嗜虐と、女騎士の涙
意識が遠くなる。
「うっぐ痛ぇ……ッ……!」
魔法の剣で貫かれた腹からの出血が止まらない。
ナマハゲとしてこの世界に転移した火煉に与えられていたのは、驚異的な身体能力だけではなかった。
それは肉体の再生能力の高さだ。かすり傷や、炎の魔法で焼けただれた両手の火傷でさえ、まるで逆再生のようにみるみると復元してゆく。その再生速度ならば、腹部を刺されたとしてもすぐに塞がるかに思えた。しかし、肉体がいくら再生しようとしても、何かが阻害している。
傷が再び開き、激痛で意識が薄れそうになる。
――あの剣に毒……いや、何か魔法が仕込まれてやがるのか!?
「この剣は『黄泉の祝福』といって、殺傷能力を高めるため、敗血症と体組織の壊死を急速に引き起こす、呪殺の魔法を仕込んでいるのですよ」
ニタリと暗い笑みをこぼす。
魔法騎士リーデンハイアットが火煉と女騎士を刺し貫いた剣は、ただの剣ではなかった。淡々とした口調で語るその目は、氷のように冷たい。苦しむ火煉を虫けらでも眺めるように見下ろしている。
嫌な気配はこの男からも発せられていた。
あの三つ首の化物『闇の眷属』と同じ、黒い瘴気のような腐臭にも似た嫌な気配だ。何か魔法のアイテムとして身につけているのだろうか、内側から漏れ出してきている感じがする。
「くそ、てめぇ……!」
「闇の呪法が、お前のような化物にも通じるようで何よりだ」
僅かに前かがみになると、小声で火煉にだけ聞こえるように言って、そして嗤う。火煉が両腕で上半身を起こし、怒りに燃える瞳で魔法騎士を睨み返した。
そのまま震える両手を冷たい石畳に押し当てて、渾身の力で立ち上がろうとする。
「ぶっ……殺してやる……!」
「しぶとい化物だ」
魔法騎士リーデンハイアットは手に持っていた魔法の剣を、くるりと逆手に持ち変えると、容赦なく火煉背中に突き立てた。
「ぐあっ! が……あぁ……ッ!」
冷たい剣先が背中を貫通し肺に達する。激痛を感じる間もなく、同時に呪いの魔法が、毒ガスを体内に流し込んだような苦痛を与える。
更に赤毛の少女の身体を脚で蹴飛ばした。ゴロゴロと地面に転がされた火煉の横には、金髪の女騎士エリザベートが倒れ伏していた。
顔から血の気は失われ、もはや息も絶え絶えだった。
ただの刀傷でここまでのダメージは負わないだろう。あの呪いの魔法剣で刺し貫かれたのだ。
ハマハゲとしての再生能力で辛うじて耐えている火煉とは違い、生身の人間であるエリザベートにとってはもはや致命傷だ。
「すまない……カレン殿……」
手を伸ばし、火煉の腕に触れる。その指先は既に冷たくなり始めていた。
「お、女騎士……さん?」
「こんな、つもりでは……なかったのだ。共に……『闇の眷属』を……倒せば……」
「ですから、反逆の騎士エリザベート。貴公は戦いの最中に、敵に通じていた! あの『闇の眷属』に前回もエリザベートは遭遇した。何故、また偶然にも、都合よく、このように街なかで遭遇するのですか? おかしいと思っていたのですよ、最初から」
周囲で唖然とする戦士団や、呆然自失でへたりこんだ道化の騎士に、聞こえるように、高らかに声を上げるリーデンハイアット。
明らかにエリザベートに何からの非があるかのように思わせる、印象操作だ。
「……ぐ! てめぇこそ……臭いんだよ、てめぇの胸に……隠している黒いヤツは……何だってん……がはっ、げほっ、げほ!」
火煉は絞り出すように声を出した。しかし肺の血でむせ返る。苦しい、本当に死んでしまう。
「ア、アンタ、何いって……?」
火煉の言葉が耳に届いたのは、カマキリ顔の道化の騎士、イグニールただ一人だった。
女騎士エリザベートを抱き起こし、腹に手を当てているが血は溢れ出す一方だ。それどころか溢れ出した側から黒く変色し、ドロドロに変わってゆく。
「そ、そいつも同じ臭いが……するんだよ! 『闇の眷属』とかいう……アレとな!」
「え? なに……を?」
カマキリ顔の騎士には理解できなかったようだ。
「イグニール、化物の戯言に耳を貸すな」
「うがアッ!?」
魔法騎士リーデンハイアットが忌々しげな表情で、火煉の肩に剣を突き立てた。
三度、呪いの魔法剣で突き刺しても息絶えないしぶとさに驚嘆し、嗜虐的な笑みを口元に浮かべたのを、火煉は見逃さなかった。
――痛いよ……痛いッ……!
意識の奥底で、ナマハゲの魂――コアとでも呼ぶべき佳代が悲鳴を上げた。
というか、死んだら……どうなるんだっけ?
確か小五郎の話では、戻れる……と。
でも火煉の身体と意識は、元の世界に戻る気配が無い。小五郎の被ったナマハゲの面を好奇心で被ったばかりに、呪われてしまったのかもしれない、と一抹の不安が鎌首をもたげてくる。
「何をしているリーデンハイアット! これは……いったい何の真似だ!?」
怒号と蹄の音を響かせながら、騎士ビルデリアが馬で駆け戻ってきた。リーダー格である中年の騎士は、三つ首の『闇の眷属』を火煉が爆砕した余波で、通りの向こう側に取り残されていたのだ。
続く魔法騎士の魔法による爆発で、通りは瓦礫で塞がれてしまった。そして路地を迂回して戻っててみれば仲間割れの様相だ。女騎士とカレンが血の海に沈んでいる。あまりの凄惨な現場に、普段は冷静な騎士も驚きを隠せない様子だ。
「ビルデリア公爵、この女は敵に通じ、謀反を企んでいました。私は身の危険を感じ……やむなく反撃したまでのことです」
「ばかな!? エリザベートに何の非が……! しっかりしろ」
「証拠はその赤い髪の少女です。人間の姿を真似た怪物と通じておりましたのは、ご覧になったでしょう? 闇霧の神――グ=ネテゥープさ……の使徒に違いありません。王国に仇なす危険な存在かと」
「貴様、正気か……?」
「正気ですとも。私は王国に、国王陛下に忠誠を誓った誇り高き魔法騎士」
魔法の剣をヒュッ、と眼前に掲げ背筋を伸ばすリーデンハイアット。剣は二人分の血糊でドス黒く汚れている。
その場に居た誰もが魔法騎士リーデンハイアットの言葉を明確に否定できなかった。少なくとも火煉は、『闇の眷属』と断定はできないものの、未知の驚異なのだから。
「……カレン殿。ゆるして……くれ」
「ちょっ……まって……ねぇ!」
涙がつぅ……と、女騎士エリザベートの瞳から流れ落ちた。
スローモーションのように、涙の粒が石畳に零れ落ちるのを、火煉はただ、息を呑んで見守るしかなかった。
エリザベートはそのまま息絶えた。
「……さて、残るはこの赤毛の化物の処遇ですが、どうしましょう? 私の正義の剣で幾度となく刺し貫いても死なぬとは、よほど業が深いと見える。首を切り落とすしかありませんね」
じりっ……と、魔法騎士リーデンハイアットがにじりよってくる。
黒く汚れた剣先を火煉の眼の前に見せびらかし喉を鳴らすと、舌先で唇を舐める。
「てめ……ェ」
「まず、その目が気に入らない」
剣を軽くもちあげて、火煉の眼球に狙いを定めた。
「あ……」
動けなかった。全身の血肉が腐ったかのように、体がいう事を利かない。
――もう、ダメ。
その時だった。
カタカタ……と、地面に落ちていた金棒が音を立て始めた。
振動はやがて、石畳や周囲の建物にも伝播し、カタカタ、コトコトと細かな音を響かせ始める。
「……なんだ?」
更に、ゴゴ……ゴゴゴ……と次第に音は大きくなり、地鳴りのような音がどこからともなく響きはじめた。
その場に居た誰もが異変に気が付き、ハッとして動きを止める。
ゴゴゴ、ガガガ……ゴアァアアア!
地鳴りはやがて明確な音として、その場の全員の耳朶を強烈に震わせ始めた。
――イネァ…‥ガァアアアッ!
「なんだ!? これは……!」
「いやまて……これは……叫び声……!?」
地鳴りと叫び声のようなものが、一帯を震わせた。ガタガタガタガタ……! という振動と共に、魔法騎士のすぐ横の何かの扉が輝きを放ち始める。
ズゴォオオオオオオ……!
次の瞬間。
扉が粉々に吹き飛んだかと思うと、すさまじい叫びが溢れ出した。
「――泣く子ハァアアアア! イネァ……ガガガガガァアアアッ!」
それは怒り。憤怒そのもの。
暴風のような、荒れ狂うナマハゲの怒り、正義の叫びの爆発だった。
「こ………コゴローちゃん……!?」
<つづく>