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 「獣道……だ!」

 

 4,5時間歩き通して、ついに生き物の痕跡を発見した。幅二メートルほどの露出した大地の帯が、地平の向こう側まで続いている。僕の最初の見立て通り、道は山のふもとの方へとつながっているようだ。

 僕が身につけているイヌイットとアイヌ民族と中世ヨーロッパの服装を足して4で割ったようなどこまでも中途半端な民族衣装風の服装は、泥と足首まで生い茂る草花とですっかり汚れてしまっている。旅人らしい「いかにも感」で出ている。

 世界を旅しながら歌を紡ぐなんてなんだか素敵やん、となんとなくのイメージで吟遊詩人を志した僕は、これだけのことで心が躍ってしまう。僕は形から入るタイプなのだ。


「これで少しは楽になるな……」


 それほど背が高くないとは言え、草をかき分けて進むのはなかなかに骨だ。それに、あてもなく進むというのがなによりも堪える。東京から大阪までの500kmよりも、目的地を決めずに歩く100kmの方がはるかに消耗するし、時間もかかる気がしたものだ。


 獣道をよくよく観察してみる。

 少しのひづめの跡と、いくつものヒトの足跡。

 その内の一つの足跡の横に、自分の足跡を付けてみる。僕の足の大きさの方が一回り大きい。僕の靴のサイズは26.5cmだから、その足跡は24cmくらいかな。子どもか女性の足跡か、はたまた体格の小さい男性の足跡だろうか。前後の足跡から鑑みるに歩幅もそれほど大きくない。

 いずれにせよ、この小さめの体格の人物が歩いていける距離に人里がある可能性が大きくなった。この道をたどっていけば、いつかはだれかと出会うことができるだろう。

 僕は、獣道の上を、改めて山の方向へ向かって進んでいくことに決めた。



 気持ちが良いくらいまっすぐに続く道。地平線にはまだ人工物の気配はない。

 こんなにいい天気なんだ、景色を楽しまなきゃ損だよね、と僕はいつにもましてゆっくりと歩を進める。


 風が草の上を滑る音と、僕の鼻歌だけがささやかなアンサンブルを成していた。

 歩く時鼻歌を歌うのはすっかり癖になってしまっている、と言うか職業病のようなものだ。レパートリーの復習や新しい歌の創作は、いつだって道の上で行われる。

 それにしても、周りに誰もいないってのは気持ちが良い。普段はいくら人気が無くても周りに気を使わなければならない。少し奥まった場所に民家があったりもするし、後ろから自転車が追い越していくこともある。今のように、人気ゼロということはまずありえないのだ。鼻歌にも力が入ると言うものだ。


 鼻歌がいつの間にか本気の歌唱になってきたころ、風と草と僕の歌のセッションに闖入者が現れる。ゆったりと紡ぐ詩と草原の波の音。横に流れるだけだった演奏に、コツコツと言う縦に刻むパーカッションのような音が混ざり始めた。

 最初は、袋の中で楽器同士がぶつかり合っているのかと思った。

 僕の楽器袋には複数の楽器が入っている。メインで使っているリュート、竹で出来たリコーダー、皮を張った小さなタンバリン、スティックやマレット、変わり種としてバンブーサックスや鼻笛。それから楽器のメンテナンス用品や、大道芸で使うお手玉、木製の糸操り人形がさほど大きくもない麻製の袋の住民たちだ。大雑把な性格の僕は、これら商売道具を結構乱雑に袋に放り込んでいる。歩くたびにお互いにぶつかり合って音が出るなんて日常茶飯事だ。

 しかし、これはいつもの音じゃない。リュートに笛がぶつかる音はもっと硬質で残響が長いはず。今後ろから聞こえてきているのは、もっと素朴な低音だ。


 僕は口ずさんでいた歌をゆっくりとデクレッシェンドさせる。

 これは吟遊詩人の必須スキルの一つ「歌? 歌っていませんよ、そんなの。空耳じゃないですか?」歌唱法である。


(説明しよう! この歌唱法は野外で大声で歌っている時に、他人と遭遇しそうになった時に使うスキルである。前からやってくる歩行者や自転車に気がついた時点で、表情を変えずに歌の音量を下げ始め、すれ違う時には完全に歌うのをやめる。こうすることによって、いい大人が道端でガチでお歌を歌っていた恥ずかしさを軽減することができるのだ!)


 完全に歌うのをやめてから、何気ないふりをしながら後ろを振り返る。僕が今まで歩いてきた獣道の上、遠くの方に小さなシルエットが見える。あいにくと逆光であるため、その姿をきちんと把握することは出来ないが、どうやら四足歩行の動物であるようだ。

 馬かロバか、そんなところかな。足音の情報を加味しながら考える。その動物の横に見えている小さな影は、ヒトっぽい。誰かが馬を引きながら歩いている、と見るのが自然だろう。


 僕はあえて立ち止まったりせず、さっきよりもさらにゆっくりと歩き続ける。こっちからアプローチして言葉が通じない可能性も高いし、通じない言葉で必死に話しかけようとしてもなんとなく余裕が無く見えてしまうかもしれない。相手が友好的かどうかわからない現状、少しでもこっちの弱みを見せる訳にはいかない。気づいていないふりをして、あっちから話しかけてくるのを待とう。

 ……なんて、もっともらしい言い訳をしてみたけれど、本当は自分から話かけるのがなんとなく気恥ずかしいだけだ。こんな思いをしたのは、中学校の帰り道、好きな子の後ろをこっそりとついていきながら、バス停あたりで気がついたふりをして「おっ、お前も今帰り?」なって言った時以来だ。あれ? ちょっと違うかもしれない。柄にもなく緊張してしまっているなぁ。考えまで支離滅裂だ。


 ぱかっ……ぱかっ……、という音が少しずつ近くなってくる。

 そんなことないはずなのに、後ろから大きな熱源と圧力が近づいてくるような息苦しさを感じる。

 音の感じからして、距離も大分近づいてきているようだ。

 今振り返れば、きっと馬(仮)と目があってしまうかもしれない。


 次第に、荒い吐息まで聞こえてくるようになってきた。

 馬(仮)、息、荒すぎ! と考えられるのも余裕があるせいか、それとも逆に余裕が亡くなっているからなのか。


 ぱかっ、と余韻を残して、不意に足音がとまった。

 僕もそれに一呼吸遅れて立ち止まり、出来るだけ自然な素振りで振り返る。

 目が合う。馬(仮)と。――いや、これは馬、なのか? ロバと道産子の相の子のような珍妙な出で立ちだ。体格はそれほど大きくない。とりあえず道産ロバと名付けておこう。

 少し視線をそらすと、道産ロバを連れていた少女と目が合った。14、15歳くらいだろうか、背丈は僕の肩を少し超えるほどだ。肌は夏休みを満喫した後の小学生よりもこんがりと焼けており、肩甲骨をよりも伸びたダークチョコレート色の髪は、後ろで一本の三つ編みに緩やかに結われていた。


 服は麻で出来ているようなテクスチャーで、色調は全体的にくすんでいる。草木染めをしたかのような渋い印象だ。作務衣のように前で合わせる服と、足首の所に絞りがある全体的にだぼっとしたズボンをはいていた。その上から、首元が四角くあけられたポンチョのような外套を身につけている。

 顔のパーツは全体的に小さい作りだが、真ん丸に開かれた大きな眼だけが例外だ。幼さと明るさを感じさせるその瞳で、初めて水族館に行った子どものよう興味深そうに僕を見つめている。じっと見つめられると、ちょっと恥ずかしい。


「おにーさん、ここらへんじゃみない顔だねー」


 少女はたっぷりと10秒以上も僕を観察した後、不意に言い放った。


 ラテン語だ――。少女の声は、歌手として羨ましくなるくらい明るく鮮やかな声だったが、そんなことは気にならなかった。

少女が今口から発した言語は、ラテン語だった。僕の知るラテン語とは少しイントネーションが違うようだが、間違いないだろう。今の短い言葉だけでは判断できないが、これなら何とか会話できるかもしれない。僕は歌のレパートリーにラテン語を使ったヨーロッパの古楽やルネッサンスものが多いので、一応喋れるくらいには練習している。


 僕はこほんと咳払いをして、


「ああ、僕は吟遊詩人なんだ。旅をしながら歌を作ったり歌ったりしてるんだけど、その途中だよ」


 と言ってやった。


「ふーん、そうなんだー。旅芸人さんがこんな所まで来るなんて珍しいね。服も見たことない感じだし、どこからきたの?」


やった、通じた!


「僕は日本っていうところから来たんだけど、ここんところずっと道に迷いっぱなしでね。ここがどこだかすら分からないんだけど……」


「ニホンかぁ……、聞いたことないなー。ねえ、ここに来る前どこを通って来たの? あたし、さっきまで隣の街に居たんだけど、おにーさんみたいなヘンな芸人さんの噂なんて聞かなかったなー」


「ほ、ほら、あれだよ。お兄さんずっと道に迷ってたから、他の街には寄れなかったんだ!海とか、越えたりとかしてきたりしたし!」


「海! 海を越えてきたの!? じゃぁ、山は?」


「もちろん山も越えたさ!」

 

 なんだこの娘、食いついてきたぞ。


「山も! じゃぁ、空は?」


「あたりまえじゃないか!」

 

 ……空? この世界には飛行機があるのか。思ったより文化レベルが進んでいるな。


「すごいなー。おにーさん、すごいよ! 売れっ子の芸人さんは移動にドラゴンとかドレイクとかロック鳥を使うって聞いたけど、あたし初めてみた!」


 ……ヤクいな。こいつぁヤクい。なんか本格的にファンタジックな単語が聞こえてきたぞ。もしかして僕は、トイレの扉をくぐったら異世界に行っちゃったんじゃなくて、塩素系洗剤と酸素系洗剤を混ぜて発生した毒ガスで病院に逝っちゃったんじゃないだろうか。この世界は昏睡している僕が見ている夢か、あるいはあの世の一歩手前なのかもしれない。どおりで景色が美しいわけだ。


「お、おう、そうさ! 故郷日本で名声を集めまくったお兄さんは、狭い環境では飽き足らなくなってね。ドラゴンで飛び出したは良いものの、空中で振り落とされてしまって、この草原に落ちてしまったのさ。だから、ここがどこだかわからなくても仕方ないよね!」

 

 我ながら酷い言い訳だ。こんな言い分が通用する訳……


「そっかー……。おにーさんも大変だったんだね」


 ……通じた。幼気な少女を騙すようで心が痛む。


「おにーさん、おにーさん。旅している途中ならさ、うちの村にもきてよ! 今ちょうど農閑期でさ、みんな暇してるんだよー!」


 少女が大きな瞳を一層輝かせながら訴えてきた。ここまで期待した目で見られるとさすがに断り辛い。


「そうだね、じゃあちょっとだけお邪魔させてもらおうかな。……ところで君、名前は?」


「あたし? あたしは、ファニー。この子はディエ」


 今まで大人しくしていた、道産ロバが、んふーっ、と鼻を鳴らした。


「おにーさんの名前は?」


 僕の名前……。困ったな、日本語は発音し辛いだろう。それに僕は行く先々で違う適当な名前を名乗るという変わったジンクスを持っている。さて、今回はどんな名前を名乗ろうか。


「……そうだな。僕の名前は、テオドリック。呼び辛かったら、リックとでも呼んでくれ」


「うん、わかった! リック!」




 ちなみに本名は山下幸助。ええ、平凡な名前ですとも。


全国の山下幸助さん、ごめんなさい。


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