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泣く子とナマハゲ

挿絵(By みてみん)




 瞳の中で炎が揺れている。


 少女の目の前で馬車が赤々とした炎に包まれていた。

 無数の火の粉が不気味な黒い空に吸い込まれ、骸を照らす赤い光が現実感を失わせる。


 ――太陽の女神ペケレテゥープ、どうか……ご加護を。


 少女――ミカウラは女神に祈るしかなかった。


 周囲は深い森と闇。暗黒の眷属の時間。少女の儚い祈りなど届くはずもないのだが。


 馬車の乗客たちは盗賊の襲撃で殺されてしまった。ほんの少し前まで、一緒に笑っていた尊い命が失われた。


「逆らうやつは容赦するな、殺せ!」

「うぉぅ!」

 盗賊の頭目が燃える馬車の横で気勢をあげた。言われるまでもないとばかりに、手下が剣を振り上げる。

 だが、果敢にも盗賊に歯向かっている男がいた。

 抵抗している男は、たまたま馬車に乗り合わせた乗客の一人だった。

 元々腕に覚えがあったのだろう。襲撃された際、短剣一本で必死に抵抗を試みた。だが、多勢に無勢。奮戦も虚しく深手を負い今や瀕死の重傷だ。


「君、逃げ……!」

 男がミカウラの方を向いて叫ぶ。


 だがミカウラは既に盗賊の手に落ち、身動きが取れなかった。


 盗賊は、絶望磯に染まる男の頭に、容赦なく剣を振り下ろした。

「あぁっ……!」

 ミカウラはその光景から目をそらした。


 短い悲鳴を上げ地面に倒れ、男は息絶えた。地面に溢れ出した血が、炎に照らされた地面を更に朱に染めてゆく。


「へっ……! おとなしくしてりゃいいものをよ」

 盗賊は、勇敢な男の躯に唾を吐きかけた。


「ま、おとなしくしてても殺すのがオレらのやり方だがな」

「違ぇねぇ、ギャハハ!」


「酷い……なんてこと」

 生きているのはもうミカウラ一人だった。


 ヒューペルポリア王国の旅客馬車を襲った悲劇は、度重なる戦での混乱が尾を引くこの国ではよくあることだった。

 安価で定期運行している乗り合いの馬車は、まともな護衛を雇うこともなく、無理な運行をするのが常だったからだ。

 太陽の神ペケレテゥープの加護が弱まる日没後、街道は危険な場所に変わる。


 森から湧き出てくる魔物の類、魑魅魍魎。そして無法者たち――。


 王国の法の下で比較的安全とされたグリーンディア東街道で発生した盗賊の襲撃は、わずか10分で乗客8名の命を奪った。


「今夜の獲物はこれだけか? 王都からの疎開組にしちゃシケてやがんな」


 寄せ集めの甲冑を身に纏い、錆びた剣を持った無法者の頭目は、もと傭兵だろうか。値踏みするような鋭い視線で周囲を見回した。

 

 燃え落ちた馬車の周囲には、手下が乗客から奪った「獲物」が並んでいる。


 命乞いをした乗客から供出させた金品の入った革袋。身につけていた宝飾類。それに運搬中の乾燥肉とエール酒の樽が置かれている。


 それと――金髪の少女――ミカウラ。


 肩までの長さの美しい金髪に、派手さはないが整った顔立ち。恐怖に震えながらも、唇を強く噛み締めて必死に涙をこらえている。


「お頭ぁ、この娘はどうしやす? オレらの働きに免じて愉しんでいいっすかぁ?」

 盗賊の一人が、ヘラヘラと軽い調子でミカウラの頬を掴んだ。臭い息が顔にかかり、恐怖に身体が縮こまる。


「ヒヤァアアハハ!」

「こいつぁ上玉だぜぇ?」


 下卑た男たちの声に、絶望感が心を支配してゆく。後ろ手を縛られ、地面に座り込んでいたミカウラにはもうどうすることもできなかった。


 ミカウラが身につけている衣服は仕立ても良く、王都の中流階級以上の娘だろう。だが安価で危険な「乗り合い馬車」に乗っている時点で、無理をする事情があったのだろう。と、盗賊の頭目は鋭い眼で推察する。


「その娘は一番の金になる。価値が下がらねぇよう、そのまま連れて行くぞ!」


「お頭ぁ、そりゃねぇぜ……」

 おあずけを食らった部下たちが口々に不満の声を上げた。


 人身売買は王国の中でも重罪だが、今は乱世。少女奴隷を欲しがる変態貴族や危険な魔術の実験に使いたがる魔道士など、引取先などいくらでもいる。


「しかし、手応えのねぇ連中でしたでゲスね」


 頭目の腹心らしい道化服の男が死体を思い切り蹴飛ばした。不満を滲ませた仲間の前でケタケタと笑う。


「手応えも何も、勇敢な野郎以外は真っ先に命乞いだもんなァ」

「とんだ災難だったな、お嬢ちゃん」


 ゲラゲラと男たちが嗤う。


 ミカウラは恐怖に震えながらも、死んだ乗客たちや勇敢な男が天国へ召されるように祈った。

 短い馬車の旅で乗り合わせただけの間柄だった。けれど食べ物を分けあい、退屈な時間は身の上話をした。

 商売で儲けたお金を、故郷で待つ妻子に送り届ける途中だった初老の男。

 戦乱で息子を失い、失意のまま故郷へ形見を持ち帰る途中だった中年女性。


 そして、地方貴族の三女ミカウラも、病気の母に王都で手に入れた魔法薬を持ち帰る途中だった。


 大切な薬が入った袋は、腰にぶら下げてあった。


 なんとか、せめてこれだけでも母に届けられないだろうか。


「おぃ、娘。こりゃぁなんだ? 金か?」


 盗賊の一人がミカウラの腰に下げていた袋に気がついた。手を伸ばし袋を奪い去った。


「だ、だめ……! 返して! それは大切な」

「よこせコラぁ! 服ごとひん剥くぞ……ってなんだぁこりゃぁ? 草? 薬か……」


 乾燥した薬草に特別な魔法と祈りの込められた魔法の薬。母の病気を治す希望だった薬を、盗賊は地面に投げ捨て無慈悲に踏みつけた。


「あ、あぁ……」

「へへ、いい表情(カオ)だ、お嬢ちゃん」


 もう……ダメ……。

 何もかもが終わった。

 

 堪えていた涙が溢れ出した。頬を伝わり、赤く染まった地面へと落ちてゆく。まるでスローモーションのように涙の雫が地面ではじけた、その時。

 

 不意に『扉』が現れた。


「なっ!?」

「うぉッ!?」

「何っ!?」

 盗賊たちが一斉に叫び声を上げた。異変に気がつき飛び退くものも居る。

 淡い燐光を放ち、目の前に出現した物体――。


 それは間違いなく、人が通れるほどの大きさの『扉』だった。

 前触れもなく忽然と、その場に出現したのだ。


 ミカウラも盗賊たちの視線を追い、驚きに目を見開いた。


「――えっ?」


 珍しい木枠の扉は「引き戸」らしい。取っ手のあるドアが一般的な王国内では、見たことはないが、それは盗賊たちにもミカウラにも『扉』だと認識された。


 青白い光が周囲で揺らぎ、陽炎のように包まれている。


「なんだぁ、こりゃ……?」


 盗賊の一人が恐る恐る近づいた、その時。


『――泣く子はいねぇがぁああ……! (わり)ぃ子は、いねぇがぁああああ!?』


 まるで地の底から響くような怒声。


 扉が炸裂音とともに真横に開いた。同時に、目を開けていられないほどに、凄まじい勢いで冷気が吹き出した。


「うわっ!?」

「なんだぁっ!?」


 馬車で燃える炎を消し去るほどの風。白い雪が混じり、盗賊の一人が「魔物だ!?」と悲鳴をあげた。

 

 開いた扉の向こうから、爪の生えた手が伸びた。続いて巨大な黒い人影が、ぬぅ……っと姿を現した。

『ゴフゥ……!』

 マグマのように赤い皮膚、悪鬼と呼ぶ以外にない憤怒の形相。額から長い二本の角を生やし、竜のように大きく裂けた口からは、上下に牙が生えている。

 身体は盗賊たちよりも遥かに大きく、見るからに筋肉の塊だ。

 

 全身に稲妻のような血管が浮き上がり、ビキビキと手足の筋肉が脈動している。

 

 腰と身体には(ワラ)ミノを纏い、右手には武器を持っている。ギラリと殺気を放つ得物は、分厚い片刃の短剣――ナタだ。

 左手には木で作られた(オケ)を持ってる。


 まさに――異形。

 まごうことな怪物が出現した。


 赤い怪物は、ギョロリと周囲を見回した。そして盗賊たちと燃える馬車、そして死体を見咎めると、次にミカウラに視線を向けた。


『……泣く子は……おめぇが? オラを呼んだのは……おめぇが?』


 顔の赤い異形は、ギョロリと白目がちな小さな黒い瞳を向けた。口元が動き、人語(・・)を話す異形だとわかる。

 とはいえ何処の言葉だろうか。(なまり)が酷い。


「あぁ……神様」


 ミカウラは地面にへたりこんだ。

 奴隷として売られ、辱めをうけるくらいなら、ここで殺される方がいい……と覚悟する。


 訪れる死が盗賊の薄汚い剣から、恐ろしい怪物の牙に変わるだけ。


『オラを呼んだのは……おめぇが?』


「え……?」


 悪魔のような怪物が言葉を再び発した。その優しく問い掛けるような響きに、ミカウラは驚き、思わず目を瞬かせた。


『泣く子は……おめぇが?』

「あ、あなたは一体……?」


『――ナマハゲだぁ』


「なま……はげ?」


 ミカウラは聞きなれない響きを反芻した。


 一瞬、ほんの一瞬。異形の怪物が、醜い顔で微笑んだようにも思えた。

 それは、ミカウラの錯覚だったかもしれない。


「こりゃぁ……何かの召喚魔法か! 馬車の乗客の荷物に紛れていたか? かまわねぇ……殺れ、相手は一匹だ!」


 あまりにも突然の事態だが、盗賊の頭目は冷静に事態を掌握し部下たちに号令を下した。手勢は10人ほどもいる。圧倒的な戦力差があると判断した盗賊たちは、手に手に剣を構え一斉に怪物を取り囲んだ。


(わり)ぃ子はおめらがぁ? わがねじゃぁ』


 わがね、と言う単語を理解できなかった。だがミカウラは直感的にそれが「否定」だと理解できた。


 それは盗賊たちに対する、明確な否定(・・)


「何言ってやがる!」

「化物がッ! やるぞ」

「うぉああああ!」


 二人の盗賊が剣を上段に構え、左右から同時に斬りかかった。


 次の瞬間。


 一閃。


 角を生やした異形――ナマハゲ――は、右腕を横一文字に振った。

 ギラッと銀色の刃が光った。


 背後の扉から吹き込む吹雪に巻き上げられながら、首が2つ宙を舞った。


 盗賊二人は、首が胴体から離れたことに気がついただろうか? 目を見開いたまま、ドッ、ドッ……と音を立てて、生首が盗賊の頭目の足元へと落下した。

 


「んなっ!?」


 僅かに遅れて、首を失った胴体から真っ赤な霧が勢い良く噴き出す。ナマハゲに挑んだ盗賊二人の身体は力を失いその場に崩れ落ちた。


「ななな、なにぃいいいいいい!?」

「うっ、うぁああああああああ!?」


『泣く子は……いねぇがぁああ……! (わり)ぃ子はぁ、いねぇがぁああああ!?』


 異形が吠えた。

 丸太のような脚で地面を蹴ると、圧倒的な暴風のように、白と赤の嵐が吹き荒れた。


<つづく>


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