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都爾書店  作者: 燈花
1/3

前篇

 生温いわけでも、さりとて肌寒いわけでもない、ちょうどいい風が窓から入り込んでくる。つい先日までは不快に思うことも多かったのだが、今日はむしろ心地好い。

棚に並べられた古い本の匂いと、どこからか流れ込んでくる金木犀の香りが混ざり合い、穏やかな流れを作り出している。ようやく秋が訪れたのだと、どこか感傷に近い気分を抱きながら、年季の入ったページをゆっくりと捲った。

「そろそろ掃除を手伝ってくれませんか、店長」

「だが断る。というか、せっかくの雰囲気が台無しじゃないか。もっと空気読んでよ」

「それこそお断りです」

 静かで古めかしい店内の、汚くない程度に散らかったカウンター側の椅子に腰掛けて、年代物の本を物憂げに読む私。そんな最高のシチュエーションをぶち壊してくれた店員Aは、昭和の本屋さんが愛用しているピンクのはたきを手にしている。無表情が標準装備ながたいのいい男が掃除用具を持っている様は、見慣れた今でもシュールだと思ってしまう。ここまで似合わないと、いっそ清々しい。そうだ。どうせなら今度、純白のエプロンでも着けさせてみようか。言わずもがなフリル付きのやつ。

「……断固拒否します」

「まだ何も言っていないのに」

「嫌な予感がしたもので」

 店員は私から視線を逸らし、棚の掃除を再開させた。上から下へと、丁寧な手つきで埃を払う様子は中々に似合っている。

 彼が店員となってから、この店は格段に綺麗になった。多少ならちらかっていても問題ない私と違い、彼は新品のように綺麗にしないと落ち着かないらしい。まぁ、汚い店より綺麗な店の方がいいのは当然だが、客なんて殆ど来ないのだから、そこまで頻繁に掃除しなくともいいのではなかろうか。ついでに掃除用具を片時も手放さないのはいかがなものかと思う。

「君って、もしかして潔癖症だったりする?」

 ふと気になって尋ねてみたら、店員は途端に脱力してしまった。心なしか、はたきも先程よりだらんとしている気がする。

「ちょっ、どうしたのさ」

「……貴女は鳥並みの記憶力しか持っていないのですか?」

「ひどっ!」

 純粋な疑問をぶつけただけで、何故鳥頭と言われなければならないのだろうか。私が地味に憤慨していると、店員は重々しくため息を吐いた。

「僕が潔癖症であることは、最初にお会いした時に伝えているはずですよ」

「…………そうだったっけ?」

「えぇ。貴女は『そんなことどうでもいい』と仰っていましたから、覚えていないのも当然かもしれませんがね」

 どうやら既に聞いていた問いだったらしい。しかも初対面の時に。それは店員でなくとも脱力してしまうだろう。

「ごめん。次期店長候補が見付かって嬉しかったことしか覚えてない」

 私の謝罪に、店員はまたも深いため息を吐いた。どうでもいいが、ため息を吐いたら幸せが逃げるぞ。もしくは妖精が一匹死ぬ。彼らが生まれる条件は、赤ん坊が笑うことだったか。少子高齢化で赤ん坊が減っている昨今、妖精たちもさぞ大変な思いをしていることだろう。なるべくため息を吐かないようにしないといけない。

 そこまで考えて、店員からの鋭い視線をいただいた。

「嬉しく思うのは分かりますが、せめてもう少し覚えていてほしかったですね」

「はい、すみませんでした」

 くだらないことを考えていたのは認めるが、何も殺気を滲ませながら睨まなくたっていいじゃないか。そう思いながらも、そんなことを言えるような空気でもなく。どうしようもないままふてくされていると、扉に設置したベルの音が耳に届いた。私と店員の視線が扉に向くと同時、木製の扉がゆっくりと開かれ、気弱そうな顔の、綺麗めな格好をした女性がおずおずと入ってきた。

「いらっしゃいませー!」

 満面の笑顔と明るい声で出迎えれば、彼女は少しばかり体を引き気味に入ってきた。

……あれ? ここはお邪魔しますとか、こんにちはとか、そういう返事をする場面じゃないの?

「店長の調子に驚いているんですよ」

 店員はそう指摘すると、お客さんの斜め前に進み出て、綺麗なお辞儀をした。無論、手は胸元に添えられている。恭しささえ感じさせる仕草に、私もお客さんも見入ってしまった。

「驚かせてしまい、申し訳ありません。よろしければ、カウンターの近くへどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 店員の勧めに従い、お客さんがこちらへと近付いてきた。私は恐がらせないように微笑を浮かべ、改めて挨拶をする。

「こんにちは。都爾つじ書店へようこそ」

「……こんにちは」

 これで大丈夫だと思ったのに、彼女はまだどこかおどおどしていた。これでも駄目なのか。もっと店長らしく威厳たっぷりにいくべきだったかな。でも店員とは普通に受け応えできてたしなぁ。

 私の思考が変な方向へと進み、視線が俯きかけた時、ようやくお客さんが口を開いた。

「……あの」

「はい!」

 その口から出てきたのは求めていた返事ではなかったけれど、僅かでも反応があったことに嬉しくなる。にやけ顔になっていないかと心配しつつ、お客さんを見やれば、何かを言い渋っているようだった。

「…………過去を変えられるお店があるという話を聞いて、ここに来ました」

 搾り出すようにして発せられた言葉はどこか頼りなかった。彼女自身がその話を信じきれていないのだろう。だがそれでも、と。都市伝説にも似た話に頼りたいほどに変えたいと願って、この店を訪れたのだろう。

「そっか」

「そうかって……、え、あの」

「何?」

「本当に、変えることができるのですか?」

「できるよ」

 私があっさりと返事をしたからだろう。彼女の目が見開かれた。しかしそれも一瞬のことで、途端に安堵の息を吐いた。途端に柔らかな顔になる彼女に、ずっと緊張していたのだと悟る。

「その前に一つ確認したい」

 彼女がお礼か何かを言う前に口を開く。私の纏う雰囲気が変わったと気付いたのか、彼女は姿勢を改め、私と視線を合わせた。真剣な顔付きには好感が持てる。みんなこうだといいのにな、なんて考えながら、お決まりなった台詞を述べた。

「どんな方法を使ってでも、どんな結果になったとしても、今まで過ごしてきた日々を変えてしまいたいと願う?」

「……はい」

 僅かな間はあったものの、彼女は迷いなく言い切った。これならばいいだろう。

「分かった。ちょっと待っててもらえる?」

 私は椅子から立ち上がり、店の奥へと向かった。店員が椅子を勧める声が聞こえてくる。お茶でも用意した方がいいかな、なんて考えながら、二冊一組になった漆黒のハードカバーを手にした。表紙と背表紙、ついでに裏表紙も確認して、何も書き込まれていないことを確かめる。たまに気の遠くなるぐらい昔に使われたやつが混じっていることがあるから、大雑把にでも調べておかないと、後で困ったことになる。

 外側を指でなぞって、本当に何もないことを確かめてから、ついでに中身が白紙であることも確認する。何も書かれていないし、誰の手にも触れられていない。完全な新品であると納得して、ようやくカウンターへと戻った。

「お待たせ」

 店員と何かを喋っていた彼女の視線が私の持つ本に向けられた。困惑と期待を孕んだ瞳に笑みを濃くする。

「こっちとこっち、どちらがより過去に近いと思う?」

 左綴じの本と右綴じの本をそれぞれの手に持ち、彼女の前で掲げて見せた。私の仕草に戸惑っているのが伝わってくる。彼女は二冊の本を暫し見比べてから、左綴じの方を選んだ。

「こっちでいいんだね?」

「は、はい」

「じゃあ、表紙の好きな所に名前書いて。あ、ペンはこれ使ってよ」

 カウンターの上にある筆立てに刺さっているものの中から適当に引き抜き、インクが白であることを確かめてから、彼女が選んだ本と一緒に手渡す。彼女は慎重な手つきでそれらを受け取り、表紙の下の方に小さめな文字を書き込んでいった。

「じゃ、次はこっちの背表紙にお願い」

 彼女が選ばなかった右綴じの本を差し出し、左綴じの本を受け取る。彼女は少し書きにくそうにしていたが、それでも丁寧にペンを走らせていった。書き終わったのを見計らって、彼女の物となった本を返し、先程名前を書いてもらった本を戻してもらう。背表紙をちらりと見やれば、女性らしい綺麗な筆跡で「墨崎すみさき怜奈れな」と刻まれていた。

「ありがと。これでその本は貴女のものだよ。好きな時に好きなページを開いて、ここを変えたいって思えばその通りになる。それがどんなに荒唐無稽で有り得ないようなことだって関係ない」

 私の言葉に、彼女は本を胸に抱いた。大事なものを守るような仕草は、提供した身として嬉しくなる。

「ただ書き換えられるのは三回だけ。三回きっかりでその本は立ち消え、貴女は本のことも、過去を書き換えたことも、この店に来たことも、私たちのことも、何もかも忘れてしまう。そしてそれっきり、もう二度とここに来ることはできない」

 説明を進めていくにつれ、彼女の顔が強張っていく。警戒か緊張か、はたまた別の何かか。何はともあれ、慎重になるのはいいことだ。

「二回目まではきちんと覚えているから大丈夫。あと、過去が変わったと認識できるのは貴女だけだから、変に思われないよう気を付けてね。それから……」

「店長、その辺りで」

「え、まだあるのに」

「これ以上は記憶できないでしょう」

 店員の言葉に改めて彼女を見ると、どこか困ったような顔をしていた。少し畳み掛けすぎたらしい。私はこれぐらい何ともないのだが、今度から注意した方がよさそうだ。

「他の細々とした注意事項はこちらに纏めてありますので、使用前にご一読ください」

 私が一人静かに反省しているうちに、店員が小冊子を彼女に手渡していた。ホッチキスで纏められたそれには「使用前の注意一覧」と角ばった字で書かれていて、店員のお手製だとすぐ分かった。

「いつ作ったのさ」

「完成したのは前回の来客があった日ですが、こちらに勤めるようになってから着手していましたよ」

「それはまた、随分とかかったね」

「何せ、店長の説明が毎度違うものですから」

「悪うござんしたね」

「謝られる必要はありませんよ。お陰で良いものができました」

「……あそ」

 感謝しているのか嫌味を言っているのか分からない店員の台詞にやさぐれていると、軽やかな笑い声が聞こえてきた。明るい音を追うように顔を動かせば、口元に手を当てて笑っている彼女が目に入る。憂いも不安もない笑顔に、こちらまで笑みが広がる。

「できれば、使わないでほしいなぁ」

 思わず零れた本音が聞こえたのか、店員が視線だけをこちらに寄越してきた。私がそれに気付いた途端に逸らされてしまったので、何を思ってこちらを見たのかは分からなかった。

「あー、ちょっとぐだぐだになっちゃったけど、説明はこれぐらいかな。質問とかはある?」

「いえ、今のところは」

「そっか。何かあっても手伝えはしないけど、上手くいくことを祈ってる」

「ありがとうございます。それでは……」

「うん、気を付けて」

 彼女は持っていたハンドバッグに本を仕舞い、来た時と同じように会釈をしてドアノブに手をかけた。扉が開き、ベルの音が微かに響く。

「そうだ、最後に一つだけ」

 店の外に足を踏み出そうとした彼女の背中に声をかければ、彼女は半身をこちらへと向けてくれた。私は笑顔を崩さないまま言葉を紡ぐ。

「『もの寂しげに過去を見るな、それは二度と戻ってこないのだから』」

 彼女は驚愕の色を滲ませたが、何かを口にすることなく一礼し、静かに扉を潜り抜けていった。

「……ロングフェローですか」

 扉が完全に閉まり、彼女が立ち去る音がした時、店員が聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟いた。何を言っているか分からず彼を見やれば、眼鏡の鼻台を押し上げている姿が目に入った。

「『もの寂しげに過去を見るな、それは二度と戻ってこないのだから。抜け目なく現在を収めよ、それは汝だ。影のような過去に向かって進め、恐れずに雄々しい勇気をもって』 ロングフェロー作、ハイベリオンの一節です。まさか、知らずに言っていたのですか?」

「うん。ちょうどいいのがないか適当に漁ってたら見つけて、格好よさそうだから使ってみた。そっか、そんな文章だったのか」

 私は彼女が去っていった扉を眺め、手にしたままだった右綴じの本を開く。白紙はどこにもなく、ひたすらに単調な文章がずらりと並んでいた。成功したことに口角が上がる。

「恐いぐらい、彼女にぴったりだ」

 そう囁いて、女性らしい綺麗な文字をそっとなぞった。

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