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 僕が勝手に道産ロバと命名した動物は、「カヤット」という名前らしい。早く走るのには向いていないが、力は強く体力もある。農作業を手伝ったり、重い荷物を長距離運んだりするのに使われているそうだ。

 まさしく見たことも聞いたこともない動物の情報に僕が興奮していると、ファニーが「おにーさんって、もしかして田舎者? カヤットも見たことがないだなんて……」と憐れんだ目を向けてきた。


 とりあえず、地球の馬と競馬の話。競馬について回るお金と、そのお金によって人生を崩壊させたり、命を絶ったりした人の話を5割増し恐く脚色して話してやった。ファニーは最初聞いたこともない世界や動物の話を興味深そうに聞いていたが、話がドロドロのブラックになるにつれて涙目になり、終り頃には死んだ目をしながら「お金……こわい……、大人は、卑怯だ……、怖い……破産……」などとブツブツやっていた。子どもが生意気な口をきくからだ。吟遊詩人のストーリーテリング力をなめんな。


 僕にとっては愉快で、ファニーにとってはちょっぴり大人になれる会話をしているうちに、村が見えてきた。村と言ってもなかなかに整備されている。山から下る川の恵みを受け、農作物を作ったり、山で採集や狩りをして生計を立てているらしい。

 文化レベルでいくと……どれくらいだろう? 正直なところよくわからない。少なくとも自動車や電気製品が普及していないのはなんとなく見て取れる。しかし、大都会に行けばあるかもしれないので、この村だけを見て判断するのはやめておこう。


「あら、ファニー、おかえり」


「あ、クララさん! ただいま戻りました!」


 村の入り口の所で、一人の女性が声をかけてきた。話しぶりからするに村の住民だろう。三十代くらいで、ファニーと同じような服装をしている。ぶしつけにならない程度に、ちらりと観察をしてみる。


 クララさん、と呼ばれたその女性は僕のことを確認すると、まるで警戒心なんてないかのようにあっけらかんと言った。


「ファニー、そちらの方は?」


「この人はリック! えーっと、本当はもっと長い名前なんだけど……忘れちゃった! 旅をしている芸人さんでなんだって」


 忘れちゃったのかよ! 僕の名前は……なんだったっけ? その場の勢いで適当に名乗ったから、思い出せなくなってしまった。まぁ、リックでいいか。なんかアクションゲームのお助けキャラとして出てきそうな名前だけど。


「はじめまして、リックと申します。吟遊詩人として各地を巡っている途中でして」


「あらあら、まあ。こんな辺鄙なところに歌うたいさんが来るなんて珍しいですね。なにもないところですが、ゆっくりして言ってくださいね」


「ええ、お言葉に甘えさせていただきます。……ところで、村長さんにご挨拶をしたいのですが」


「それなら、あたしが連れてってあげる!」


 ファニーがとび跳ねながら自己主張してくる。隣町から徒歩で帰ってきたところだろうに、子どもは元気だなぁ。


「ん、じゃあ、よろしくお願いしようかな。それでは、クララさん、また」


「リックさんの歌、楽しみにしていますね」


 クララさんは僕と目を合わせてにっこりとほほ笑んでから去って行った。自らの子どもを慈しむような、長年連れ添った番いを見つめるような、自然で温かい笑みだった。


 ……あぁ、これだよ。この感じだ。田舎の人のぬくもり。アスファルトのジャングルで道路交通法すれすれの所で歌いまわっていた時には感じられなかったぬくもり。

 思えば都会を中心に回っていた時なんて、こんなふうに歓迎されたことなど無かった。よくて無視、大抵は追い立てられるのが日常だ。目と目を合わせて笑いかけてもらうことなんて、いつ振りだろうか。

 ――駄目だ、こんなちょっとのことで泣いちゃだめだ。もうあと数歩でアラサーに届く歳だと言うのに。

 万が一にでも涙がこぼれてしまわないように、空を仰ぎ見る。突き抜けて青いそらに、ところどころ薄い雲が浮いている。切れるように真っ青なのに、全然目に痛くない。むしろ、ひび割れそうな心と体に軟膏を塗っているかのように僕に沁み入ってくる。

世界はこんなにも、綺麗だったのか――



「ねえ、何やってるの? あ、もしかしてドラゴン飛んでた!? どこ? ねえ、どこ?」


 ……。


「なぁ、ファニー。君は、君だけは、ヒトの当たり前の優しさを忘れてしまうような、そんな大人になっちゃダメだぞ」


「なにいってんの? 変なリック」


 そんなやりとりをしながら歩いているうちに村長さんの家にたどり着いた。そこでも、先ほど同様温かい歓待を受けてしまい、またもや僕、涙目。

 村長さんとその奥さんが怪訝そうな顔をしていたのは、多分気のせいじゃないはずだ。

 当たり前だ。突然、吟遊詩人を名乗る男がやってきて、お茶を飲みながら会話している途中、急に眼がしらを押さえ始めたら、誰だって不気味に思う。


 いやしかし、吟遊詩人にとって感受性は大切な商売道具だ。

 風に愛の言葉を紡ぎ、水に笑い、炎に自分の行く末を見、星のまたたきに泣き、土に感謝するようでなければ、詩人なんてやってられない。

 人の好意を素直に受け入れ、好意に飢えていた自分自身に気がついた時、その瞬間の衝動をすぐに形――言葉でも、あるいは涙でも――にできなければ、表現者として失格だ。


 なんて、誰にともなく言い訳をしてみても。成人男性がいい年して人前で泣いてしまった恥ずかしさが消えるはずもなかった。


 ……死にたい。


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