウッ! と爆発的な速度で跳びかかると、並んでいた聖盾兵達に襲いかかった。
「ゴァガァアアアアッ!」
「お、ぉおお!?」
「攻撃、攻撃開――」
兵士たちが槍を構えた瞬間。持っていた巨大な刃物――剣とさえ呼べない金属の板のような鉄の塊――で、一閃。
真横に薙ぎ払うように聖盾兵達の武器と盾を吹き飛ばした。
「ぐあぁああ!?」「ぐわっ!?」
バキバキと槍がへし折れ、一気に5名の兵士たちが宙を舞った。そして魔法で強化していたはずの聖盾が粉々に砕けた。
「武器と防具を……破壊!?」
衝撃に吹き飛ばされ、身動きの取れない兵たちを尻目に、角の生えた赤い怪物は跳ねるようにバックダッシュすると、倒れていた赤毛の少女を抱え上げた。
体格差からみて父と娘なのか、あるいは夫婦なのか。明らかにオスとメスの二体の怪物は、誰の目にも同種族だとわかった。
「カヨ……モドルゾ」
「……ん……?」
気を失っている赤毛の少女を軽々と抱えあげると、周囲を一瞥。
「……オメェは……」
そこで女騎士が血の海に倒れているのを目にすると、僅かに表情を固くした。そして傷口から立ち昇る黒い瘴気から、致命傷だと理解したようだった。
黒い瘴気は呪詛が揮発したものだ。
すると、角の生えた怪物は、大勢の中から魔法騎士リーデンハイアットをギロリと睨みつけた。
――なっ!?
まるで魔眼に射抜かれたかのように、悪寒を感じ身動きが取れなくなった。我知らず、魔法騎士リーデンハイアットの奥歯が僅かにカタカタと鳴った。
「ンヌァが? ワガネじゃ。悪ぃヤツぁ……おめえだべェ?」
ドスの利いた地の底から響くような声だった。
言葉の意味は不明瞭だが、「お前の仕業だな」と言っていることだけは直感できた。
「ひ……?」
巨大な金属の剣――ナタの切っ先を、静かに構える。だが、襲っては来なかった。睨み合いは僅かな時間で終りを迎える。
「んだども、おめぇは次だぁ」
青白い光を発していた「扉」が徐々に消え始めるのを察したのか、赤い肌の二体の怪物たちは、巨体を翻して、青く光る扉の中へと飛び込んだ。
シュッ……と姿がかき消える。
「お……追え、お、追えぇえ!」
ビルデリア公爵がようやく我に返ったかのように剣を抜き、消えてゆく扉を指し示した。だが、兵士の誰も動かなかった。
「……いえ、ビルデリア公爵殿、壁の中までは……追えますまい」
魔法騎士リーデンハイアットは乾いた笑みを浮かべ、皮肉を言うのが精一杯だった。
◆
星々の中を飛翔する様な光景が続く異空間のなか、佳代は小五郎の温もりを感じていた。二人の意識は帰還の途にあった。
「生きてらが?」
鬼の顔をした小五郎が優しく問いかける。
「……死ぬとこだったんだから……」
「んだな。危ねぇトコだったべ」
死のゲームを体感した気分だった。
「でも……どうしてあの世界に……?」
「面をかぶり直した。オラの命のストックを一つ代償にした」
「……?」
「それに取扱説明書、『武威作戦帳』っつうのが、ツヅラの中にあったからな……」
言葉の意味はよくわからなかった。けれど小五郎は助けに来てくれた。
佳代の好奇心が招いた苦痛も、失われた犠牲も。責めはしなかった。
「……ありがと……コゴローちゃん」
「いいって、オラが止めるべきだったんだ」
<つづく>




