黒霧の邪神と『闇の眷属』の正体
足先で屋根瓦を蹴り上げて、金棒でノック。
「――ふんぬッ!」
ギィン!
鋭い音とともに金棒の中心で打ち砕かれた破片は、散弾と化す。
距離にして15メートルほど離れた位置にいる三つ首の怪物、『闇の眷属』に即席の散弾が命中する度に血煙が迸った。
『ぬっギャア!?』
『神ニィ逆らウグッ!?』
「うっさい、しね!」
まるでショットガンで撃つがごとく、次々とノックで屋根瓦の散弾を叩き込む佳代。
複数の手足を持つ怪物は、着弾の衝撃をうけて体をのけぞらせた。苦痛に喘ぎ一歩、また一歩と、徐々に背後へと押されてゆく。
「おまえさ、初戦の相手にしちゃキモいんだ……よっ!」
ギィン!
佳代が金棒を振る腕前は、高校時代にソフトボール部のレギュラーだったことが影響している。
やや落とした腰、しっかりと踏みつける軸足に、身体の中心軸の回転の滑らかさ。肘から入る腕の振り。流し打ちだが打球――否、散弾の弾道は正確無比だ。
ナマハゲ娘による中距離攻撃、一方的なアウトレンジ攻勢がつづく。
――けど、あの二つの頭をブッとばさなきゃ……終わんないんだよね?
致命傷にはならない。焦りが滲み始めた、その時。
3対の手足を持つ怪物が、跳ねた。ひらりと身を翻すと逃走を図ったのだ。散弾を避けるように屋根沿いにかけ降りて、暗い路地へと着地する。
「しまった!」
佳代は慌てて屋根の縁へと駆け寄った。二階の屋根の上から見下ろすと、怪物がワサワサと動き始めていた。
ここから飛び降りて追うべきか。それはさっきの身体能力から考えても大丈夫だろう。けれど慣れない高さに一瞬の躊躇いが生じてしまう。
その時だった。
馬の嘶きと、蹄鉄が石畳を踏みつける音が近づいてきた。ガシャガシャと物々しい武具の音も交じっている。
「――いたぞ! あそこだ!」
「目標視認! 第二分隊、東通りから回りこめ! 急げ!」
暗い路地の向こうから、現れたのは馬に跨った騎士が数騎。まるで照明弾のような明かりを次々と怪物の頭上で光らせた。
「あれって、街の衛兵とかってやつ?」
佳代は思わず屋根の上に身を隠した。様子を見るべきと踏みとどまる。
自分の今の姿では、むしろ一緒に退治されてもおかしくはないのだと冷静な判断を下す。
屋根の上から数えると、騎乗した騎士は4名。全員が全身を銀色の甲冑をまとい、白いマントをなびかせている。
中世の映画やファンタジー世界で出てくる騎士様そのものだ。
「凄い。本物の騎士だわ、かっこいい」
手にはロングソード、あるいはハルバートのような長い柄の斧状の武器を持っている。
更に、後ろからは騎士よりもずっと簡素な鎧とヘルメットを身につけた兵士たちが10名ばかり小走りでついてくる。腰には武器を下げているが、両手で大きな銀色の盾を構えている。彼らは統率の取れた動きをみせながら、路地を封鎖するように壁のような陣形を整える。
『ヌ……ぅ? 邪悪な使徒どもォゥオオオ』
『ワレラの……思想を、美しき理想を邪魔ァアアスルゥウウ?』
怪物が全身から赤黒い汁を垂らしながら、二つの首でゴキ、ゴキン……と兵士たちを憎々しく睨めつけた。
「う、わぁ……!」
「怪物だ」
「うろたえるな! 聖盾兵、陣形を整えろ!」
「第二分隊、背後からも囲みこめ!」
兵士たちは異様な怪物に一瞬だけ怯むが、騎士たちはまったく怯む様子はない。矢継ぎ早に指示を出す。陣形を整え、逆方向の路地からも4名ほどの盾を構えた兵士たちが現れて壁を築く。
盾は何か特殊な仕掛けでもあるのか、表面で複雑な紋様が光り輝いている。
『ウ……グ?』
『忌々しい、ペケレテゥープの加護ォオ……』
怪物が不快そうに腕を交差させ、顔を覆う。
騎士の一人が馬を操りながら、細いタクトのような棒を振った。そして空中に緑と青の光輝く魔法円のようなものを描いてゆく。光の軌跡は空中にホログラムのように留まりながら、複雑な紋様を浮かび上がらせた。
――なにあれ……魔法!? 凄い!
佳代は思わず屋根の上から身を乗り出した。やはりこの世界は特別な異世界なのだと実感する。
「……目標特性判定! あれは……人体3体で構成された複合体」
「通報どおり、夜会をおこなっていた邪神ネテゥープ教徒、ゲマインシャフトの成れの果てか」
「『闇の眷属』と断定。侵食率は……ステージC」
「残念だが、滅殺以外に無いな」
鎧を着たリーダー格らしい騎士が言う。
ヘムルで顔は隠れているが、中年男性の落ち着いた声だ。
「心の奥底まで喰われるとは……おぞましい姿ね」
今度は若い女性の声だった。スラリ、と細身の剣を抜く。体つきは細く、鎧もそれに見合う手の込んだ意匠が施されているのがわかる。
「エリザベート。貴公はさがっておれ。ここからは儂らの出番だ」
「ビルデリア侯、私も是非お力を」
「上流階級の御息女さまには、こういった現場は辛かろう。……というビルデリア侯のお心遣いですよ、お嬢様」
一番背後に居た騎士の一人が、どこか小馬鹿にしたように軽口を叩く。
「黙れイグニール、白薔薇騎士の称号を持つこのエリザベートを侮辱すると、貴様とて許さぬぞ」
「まぁまぁ……そうカッカなさらず」
――勇ましい女騎士ってやつね。ゴローちゃんが好きそうねぇ。
佳代はしばらく見学することにする。
もしあの騎士たちが化物を退治したら、この試練はどういう判定になるのかしら? と一抹の不安もある。けれどここから飛び降りて、怪物の頭を殴り砕くのは得策とは思えない。そのまま騎士たちの討伐対象リストに加えられるのは間違いない。
「エリザベート殿、あれは黒魔晶石の過剰摂取により身体が癒着している。もはや、あれは人ではない。近づくだけでも危険な相手ですぞ」
「ビルデリア侯、お心遣いは嬉しいが、あの手合との実戦経験は私とてある」
「ほう……では、騎士として戦うと申されるか」
「無論です」
迷いのない声で、女騎士エリザベートが馬上で姿勢を正す。
「お待ちをエリザベート様、ビルデリア侯。……あの個体、既に頭部の一部が破壊、構成体もかなりのダメージを負っています」
魔法騎士が進言する。
「……何?」
「既に別の何者かと、戦闘を行った後と推測できます」
魔法騎士がタクトを振り、別の魔法円を重ねてゆく。
「別の個体が潜んでやがるのか? 索敵魔法の範囲を広げろ、リーデンハイアット」
リーダー格の騎士、ビルデリアが指示を出すや、魔法騎士リーデンハイアットが魔法円を弾けさせた。
キィン……! とまるで短信音のような、衝撃波のようなものが空中を伝播した。
「…………屋根の上……! 判定不能個体が一体!」
――見つかった!?
<つづく>