プロローグ
「優れた吟遊詩人はみな『旅立ちの扉』に出会う時があるんだそうな。その扉の向こうはまったく見たことが無い世界が広がっていて、我々の想像力を無限に広げてくれるさ!」
中世音楽・古楽研究クラブの吉岡先輩がこんなことを熱く語っていたのは、いつのことだったろうか。歴史的信憑性もなく、ファンタジーとしても想像力に欠ける先輩の与太話を、僕はまったく真剣に聞いていなかった。それなのに――
「まさか本当にあるなんてなぁ……」
僕の眼前には旅立ちの扉、らしきものがある。
特徴など何もない扉だが、覗き込んでみるとその向こう側には見渡す限り草原が広がっている。
ここは日本の首都のど真ん中だと言うのに。
首都のど真ん中の地下鉄の駅の中だと言うのに。
地下鉄の駅の中にある、落書きで電話番号なんかが書かれている小汚いトイレの一番奥の扉だと言うのに。
その「和式」と書かれた扉の向こう側には見慣れぬ世界が広がっていた。
何かの手違いで、トイレの壁をぶち抜いてしまったなんてことはありえない。仮にあったとしてもせいぜい、夜通し歩き続けたホームレスたちが寝床にしているような、行政も見放した狭くて落ちぶれた公園につながるのが関の山だ。
こんな、空気遠近法で遠くの山々が薄藍色に見えるような開けた草原に出るはずがないのだ。
それにこの草原には匂いがある。トイレの消臭剤と汚物が混ざった匂いではなく、単なるさわやかな草のにおいとも違う。まるで友人の家に遊びに行った時最初の5分間感じる「余所の家のにおい」とも言うべき、独特のにおいだ。
この草原は少なくとも日本ではない。そしておそらく地球でもない。
信じがたいことだが、恐らく――
「異世界、かな」
異世界だろうな。異世界だったらどうしようかな。
とりあえず僕は扉に手をかけ、その隣の洋式のトイレに入ることにした。
中世音楽・古楽研究会の先輩であり、重度の音楽歴史マニアでもある吉岡さんの言葉を信じるならば、この和式トイレの扉――「旅立ちの扉」の向こう側にあるのは、地球ではないどこかの世界だ。
僕は吟遊詩人であることには間違いはないから、吉岡先輩の話はただの都市伝説ではなかったのだろう。
「それにしても、僕は『優れた吟遊詩人』になった自覚は無いんだけどな」
恐らく吟遊詩人の評価基準は絶対評価ではなく相対評価なのだろう。そもそも、現代において吟遊詩人なんていう、非社会的で非現実的で非生産的な仕事をしている人が僕以外に何人もいるとは思えない。
僕のほかに吟遊詩人がいないので、繰り上げで僕がナンバーワンの吟遊詩人になったのだ。同時にほぼワーストワンだと思うけど。
洋式の個室から出て手を洗い、旅立ちの扉の前にたつ。
ここでためらったりするような性格なら、そもそも吟遊詩人なんていう酔狂な職にはついていない。
背中には着替えと水分、少しの食料が入ったバックパック。左肩には楽器が入った楽器袋。肩ひもがいつもよりも食い込んで痛い。
僕は意を決したりせず、普段通りの気負わないポーズで和式の個室の中に広がる草原に足を踏み入れた。