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夜と約束と動き出す歯車 7

 聖女が途中の宿場から打った電報が皇都届き、宮廷が事態の始末に一人の貴族を派遣したのはそれから3日以上経過した後のことだった。

 多数の騎兵を率いて歩く初老の男は白髪こそ目立つもののまだ若々しく、曇り空の中でも己が太陽のように存在感を放っていた。ただただ寡黙男に側を歩いていた男がため息混じりに語りかける。

「閣下……連合の連中、酷いもんですな。いきなり襲ってきて、皆殺しなんて」

 奇襲攻撃のよる開戦。王宮で幾度も行われたシュミレーションの中には当然含まれていたが、机上で展開されるのと現実世界で発生したのでは当然規模も被害も沸き起こる感情の度合いも異なる。かくいう語りかける男の声も怒りに震えていた。

 しかし、対して閣下と呼ばれた男の目は冷ややかなものだった。

 乾ききった灰色の眼光を曇り空に据え、嘲け混じりのため息を漏らし、「なぁに……よくあることだ」と静かにそう口にした。

「奇襲は軍の作戦上、最も効果があるモノとして位置づけられている。なら相手がそれを使ってくるのは常套手段といえば常套手段なのだろう」

「しかし、それではその常套手段で死んだ村人たちが浮かばれません!」

「それも、今回は敵がアルフヘイムの連合兵だったというだけ。野党に襲われようが山賊に襲われようが死んでしまえば同じこと」

 「でも」と部下が言葉を詰まらせたのを男は聞き逃さない。だが、閣下と呼ばれた男にしてみれば、今後の戦乱の中で失われる数多くの命や今後の国家のあり方という、待ち受ける恐ろしい未来を考えれば、そんな感傷ともつかない思考を巡らせる暇はなかった。だがそれでも、隣を歩く部下の肩にそっと手を置き、口元に自嘲めいた笑いを含ませる。 

「なに、お前が思っていることは正しい。村の人命が失われたのは悲しいことだ。そして、それは俺もなんだよ。本来なら民を守るはずの、騎士であるこの私が……今や皇族だけを守護し、あまねく民に剣を捧げないなどとは………物語の中で語られるエーフェの騎士”フィンハオラン”の末裔にして現当主とは思えぬ所業だ。

 だが、そんな私でもせめて……調査帰りに殺された哀れな者たちの墓を作ることぐらいはできるがな」

 空は今にも泣き出しそうな程に暗さを増し、辺りを土の湿った臭いが包み込んだ。

 あと丘をひとつ超えれば目的の村に着く。聖女の報告では彼女があらかたの敵兵を殺し、残った兵士も逃亡したとのことなので、駐留している敵兵と戦闘になるようなことはおそらくないだろう。

 だが、ひとつ不安要素がある。

 戦闘が無いことはおそらく宮廷も考えていたのだろう。そのため今回連れてきた手勢は皆、軍に招兵されてまだ日の浅い訓練学校を卒業したばかりの素人だということ。「お前、軍に入って何年になる」と隣の男に聞くと、訓練学校で習ったとおりの一分の隙もない敬礼し、「丁度2年になります」と返答があった。

「戦場に出た経験は?」

「ありません!しかし、こうなったからには、イチ早く戦場に出て、シルバーニ閣下のような一流の軍人に!!」

 教科書通りの答え。それに閣下と呼ばれた男はまた笑い、「いや、そうじゃないんだ」と答えた。

「お前たち、ここで野営の準備をして待っていてくれないか?」

 その言葉に声の届く範囲に居た全員が首を傾げる。しかし、村が近づくに連れ声の届く範囲に居た者達、そして声の届かぬ範囲に居たもの達までもが鼻を覆い、顔をしかめさせた。

 そもそも何十人という人間が一夜にして殺され焼かれた現場。そこに漂う人間の焼死体の腐った臭いはとてもじゃないが常人が耐えられるものではない。かくいうこの閣下と呼ばれている男もいくつもの戦場を渡り歩きやっと平気になったが、それは我慢出来るというだけであり気にならないというわけではない。

 先に参ったのは人間よりも嗅覚の発達した馬の方だった。足並みを止め、一頭また一頭と脱落していく。「無理はするな、ここで野営しろ」と短く告げ、閣下と呼ばれた男はさらに奥へと一人足を進めていった。

 更に近づけばより臭いは強くなり、そして見ることになるのは人間の成れの果てとは思えぬほどに凄惨な焼死体や蝿や蛆の湧いた死体の数々。そして、なんとも言えぬ死体の中で感じる陰鬱な空気。

 今まで何人も新人を受け持ってきたがコレを見て前食を逆流させぬものは居なかった。

 しかし、ある意味失敗だったかもしれない。

 なにせ、自分一人でこれから何十人という村人の為に土を掘り、遺骸を埋めてその上に石なり木材なりで簡単な慰霊碑を作ってやらなければならぬのだから。今宵中に終われば良し。下手をすれば明日明後日までかかるやもしれぬ。

 そんなことを考え、村を一望できる丘へ差し掛かった時。

 その向こうに男は心臓が止まりそうなほど衝撃的な光景を見た。

 

 燃え落ちた家屋の隙間を縫うように、所狭しと突き刺さった木の十字架。その数はゆうに100を超えていた。十字架の中には様々なものがあった。建物の燃えカスで作られたものが殆どだったが、農作業で使っていたであろう(クワ)やシャベルを組み合わせたものや上に麦わら帽子が乗ったモノ。教会の跡地の近くにはエーフェの総主教であるディアウス教の神紋入りの首飾りが掛けられている。

 元パン屋の近くの十字架にはバンダナが。レストランの近くの十字架にはエプロン。雑貨屋の近くの十字架には鍋。

 十字架に名前が刻まれぬ代わりに犠牲者を象徴する品々がそこに眠る遺体を暗示する墓造り。粋な心意気だが一体誰が。

 3日前の火事のせいで、空気中の塵が炭化し、煤になってこびり付いた空気の中、まだ炎の燻る街の中央からほんのりと異質な熱と光を感じ、男の足は自然とそちらを向いていた。

 そして、町の中央に探し求めていた答えが居た。

 一人きりの葬列としてのせめてもの礼儀なのか多少小奇麗にはしているが髪も手もボロボロの服も煤で汚れ、歩きまわって靴が壊れたのかその少年は裸足だった。よく見れば爪は真っ黒になり、体中様々なところにかすり傷がある少年が立っていたのは、腰ほどの高さの石に魔法使いの帽子と杖が立てかけられた墓の前だった。

 その少年の元へと足を向かわせた時、男は奇妙なことに気がついた。確か少年の立っている辺りは聖女が奇襲した敵兵を葬ったとされる場所。ならばそこにあるはずではないのか。連合兵の成れの果てが。

 しかしいくら見回せどその姿はどこにも見られなかった。代わりにあったのは十字架の代わりに剣が刺さりその上でまるで旗のように靡く連合軍の赤い上着。

「村人だけでなく……兵士達の墓も作ったのか」

 問いかけに少年は諦めとも疲れとも見える乾ききった目で男を見据えた。

「死ねば誰でも一緒だから」

 その答えに驚く。男自身その考え方の境地に至ったのは修練を積み、40代を超えた辺りになってからのことだった。誰にでもできる考え方ではない。実際先ほどの兵士も奇襲によって殺された村人のことだけを気にかけ、聖女に返り討ちにされた奇襲した側の連合兵については何もコメントしていなかった。

 そして、そんな少年がしていたことがコレ。三日三晩に渡り墓を作り続けた。大人ですら慣れないウチは誰もが嘔吐し身体を震わせ足を踏み入れるのすら拒む場所で。

 とても常人の神経とは思えなかった。神の祝福を受けた存在か、あるいは悪魔の化身か。

「その墓だけ周りの墓と違うのは何故だ?」

 少年の目の前に立つ石の墓。よく見ればこの街の中で唯一名前が刻まれていた。下手くそな文字で何と書かれているのかわからないが、自分の血液を巌に染み込ませるようにして書いたのだろう。

「スタンレーさんのお墓。俺のこと助けてくれて……だから、ひとりだけ特別なお墓……だから、できるだけ綺麗な石探したんだけど、こんなのしか無くって……添える花も探したんだけど……全部燃えちゃってなんにも無かったんだ……」

 男は静かに少年を見据え「そうか……」とだけ返した。自分のことを助けてくれた人に対するせめてもの恩返し。極限状態においても礼節を忘れぬその構え。それもまた少年をただの人間という枠から遠ざけていた。

「ねぇ、オジサン。お酒持ってない?」との少年からの問いかけにポケットを漁ってスキットルを取り出す。「頂戴」と言われたのでそのまま渡してやると「ありがとう」と両手で受け取り、その蓋を外して目の前の墓にトロトロとかけ始めた。

「どこで覚えた……そんなもん」

「忍び込んだ貧民街の映画館。オトナの人は死んだら皆これをしてほしいって……」

 受け売りというわけか。しかしながら、

 それを聞いて「マセたガキだな」と男は笑った。

「ダメ?」

 乾いた双眸と感情の殆どこもらぬ声での問いかけに男は口元を緩めさせた。

「いや、おもしろい……坊主。名前をなんていう?」

「……アリエス」

「そうか……俺はシルバーニ・ド・フィンハオラン。剣を少し嗜む放蕩貴族……だと思ってくれればいい。坊主……いや、アリエスと言ったな。……お前、この村のこんな結末が悔しいか?」

「悔しい?」

「そう……お前が……いや、お前たちが殺されそうになった時の情報は俺も小耳に挟んだ。この村をこんな結末に導いたのがお前だと連合の将校に言われたこともな。だからこそ問う。アリエス、この村のこの結末、悔しくはないか?」

 無用な圧力(プレッシャー)を与え本心とは異なる誤った解答を引き出さないよう、あえて目線を合わせずに男は少年に問うた。それにたっぷりの時間をかけて推敲と可逆を繰り返し、少年は期待通りの解答を口にする。

「悔しいよ……すげー悔しい」

「そうだ……それでいい……お前は、かけがえの無いものを守れなかった」

 厳しいその言葉にアリエスが唇を噛む。そもそもあの連合の将校が言った言葉は正しい。もし自分が最初に襲撃された時、少年だと油断して襲ってきたであろう連合兵を全員撃退するだけの力を持っていたならば、こんな惨劇は起こらず、今日もまたあの古い油のような重い空気と音楽の流れるレストランでミートパイでも食べていたのかもしれないと思うと全身が切り裂かれそうになった。

「だが失っただけじゃない……お前は……この村の全ての人の命を託されてしまった。墓を作ったお前なら、守れなかった骸の重さを十分すぎるほど知ってるだろう。だが……託された命はその比ではない程に重いものだ。

 偶然か……あるいは必然か……お前はそれを背負ってしまった。

 つまり、これからお前は、自分を守り、人をも守る力を身につけ無くてはならなくなってしまったということだ。大切なものを……今度こそ守りぬく為に……」

「守りぬくため……」

「俺はお前が気に入った。お前にはその資格がある。アリエス……名を背負ってみないか?」

 男が意図的にずっと逸らしていた目線がアリエスの双眸に据えられる。まるで猛禽類を思わせる厳しい目線。しかしアリエスは物怖じすらせずに逆に問いかけた。

「名前?」

 男が力強く頷く。 

「そう。この世で最も重く、最も気高き貴族の名“フィンハオラン”を……そしてその力を……俺が教えてやる。大切なものを守る方法、その力、俺が貴様に与えてやる」

 いつの間にか空は開け、雲の間から祝福するかのような夕光が差し込んでいた。突然吹き荒れる風が2人の身体を通りぬける。

 つらい過去を背負いながらも広い世界を映そうとする少年の真っ直ぐな瞳。そして、その少年を見込んだ鷹のような男の瞳。


「お前には……俺の“とっておき”をくれてやる」

 

 耳の奥に残った声が、あたりの静寂さを揺らして頭の中へと染みこむ。

 

 少年の中で運命の歯車が動き出す。少年もその音をしっかりと感じた。

 いつしか曇り空は晴れ渡り荘厳な夕日を見ながら少年は心に刻み付ける。


 二度とこんな悲劇を繰り返さない。そして今度は自分の力で必ず……


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