ナマハゲの祟り
◇
ナマハゲの仮面を被った佳代は、自分の身に異変が起きないかと待ち構えた。
小五郎が言うとおり、意識だけが異世界に跳ぶ。そんな不思議な事があるのだろうか。単なる与太話か、あるいは自分を「からかって」いるのかもしれない。
だが小五郎の真剣な様子に、ただならぬ物を感じたのも事実だった。
――私が確かめてあげるよゴローちゃん。
異世界トリップのような現象が起こるなら、きっと何か仕掛けがあるはず。例えば幻覚を見るような薬が仕込まれているとか、目の部分から入る光が何かの暗示をかけるとか。
伊達に女を30年もやっているわけじゃない。この年になると肝も座り、大抵のことでは驚かなくなる。
お涙頂戴のドラマなんて鼻で笑っちゃうし、若手アイドルも心ときめかない。
こんな事じゃいろいろダメだとは思いつつ、どうにも後ろ向きで、面倒くさくなっている自分が居た。
離婚したのだって、そう。
元旦那の浮気が原因だったが、全て面倒臭くなった。裏切られた辛さ、悔しさ、やるせなさ。そうした煩わしさから逃れようと、この田舎に戻ってきたのかもしれない。
いろんな事から逃げ出したかった。
逃げて逃げて。
ようやくたどり着いたのは、嫌で飛び出した筈の男鹿半島にある、故郷。
そして運命とは皮肉なもの。密かに想いを寄せていた小五郎と再会。今は何故か二人、まるで胎内のような、薄暗くても静かで温かい蔵の中。
人生ってわからないものね。
佳代はそんな事を考えつつ変化を待った。
自分を変えてくれるような、何かを。
だが、時間だけが過ぎてゆく。
ナマハゲの仮面に、不思議な力が宿るなんて、本当にあるのだろうか?
「何も起きないじゃな……」
その時。
チカッと目の前で何かが光った。
ナマハゲの仮面に開いた「両目」から覗くと、風景が歪んで見えた。
――えっ……?
蔵の中に居たはずが、まるで夜景のような青い透明感のある闇を背景に、星の瞬きのような灯りが幾つも見えた。
そういえば、傍に居るはずの小五郎の気配がない。
異変が起これば仮面を外してくれるはずだったが、何かおかしい。少し不安になり声をかけてみる。
「ゴローちゃん? ……ねぇ? 何か……変なんだけど」
呼びかけたが返事がない。
それどころか、生ぬるい風が全身を撫でた。
「――きゃ、何……これ!?」
次の瞬間、頭に被せられていた布をサッと取り払われたかのように、目の前に風景が広がった。
例えるなら「覗き穴からそちら側に出てしまった」といった感じがした。
佳代は、青白い闇の中へ突然放り出されたみたいによろめいた。何故か目の前に、中世ヨーロッパのような街並みがあった。
気がつくと佳代は、建物の屋根の上に立っていた。
「きゃぁあ!?」
素足に感じたのはザラザラした感触。どうやら素焼きの瓦だ。自分がいるのは赤茶色の「屋根」の先端部分だと気がつく。
蔵の中に居たはずが、いつの間にか何処かの家の屋根の上に立っていた。
「ちょっ!? はぁあぁっ!?」
思わずバランスを崩しそうになり、腕をぐるぐる回してなんとか踏みとどまる。
――あれ? 手が細いし……きれい?
思わず佳代は自分の腕を二度見した。
少し赤い皮膚。細い二の腕にひじ。肘の裏側の皮も伸びていない。まるで10代のころの肌できめ細かい。
腕の先、手には大きな革の手袋を嵌めている。拳の部分、ちょうどナックルに金属の刃が4本、猫の爪のように飛び出て並んでいる。
「うっわなにこれ!? てか、コスプレ? いつの間に。えっ!? ていうか私……若くなってない?」
確かめようと自分の太ももを見た。
「ゲエッ!?」
細い。
恥ずかしげもなく大胆に、生脚を露出していた。20歳を越えてから人前に晒したことの無い脚が丸見えだ。しかも穿いているのは黄色と黒の縞模様、虎柄のミニスカートだった。
スネ部分には同じ柄のスパッツを巻いている。爪先は裸足ですこし鋭い爪が見える。
なんだかとてもこっ恥ずかしい格好になっていた。
そして驚くべきは胸の部分。なんとなく予感はしていたが、案の定ビキニだった。
黄色と黒の縞模様。その上に金属製の板金が縫い込まれている。
つまり、虎柄のビキニアーマーだ。
「……ッくはぁ!?」
もう嫌な予感しかしない。
顔と頬を恐る恐る触ってみる。すると額からは手袋越しにもわかる、ふにふにの柔肌。
風に揺れる赤い髪はさらさらのストレートヘアー。頼んでもないのにまるで少女の髪のように艷やかで、長さも腰まで伸びている。
「いっ、いやぁあああ!? なにこれ!? ナマハゲの呪い!? 女人禁制を破ったから!? ひぃええ!?」
佳代は頭を抱え、屋根の上でのけぞった。
と、そこで額から二本の角が生えていることに気がついて、更に愕然とする。
「鬼っ娘!? これ、最近はやりのVRかアバターみたいな? にしたって……これは、ひどい悪夢だわよ」
おまけに背中が重い。手を伸ばすと、金棒……のような、トゲの生えた金属棒だった。
装備は邪悪な金属製の釘バットのようなものらしい。
30を過ぎて出戻り、村に伝わる禁忌を犯したが故の罰なのか。あまりにも酷い仕打ちだと何処かに消え失せたナマハゲの面に中指を立てる。
と、生ぬるい夜風が佳代の赤い髪をなびかせた。
頭を抱えたまま立っている場所から見下ろすと、洋風の瓦屋根の家々がずっと向こうまで並んでいる。
壁は漆喰塗り。ドアも木製の洋風だ。灯りは透明なガス燈のようで、黄色く柔らかい光で路地を照らしている。
石畳の道が縱橫に通っていて、ローブを羽織った人や、馬車が明かりをともして行き交っている。
佳代が立っていたのは大きな街の中だった。かなり大きいらしく、行き交う人も多く、はるか向こうまで街並みが続いている。
所々にトンガリ屋根の塔がそびえ立ち、向こうに見える小高い丘の上には、いかにも王様が住んでいそうな、とても大きな城が闇を背景に白く浮き上がっていた。
夜空には月が二つ。赤っぽいのと、青っぽいのが浮かんでいる。
「こりゃぁ……ひょっとすると、まさかだわ」
ここがゴローちゃんの言っていた、別の世界……?
その時だった。
足元の通りが騒がしくなった。
「きゃぁ!?」
「出た!」
人々が叫び、悲鳴がした。馬が嘶き馬車が慌てた様子で蛇行する。
一瞬、佳代の存在に気がついた人々が騒いでいたのかと思った。
だが人々の視線や指先は、別の「何か」を追っていた。
「ぎゃぁあ!?」
「『闇の眷属』が……! 王都にまで!」
「なんてことだ!?」
悲鳴が更に大きくなる。
佳代には、黒い影が家々の隙間や路地を跳ね回るのが見えた。赤い霧のようなものがパッと散りガラス窓を汚した。
――何? 一体……『闇の眷属』って?
<つづく>