皇国と戦争と約束の騎士 2
扉が閉まると、我知らず吐息が漏れた。腹の底から湧き上がるようなイケ好かない気持ちを整理するかのように、少し苛立った声でヴェフリ・ラウテルンは「俺嫌いです。あの連中」と率直な感想を傍らのジュリオ・チェザーレへと投げかけた。
「気に入る気に入らないなど些細な問題だ」
ジュリオは歩き続けたまま顔すら動かさずに答えた。銀の鎧に漆黒のマントを翻しながら既に今から向かう戦場のことを考えているのかもしれない。なれば無駄に話しかけるべきではないのだろうが、ヴェフリ自身、今あった腹立たしい会議の捌け口をどこかに求めていた。
「軍上層部がこんな状態なのに、俺たちに戦う理由ってあるんでしょうか?」
義勇軍時代からずっとジュリオの元で仕えてきたヴェフリ。その彼には教師としてのジュリオから学んだ、下の者のことから考えてこその力を持つ者という理論こそ唯一絶対の正義理論だった。なのに、今見た幕僚たちといったら……下のものは考えず最後には面子を守ることに従士するなどもっての外。そんな奴らが自分はもちろんジュリオ・チェザーレ将よりも高い地位からこちらを見下ろしているなど……そして、ソレに対しこちらは何も言い返せないなど、神は本当に居るのかと問いただしたくなる気分だった。
頭を垂れるヴェフリの肩をジュリオが軽く叩く。
「……それも些細な問題だ。戦う理由なんて人それぞれだろ……家族を守りたい。祖国を無くしたくない。なんでもいい。無ければ見つけろ。国民を守りたい。自分の力を活かしたい。なんでもいい。目的なくして戦っていては、それこそ軍の奴隷人形になってしまう」
遠くを見据える目で歩き続けるジュリオにヴェフリが「奴隷人形ですか?」と問いかける。対しジュリオは短くも明確な答えを返した。
「その通りだ。自分の意志も目標も何もなく……善意も悪意もなくただ命令されるがままに人を殺す存在。現に今そういう兵士も存在する。どこの誰が考えたのか知らんが、国家を守りたいと願う若者にカリキュラムに沿った訓練を受けさせてから戦場に出すよりも、戦争で親を失った孤児や浮浪児を見つけてきて剣や銃を持たせた方が早いってな。戦争ってのはそういう非人道的行いを平然と国家が行うんだ。だからヴェフリ……お前は奴隷人形にはなるな……」
「出発は明日の朝7時だ。それまでに兵士に休養と食事そして出立の準備を済ませておけ」と簡素に命令を通達し、ジュリオは一人悠然と歩いて行った。ヴェフリも「了解です」とは答えたものの、あの将軍たちと子供を戦争に投入するという現実を知ってしまった以上、なんとも気分的には納得しきれない不満が腹部のソコから沸き上がっていた。
「全てを納得しろと言っているわけじゃない。気に入らないのは、私も同じさ」
感動に近い、この人に付いて来てよかったという感情と共に「はい」と力強く答え、ヴェフリはそっとジュリオに足並みを揃えたところで「何が気に入らないって?」と割り込んできた第三者の声に息を呑んだ。
左右を見回す。豪奢なシャンデリアの連なる廊下に連なる黄金をあしらった扉の口に一人の女性が立っていた。硬直したヴェフリを見、ちらりとジュリオに支線を流してから、女性はおもむろにこちらに近づいてきた。陽光が次第に彼女の顔をはっきりとさせ、美しい真紅の眼光が顕になると、まるでその廊下が一気に満開の薔薇園になったような空気を覚えた。
それは非常に美しい女性だった。瞳がまるでルビーと見紛う程の美しさなら、セミロングの髪の毛は光り輝く真紅。身にまとった皇国の特務隊の軍服も本来なら黒であるはずなのに赤に金の飾緒や勲章を多くあしらった、まるで彼女自身が一つの巨大な宝石のような感覚を覚える女性。
「で、何が気に入らないって?」
穏やかでありながらも、その声色には貴賓があふれている。しかし、対しヴェフリの全身の汗腺からは冷たい汗が吹き上がっていた。
まずい、今の会話を聴かれた。服装からしてもこの戦時中に宮廷内を一人うろつける身分から考えてもおそらく彼女は相当な高級官僚であろう。なれば今の上官をバカにしたとも言える発言はひとつの握られた弱みになりえる。
もしもの場合は止む得ない……こういう状況に備え、一人ぐらいならたとえ相手が高級官僚であろうとも”行方不明にできる”手段は何通りか用意している。
右腰のホルスターのボタンを外し、グリップに手をかけたその時。
「シェリル」
振り向いたジュリオが目をしばたたかせながら、その名を口にした。
「脅かすな。ヘタしたら振り向きざまに首を跳ね飛ばしていたかもしれない」
ホッとひと心地付いた様子のジュリオにシェリルと呼ばれた女は苦笑いしながら「ごめんごめん」と謝罪を口にしていた。
「まさか……シェリル・リ・シェリサント妃殿下ですか?」
その名前に心当たりを覚えたヴェフリは目をしばたたかせながらその名を口にすると女性は満足そうに「うむ」と返答した。
シェリル・リ・シェリサント。少なくともこの国でその名を知らぬものは居ない程の有名人の名である。
軍隊の武装が盾や剣や弓から銃へと取って代わられ早二百年。兵士はお洒落な軍服にボルトアクションの銃剣付きライフルで武装するのが当たり前になった昨今でもいまだ魔術師の価値は桁違いに高い。
魔術による鉄壁の防御。魔術による超常現象といって過言でない攻撃力。それは一人で一個中隊に例えられることもある。
一応魔術にも理論があるらしいのだが、専門家でないヴェフリには素人ながらに書物を漁ってもさっぱり理解の及ぶところではなかった。
しかし、そんな世の中だからこそ、この女性。シェリル・リ・シェリサントは輝けたといっても過言ではない。一般のなんの変哲もない時計屋に生まれ、出生3ヶ月ですでに魔術を使ったらしい。その後、10歳にして宮廷に召し抱えられるとみるみるその才能を開花させ、最年少の昇進記録と共に皇国の花型である魔法騎士団に16歳で入隊。
その後、わずか2年で先代皇帝の寵愛を受け側室となったまさに現代のシンデレラ。
しかし、当時の官僚たちが隣国であったスティリア王国の併合を目指し、スティリア王も自身の娘を皇帝の正室にすることでこれを了承したため、側室にしかなれなかったシンデレラ。そして、愛した夫を若く病気で失い、失意の底にあるときに正室に騙されすべてを奪われ王族という肩書きと自分専用の独立部隊以外のほぼすべてを失ったシンデレラ。
そんな重い過去ゆえか、彼女が満面の笑みを浮かべたつもりの苦笑いもどこかぎこちないものだった。
「なになに?また、あのバカな幕僚たちが机上の空論押し付けてきた?」
先程の軍議の席には居なかったはずなのに、まるで見てきたかのような口ぶりに、ジュリオはそっと口元を緩ませた。おそらく彼女にも幾度と無く似たような経験があるのだろう。
「気に病む必要はない。失敗したら失敗したで尻拭いはしてあげる……なんてカッコイイこと言ってあげたいところなんだけどね……残念ながらこっちも状況は似たようなものなの」
失敗したら全責任を押し付けられ、あらぬ嫌疑まで山と追加され即更迭。そんな状況まで似た2人は互いに互いを戦友として認め合う空気があった。ジュリオが「そっちもか」と聞くとシェリルは肩を竦め、ため息混じりに「そうなの」と答えた。
「北戦線で苦戦しているシルヴィア砦って山城があるんだけど、それを到着後3日以内に奪還しろだってさ……まったく無茶言ってくれるわよ」
無茶というよりそれは無謀か、でなければ無理だと横聞きしていたヴェフリは目を瞬かせた。
それに、彼女がもしシェリル・リ・シェリサントであるというのなら、権力のほぼすべてを奪われた彼女に正式な軍隊が預けられるとは思えない。だとすればこの作戦に使われるのはおそらくあの部隊ということになる。
シェリル専属親衛隊兼独立機動部隊”薔薇の庭師”。
名前こそまるでこの王宮ラヴィアンローズを守るための精鋭部隊という気概こそあるものの、その実態は正規軍から派遣された人材はほぼゼロに等しく、シェリル自身が国内から腕の立つ寄せ集めの傭兵や少年兵で構成されたおおよそ戦闘が行えるとは思えないような部隊らしい。そのため、≪薔薇の庭師≫が手柄らしい手柄を上げたという報告も聴いたことがなく、専用の青を基調とした制服は宮廷に置いても目立つため、廊下などですれ違えば後ろ指を刺されるような存在だと聞く。
そんな部隊だけを使ってわずか3日で砦を奪還しろなどと命令する上層部を考えヴェフリはまた鉛のような頭痛とやり場のない苛立ちを覚えつつあった。
「ま、こっちはこっちでもし早く片付くようなら、そっちに人員回してあげるわ。ほんの2ヶ月前なんだけど、すっごくいい子が入ったの。まだ15歳の坊やだけどね」
「冗談じゃない!」
今まで横聴きに徹していたヴェフリの鼻がスッと息を吸い込み、ズカズカとシェリルに歩み寄る。
「お言葉ですが!!王族だからってやり過ぎじゃありませんか!!子供に戦わせるなんて!!そんなの正気じゃありませんよ!!」
近代、武器がかつての重装な全身甲冑に右手に剣、左手に盾という時代から簡易防弾衣の艶やかな軍服とマスケット銃や移動式のガドリングガンが主流になるに従い、誰ともわからぬ人間が考えたその理論はあっという間に軍隊の悪しき慣例となりつつあった。
-初期戦闘に習熟した兵士を送り込むよりも、子供に銃をもたせたほうが手っ取り早い-
-横一列に並ばせて小銃で射撃させるぐらいなら子供を使ったほうが、初期投資が少なくて済む-
-スラム街から連れて来たストリートチルドレンを使えば、戸籍のない亡霊兵士軍団が作れる-
-子供なら無垢に大人を信じるから自爆攻撃や殿もしっかりと務めを果たす-
中でも宗教を利用し、戦争で死ねば神の元へ行ける、殉教は神聖な行為とする論調は非常に危険であるとし、教会は少年兵を厳重に禁止しているものの、教会も一枚岩とはいかず、未だに少年兵は敵国でも皇国でも増えつつある。
そんな少年兵を応援によこす。まだ年端もいかぬ15歳の少年を戦場に送り出すと今シェリルはそう言った。
一気に疑心の念が吹き上がり、気がついた時にはヴェフリはシェリルの目を殺気の混じった眼光で睨みつけていた。
「シェリル……すまない。部下の失態は私の責任だ。だが、少年兵を借りる程、ウチも人手不足というわけではない」
ヴェフリのように激情に駆られるわけではないが、ジュリオもそのシェリルの態度は気に入らない様子だった。
対しシェリルは薄い笑いを浮かべつつ「ま、そういう反応されると思った」と悪びれる様子もなく答えた。
「でもね……感情論で戦争はできない。私だって子供を戦争に使うのは大反対だけど、そんな正論ばかりを押し通してたら皇国は敗戦国となってしまう。その先に待ってるのは帝国による植民地支配だけよ」
「でも……」と言い返したいのを必死にこらえ、否定も肯定もできずに、ヴェフリは地に目線を這わせた。
確かに彼女の言うことは正しい。一応国際法で規定はされているものの、一度敗戦国となってしまった後の国家は再び一つの独立国家として胸を張るにはそれこそ何百年という単位の時間が必要となる。
でもだからといって、少年兵を肯定など出来るはずもない。
結論が出ず、堂々巡りを繰り返すヴェフリの頭にそっと手が置かれ、髪をクシャクシャと撫でられた。
思いもよらぬ行為にそっと視線を上げてみるとシェリルが微笑むように笑いながら頭を撫でていた。
「君、いくつ?」
咄嗟の問いにヴェフリに代わりジュリオが「まだ20になったばかりだ」と答える。「若いわね……でも、アナタのそういう考え方は好き」とあどけない笑みを投げかけた。
「ヴェフリ君。私が子供を兵士にしてるのは事実だし、こんなことを言っても信じて貰えないかもしれないけど、それでも最後まで聞いてほしい。
私はね。この国の為、先代皇帝だった夫の為に命を捧げるのは全くためらいがない。でも、今の……あの女王を名乗る我欲の結晶のような女やその子供の放蕩皇帝。それに会議室で豪華な軍服を身に纏って連日人の命をゲームのように扱うあいつらに命を捧げるのはまっぴらごめん。もちろんそれは私だけじゃなくて私の部下も同じ。たとえ少年兵でもね。
でも……それでもね。私がなんであなた達の舞台。いわゆる《義勇軍上がり》に人員を貸すか。その理由を考えて欲しいの」
その言葉に先に目を細めたのはジュリオの方だった。
「まさか……」
「そゆこと」
わけも分からずヴェフリは立ち尽くす一方、ジュリオは顎に手を添えて押し黙ってしまった。
その答えを示すように2人のそれぞれ右肩左肩に手を添えて横に並ばせた後、2人の顔の間にシェリルは口元を近づけ、フワリととてつもなく良い香りが2人の鼻孔をくすぐった。
「宮廷内で不穏な空気がある。あなた達を都合よく敵ごと殲滅しちゃおうって怪しい空気がね。もちろん戦争中だし、あなた達が優勢の状況で(どこからともなく現れた正規軍に後ろから撃たれる)なんてことはないだろうけど、劣勢になったら断言はできなくなる。
だから、私はできるだけ宮廷内で情報を集める。そして本当に危なさそうだったら……」
その少年兵に報告させる。ようは体の良い伝書鳩というわけだ。
「それに」という声と共にシェリルは2人から身体を離し、まっすぐに2人の目を見据える。
「ただの伝書鳩だと思わない方が良い。アレは鳩というより、隼。もしかしたら鷲かも」
自信満々に語られたその言葉に2人は目を丸くした。
「期待していいわよ。一人で100人分にも匹敵するような子だから」
唖然とする2人にシェリルはニコリと微笑み、踵を返して廊下の果てへと消えていった。
彼女が完全に見えなくなってから、ヴェフリは隣のジュリオを見遣り、「今の話……場を和ませるためのギャグのようなものと捉えても?」と問うた。
一人で100人分。もしそうだとするなら魔術を使う階級付けの最上位であり、世界に数名しか居ない魔導師とまでは言いすぎかもしれないが、軍属魔術師や中堅魔術師並の腕前ということになる。もちろん魔術は純然たる理論が在り、才能によっては10代で一流になる者も多いらしいが、それがシェリルの手元に居るという話。しかもそれが10代の少年だという話。信じられずに今度はヴェフリが顎に手を添えて考え始めた。
ジュリオはそれを「お前は少し真面目過ぎる」と一蹴し、ため息を一つ漏らした。
「彼女の隠し球がなんであるにしろ、私たちが今やるべきはタルブの村の奪還だ。我が部隊の兵士を集めておけ。食事と休憩の後、明朝に出発する」