秋田男鹿半島から来た男
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寒風山から吹き下ろす風は冷たい。
秋田県男鹿市――日本海を望む男鹿半島のとある集落。
船木小五郎が「それ」に出会ったのは、自宅の敷地裏に建つ古い蔵の整理をしている最中だった。
何百年もつづく旧家である船木の蔵は、様々な物で溢れかえっていた。歴史が地層のように積み重なり、整理整頓をしているだけで時間旅行をしている気分にさせてくれる。
「痛ぇ……てて!」
ゴツン、と梁にまた頭をぶつける小五郎。
身長180センチの大柄な身体では、狭く暗い蔵の中を動き回るのは辛い。
少年の頃は冒険の出来る良い遊び場だったが、30歳を過ぎてからはめっきり訪れることも無くなっていた。
ここに来た理由は大晦日の準備のためだ。
正月用の古い掛け軸や、朱塗りの食器や椀。
そして大晦日の伝統行事である『ナマハゲ』の衣装を探すために足を踏み入れた。
外界から隔絶された蔵の中は暗く、埃と古びた木々の匂いがする。
蔵の入り口から入ると、まず昭和のアイドルのレコードの棚と、巨大な音響機器が目に留まる。他には動かないバイクが3台。ここまでは親父の時代の代物だ。
更に奥へ進むと鉄兜や無造作に吊り下げられた軍用のコート。埃をかぶったブーツがある。祖父の時代の遺品らしい。
その先はさらに大正、明治、そしてそのまた昔の品物が積まれている。ここまでくると骨董的な価値もありそうだ。
木製の農機具や、何が入っているか不明の「葛籠」がいくつも置かれている。
どれもこれも時間が止まったかのようだ。
「あった、これだべか。……ん?」
小五郎が葛籠の中に朱塗りの椀、重箱をを見つけた時だった。
奥の壁に隙間があるのを見つけたのだ。今まで気が付かなったが、僅かに開いた壁の向こう側は暗く、空間になっているようだった。
「おいおい? まさか隠し部屋、座敷牢とかじゃねぇべな?」
力任せに開いてみると扉が開いた。そこは細長い場所で、幅は1メートルほど。奥行きは……5メートルぐらいあるだろうか。
懐中電灯で照らしてみると、細長い隠し部屋のようだ。
一番奥にはまたしても「葛籠」が、いかにも宝箱、というように置かれている。
気になるのはその横に別の「引き戸」があることだ。
場所的にここは蔵の一番奥だ。もしかしてその引き戸から、外に出られるのかもしれない。
久しぶりにドキドキする。
少年の頃、蔵に忍び込んでは父に怒られたことを思い出す。お宝の山、夢のある場所へ、今また戻ってきた気分だ。
小五郎は大きな身体を暗い小部屋へと滑り込ませた。
まず、手前に合った謎の「引き戸」には何やら紙が貼ってある。
――異……界ヲ救…… 昭和拾八
「読めねな」
筆跡は祖父のものに似ている気がした。
悪霊を封じ込めた御札でないことにホッとする。
次に「葛籠」を開ける。
まさに中学生の頃にハマっていたファミコンRPGの宝箱だ。持ち上げてみると鍵はかかっていない。あっさりと開く。
だが、中に懐中電灯の光を当てて思わず悲鳴をあげた。
「わっ!?」
そこに鬼の顔があったからだ。勿論、すぐに鬼の面だと気がつき、小五郎はバツが悪そうにその面を手に取った。
二本の角が禍々しい。
堀の深い眉根に、暗い眼窩。頬は盛り上がり、恐ろしい口からは牙が上下に生えている。朱はかなり剥げているが、赤鬼の面だ。
「ナマハゲの面だじゃな……相当古いべ?」
カサカサと音をたてる髪の毛は麻糸だろうか。獅子のたてがみのような髪がすごいボリュームだ。
その時。
無性に被りたい気分になる。
本能がどこかで「ヤバくねぇか?」と警告を発しているが、被るのをやめられなかった。
小五郎は面を被る。これが石仮面ならままさに「人間をやめるぞ!」という瀬戸際に立っているわけだが。
「こんなにしっくりくるナマハゲの面は……はじめでだぁ……」
恍惚とする小五郎。まるで自分が、鬼に、ナマハゲになっていくかのような錯覚さえ覚える。
葛籠の中にはもう一つ、銀色の「ナタ」が鈍い光を放っていた。
ためらいもなく手にとって、小五郎は息を飲んだ。
「本物だじゃ……!?」
祭り用のダンボール製ではない。重い鉄の塊だ。刃先は錆さえ浮いていない。純鉄なのか合金なのか。不思議な輝きに魅入られてゆく気分になる。
と、その時だった。
横にある「引き戸」が光を放ち、カタカタと揺れた。
そしてかすかだが、女の泣くような、助けを求めるような『声』が聞こえたのだ。
「まさか……!?」
小五郎は肝を冷やしながらも、体が勝手に動いていた。
蔵の奥の謎の小部屋で、女の声。普通なら腰を抜かして逃げ帰ってもおかしくはない。だが、なぜか、大丈夫だ、救わねば。という熱い想いが身体を突き動かしていた。
自分は今――ナマハゲなのだから。
ガラッ……と扉を開けると、目がくらんだ。
闇と、吹雪と、青白い光が、ドウッ……と吹き込んで思わず目を閉じた。
今は昼間、快晴だったはずなのに?
――神様……お願い。
再び、願うような、祈るような。不思議な少女の声がした。
小五郎は頭の片隅で思い浮かべた疑問の答えを求めるよりも先に、自分がなすべきことを理解した。
身体が動く。目をなんとか開け、青白い闇の中で腕を伸ばした時、自分の腕を見てギョッとした。
鬼だ。
鬼の腕だ。
もともと小五郎は大柄だが、ここまでの筋肉は付いていなかった。力士の腕のような筋肉が軽々と、ナタを持ち上げている。
脚も太く、自分がまるで超人になったかのように軽々と闇の中を疾駆している。
やがて『扉』が見えた。
吹雪の中、空間に浮かぶ、青白い輪郭を扉だと判断する。
助けなければ。
悪を成敗しなければ。
俺はいま、ナマハゲなのだから。
小五郎は、青白い燐光を放つ扉に手をかけ、思い切り開けた。
そして叫ぶ。
『泣く子は……いねぇがぁああ……! 悪ぃ子はぁ、いねぇがぁああああ!?』
そこは、異界だった。
馬車が燃え、中世の絵で見たような鎧を来た薄汚い男たちが10人ばかり、ギラギラと光る両刃の直刀を構えている。
そして転がる死体。
盗賊が馬車を襲ったのだと、余程のバカでもない限り見ればわかる。
小五郎の登場に、唖然、呆然としているが、盗賊たちの瞳には明らかな敵意が浮かぶ。
そして、すぐ目の前では美しい金髪の少女が一人、泣いていた。
絶望で疲れた表情を向け、そして――死の覚悟を浮かべている。
美しい青い瞳から涙が零れ落ちた。
『オラを呼んだのは……おめぇが?』
小五郎は、少女が答えるよりも先に、怒りの炎が全身を駆け巡るのを感じていた。
吹雪を感じながらも焼けるように熱い。
じっとしていられない。
熱い。
悪いヤツを……首を切り落とさねば、と。
二人の盗賊が剣で斬りかかってくるのが見えた。まるでスローモーションだ。引き伸ばされた時間の向こうから、滑稽な動きと表情で、剣を叩き込もうとしている。
小五郎は、情け容赦無く、手に持った『ナタ』を横に振った。
驚くほど軽い。鋭く一閃すると首がもげた。
『泣く子は……いねぇがぁああ……! 悪ぃ子はぁ、いねぇがぁああああ!?』
腹の底から叫んでいた。
少女を救い、悪を断つ。
なぜなら俺は――ナマハゲなのだから。
◆
<つづく>