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つま先から頭のてっぺんまで日焼けした健康そうな初老の村長と話したのは、他愛もない世間話だ。昨年は収穫が良かっただの、それで今年は少し余裕があるだの、いろいろと話してくれたが正直なところあまり聞いていなかった。
久々に人にやさしくしてもらった感動の涙をこらえるのに必死だったからだ。
「せっかくこんな辺鄙なところに来てくださったのですから、今宵は出会いを祝して一席設けたいと思うのですが」
僕が鼻をすするのを我慢している顔が不機嫌そうな表情に見えたのか、村長が不意に話題を変えてきた。
「本当ですか? 突然押し掛けてきたのに、すみません。ありがとうございます」
こんな時、吟遊詩人たるもの建前であっても遠慮してはいけない。感謝の気持ちを忘れず、しかしどんな時でも厚かましくあらねばならぬ。ずぶとい神経と、みっしり毛が生えてふわふわになっているくらいの心臓をもっていなければ、見知らぬ土地、見知らぬ人の前で歌を披露することなんて出来ない。照れや躊躇は如実に声に現れるのだ。
「よろしければ、その席で一曲披露していただきたい。この村は、楽しいことなんてまるっきりなくてね」
「もちろん、喜んで」
「宴会は、村の中央の集会場でやりましょう。お天道さんが赤くなる頃に始めようと思います。それまではごゆっくりなさっていてください。わしの家でくつろいでくださって構いませんので――」
村長はそう言いながら、奥さんに目くばせする。
「はいはい、じゃあ、奥の部屋にしましょうかね。今案内しますね」
阿吽の呼吸で奥さんが答える。目じりに刻まれている笑皺が素敵な、柔和そうなおばあちゃんだ。エプロン姿が板についていて、似ていないはずなのに数年前に亡くなった僕の祖母を思い出させる。
「ありがとうございます。でも、休ませてもらう前にちょっとこの村をみて周りたいのですが」
「あら、そうですか? ここはなにもないところですよ。いろいろな所をみて周っている詩人さんには、ちょっとつまらないかもしれませんねぇ」
村長の奥さんが柔らかい雰囲気のままゆっくりと答える。
いいなぁ、この人の空気。「おばあちゃん」って読んだら怒られるか知らん。
「いえ、そんなことはありませんよ。この村の皆さんが普通に暮らしている生活こそが面白いのです。皆さんが毎日見て、見飽きているものも僕にとっては始めてみるものですから」
それじゃあ、あたしが案内する! と力強く宣言したファニーに連れられて、村のあちこちを見て回る。
ファニーの視点は面白い。村の案内と言うか、ほぼ彼女の生活圏内の案内だった。
ここがあたしのお家、から始まり、ここがおとーさんが耕した畑、ここが仲良しの某ちゃんのお家、この動物(野牛に似ている)の名前はレーガー君、お腹が減ったらここら辺の木の実を食べる、仕事で疲れた時にこっそり昼寝する場所はここ、エトセトラ……。
図らずもファニーのことについて詳しくなってしまった。テンションが上がりすぎたファニーは、宝物の隠し場所まで教えてくれようとしたのだ。
しかし、正直なところ村のことはあまりよくわからなかった。
わかったことと言えば、この村の住民たちがみな、本当に娯楽に飢えていると言うことくらいだ。行く先々で、名前はなんていうのから始まり、根ほり葉ほり質問されそうになった。その凄まじさを言い表すならば、「話好きのおばちゃん100人に囲まれた状態」だ。
この村のちびっ子たちの躾がなっていないこともわかった。
今年23になる僕をして、何故「おじさん」と呼びますか。
お兄さん、もしくは親しみをこめて「リッ君」(リック+君)と呼ぶべきだろう。
僕の、【本日最も使ったセリフ大賞】は「『おじさん』じゃなくて、『おにいさん』だろう? わかったかい、坊や/お嬢ちゃん(ニッコリ)」に決まりました。
「……うん! あたしの村は、こんな感じです!」
さも、案内するところは以上です、隅から隅まで紹介しましたー、と言わんばかりの自信満々の顔でファニーが力強く宣言した。
僕としては、この村の構造であるとか、大人たちの働きぶりであるとか、ものの流通の仕方、他の村や町との位置関係なんかを知りたかったんだけど、子どもにここまで期待するのは酷だろう。
この村の人たちがみな良い人たちであると言うことは伝わってきたので、まあよしとしようか。
「うん、ありがとう。むらのことが、よーくわかったよ」
僕は大人だ。相手の顔を立てることを忘れない。
「最後にさ、この村で『一番綺麗なもの』が見られる場所に連れて行ってくれないかな」
「『一番綺麗なもの』……? あっ! 駄目だよ、いくらリックにでも、あたしの宝物は見せてあげらんないよー。まだチェチーちゃんにも見せてないんだから」
ちぇちーちゃん? ……ああ、ファニーの友達の名前だったかな。
「いや、宝物とかじゃなくてさ。景色が綺麗なところとか、一番好きな建物とか、木陰が気持ちいいところ。とにかく、ファニーの一番のお気に入りの場所を教えてくれないかなってこと。もちろん宝物を見せてくれてもいいんだけど」
「うーん……。そうだ!」
ついてきて、と言い終わる前にファニーは駈け出した。
小走りで移動すること数分。やってきたのは家畜小屋の前だ。
「ここが、あたしの一番お気に入りの場所です!」
見まごうことなき家畜小屋。外見に、特に美しさは感じられない。内部もさっき少し覗いた時のまま、牛のような生き物と、道産ロバ改めカヤットが数頭だらだらしているだけだ。
「ここが? なんでまた」
「うーんとね、お仕事とかお勉強が無くて暇なときはここで本を読んだり、お昼寝したりするんだー。動物のにおいはするけど、夏は涼しくて冬はあったかいよ。ディエもいるから寂しくないしね」
そう言われてみれば、確かに趣があるように見える。
木造の小屋に木製の柵と言う、地味だが堅実な作り。うす暗い室内で動物たちは皆、それぞれ枯れ草を食んだり、藁に体を横たえたりリラックスしきっている。しかしその体には外側からでも鍛え上げられた筋肉が窺え、彼らが単なる愛玩動物ではなく、立派な労働力であること示している。
動物たちのあか抜けない、しかし実用的な肢体の向こう側に、村人たちとの生活が透けて見える。共に働き、共に汗を流し、共に収穫の喜びを分かち合う。家畜たちと村人は、仕事の相棒同士であるとともに家族なのだ。
「さっきも紹介したけど、これがレーガー君。それでこっちがヨハネ君」
鑑賞に、感傷に浸る僕をまるきり無視して、ファニーが再び動物たちの紹介を始めた。なんとなく、学校のお友達のことを上機嫌に親に報告する子どもみたいだと思った。
「そして、この一番でっかいのが小川さん」
なんでそれだけ和風なんだよ!?
「……えっと。なんかその子だけ、名前の方向性違わない?」
「そうかなー。レーガーにヨハネに、小川。みんなちょっと似ている雰囲気じゃない」
……そうかなぁ。
まあ、いいか。どうでも。
「とにかく、案内してくれてありがとう。ここは良い場所だね」
「リックもそう思う? でしょでしょ! なんだか嬉しいね、こうやって同じ場所を良いって言ってもうらうのって!」
「ああ、そうだね。僕はここにもうちょっといさせてもらっていいかな。ここの動物たちともお友達になりたいんだ」
「いいよ! あたしはいっかい家に帰らなきゃ。まだおとーさんとおかーさんにまだただいまっていってないから」
じゃあ、また後で呼びに来るねー、と叫びながらファニーはかけていった。本当にあわただしくて愉快な子だな。あの子を観察するだけでも十分娯楽になりそうだ。
さて、と僕は家畜小屋の一角におもむろに腰を下ろす。下に藁を敷いてあるから座り心地も悪くない。
詩人としての営みを始めよう。異世界での第一編はこの村のことを詠おうか。
動物たちのにおいと息遣い、ときどき交る鳴き声を感じながら今日見て回った村のことを思い返す。
異邦人の僕を温かく迎えてくれた村の人々。道具もないのに工夫して遊ぶ子供たち。それを見守る大人たちの温かい視線。
藁を運ぶ人々、野菜の皮をむく女たち。
家畜のしなやかな筋肉。これからどんどん成長していくだろう作物の群。
テレビもない、ラジオもない。車はそもそも発明されていない。
現代人からすれば娯楽なんて何もない場所で、力強く生きている。
僕みたいな、素性のわからない芸人の歌をみんなが年に数回の楽しみとして、期待している。
歌だ。この世界に歌を届けなければ。ふと僕は、静かに心に決める。
異世界の扉をくぐってすぐは、「異世界が僕に歌を与えてくれる」と漠然と考えていた。今まで見たこともないような世界で、思いもしない出来事や価値観にふれ、地球にいた時には想像出来ないようなアイデアが浮かぶと。
しかし、異世界は本当にただの世界だった。そこに住む人々が当たり前に過ごしているだけだった。もちろんこれから、日本にはなかったモノと出会うこともあるだろう。でも、少なくとも僕にとって大切なのはそこじゃないはずだ。
歌を求めている人の下に、当たり前に歌を届ける。風の吹くまま、星を目印に音楽を紡いで歩く。
「優秀な吟遊詩人の前に異世界が現れるって、嘘じゃないか。へっぽこな吟遊詩人が、吟遊詩人として当たり前のことが出来るようになるための武者修行だよ、これじゃ」
まず手始めに、歌を求める村人たちのために、新作を作るとしますか。
僕は楽器袋の中から愛用のリュートを取り出し、軽く爪弾く。きちんと調律する必要なんてない。とりあえず、歌の体を成していればそれでいいだろう。そもそも、吟遊詩人の歌に複雑で繊細なメロディーなんて必須ではない。
歌は、古代から人々が自然にやってきたことだ。言葉に律動に旋律に、労働や祈りや生や死や、生活の全てを託すこと。和声がどうのとか、オーケストレーションがどうのとか、難しいことは、必要な時だけ考えれば良い。
理屈なんてこねてみたけど、要は心と体が自然に動いちゃって、楽しめちぇえばそれで万事OKなのだ。