夜と約束と動き出す歯車 6
飛び出そうとした瞬間は、あまりにも悪い刹那だった。大声のした方向を向いてみると、そこには若い男たちが立っていた。しかも。こいつら……山賊なんかじゃない!
山賊は綺麗な赤の鎧なんて装備しない。
磨きあげられた新品の剣なんか持ってない。
そして、山賊は。
連合軍の紋章なんて付けてない。
大声で叫んだせいでゾロゾロと仲間が集まってくる。その中でシロンは震え、アリエスはそんな彼女を庇いながら子供とは思えぬ恐ろしい視線で大人たちを睨みつけた。
「おやおや~。なんだ、ガキって言うからどんなもんかと思ってみりゃ、マジでガキじゃねぇか」
後から駆けつけてきた、一人黒のマントを靡かせる男が笑いながらそう呟く。他の兵士とは違う金色の兜。他の男がその男に向かって「隊長。このガキの片方、もしかして」と呟くと、男は顎に手を添え醜臭の酷い吐息のかかる距離まで顔を近づけ、 「あ?あぁ、なんだ昨日の夜のガキか」と呟く。
「どういう事だ!」
我を忘れて声を荒らげるアリエスを見て、隊長を呼ばれていた男が下品に笑った。
「ギャハハハ!そうか!憶えてないのか!忘れたのか……俺だよ」
初対面の相手にそんなことを言われる筋合いはなかった。誰かに恨まれるようなことはたくさんしてきたが、復讐されないよう、その都度、被恨者の顔は逐一覚えるようにしている。だが、どんなに記憶の糸を辿ってもこの男達の顔は思い当たらない。
……
…………
いや…………
アリエスはこの男達の顔を知っていた。正確に言えば、忘れていたのではない。忘れようとしていた。憶えてないのではない。思い出そうとしていなかった。途端に身体が震え、絶望の井戸の底へ叩き落されたような感覚に陥る。
「おぉ!?思い出したみたいだな?そうだよ。お前にひどい怪我を負わせた。正確に言えばお前を斬ったのはこの俺だ!!」
嬉々とした表情で語る男。
それと同時に疼きだしたのは背中の傷の痛みだけでは無かった。
抗おうとしても足が震え、意味も分からず冷や汗が出てくる状態。
頭の中を支配する「何故動けないのか」という溢れ出る疑問はまるで土石流のように消化しきれずに後から後から迫り来る。
震える子供2人を前にして男はさらに口元をニヤつかせる。
「そうかそうか。どうやら俺の優しさは通じなかったようだな」
「優しさだと!!」
それでも無理に口を動かし、アリエスは必死に抗議の言葉と視線を送り続ける。
「分からないか?何故、俺がお前を傷つけたと思う?」
その言葉の意味を知ろうと混乱する脳で必死に考えるがその答えは見つからず、ただただ酷い怨恨を込めた視線をぶつけるばかりだった。
「これだからお子様は」
男は呆れたように肩をすくめる。
「じゃあ、ヒントをやろう。もし、お前があの村の出身者で、あの場で殺されたとしたら、この村はどうなったと思う?」
10歳の混乱している少年にとってそれはヒントと呼べるようなシロモノでは決してなかった。それでも、目の前の男の言いたいことを必死になって脳を絞って考えを巡らせる。だが、その答えを出したのはアリエスの脳ではなく、別の人間の脳だった。
「もし……」
震える唇を動かし、身体を小刻みに震わせながらシロンはうつろな視線で独り言のように呟く。
「もし、あの場で村の人が……例えば私が殺されていたとしたら、おそらく、村の人達は必死になってその原因を突き止めた……ということは」
男の笑みが更に強くなる。
「お嬢ちゃん、どうやら君のほうがそこのガキより賢しいようだ。その通り。そして、半日もあれば君の傷が刀傷であることが分かったはずだ。そして、切り口が鋭利であることから、山賊じゃない。俺らのような、小競り合いこそあるものの、まだ戦争には至っていないを結んでいるはずの敵国の軍人であったことも。
だが、残念なことに、私たちが斬ったのは村の人間でもなければ、死んでもいない少年だった。ある意味、非常に残念な結果だよ」
男がアリエスの方へと向き直る。
「つまり、この村にこんな結末を招いたのは君だ。そこのガキ」
息ができないほどの圧力がアリエスを包み込み呼吸を停止させた。考えないようにしていた。シロンの発言を聞いて、頭の中で再生された最悪のシミュレーション。そのあまりの残酷さ故に無意識に思考を停止させていた。
そう……もしもあの場で自分が中途半端に生き残らず、殺されていたら。
いかに浮浪者だったとしても、路上で斬傷を受けた少年の遺体が見つかったら、一応遺体は回収され、そして司法解剖に回されたかもしれない。そして、もしそこにスタンレーのような軍事経験がある人間がいればその切り口から盗賊の錆びた剣などではなく、鋭利な軍用の剣で切り裂かれたことを見ぬいたかもしれない。
そうすればこんな最悪な結末だけは防げたかもしれない。
全ては仮定の話だが、それでもそんなことが起こりうる確率は決して無いわけでも極僅かというわけでもなかったはず。自分の命と引き換えに何十人という罪のない人々の命が失われた。その事実と仮定はアリエスを絶望に突き落とすのに十分だった。
「ハハハッ!これは傑作だ!なんだ、坊ちゃん!君が殺したんじゃないか!」
男がその言葉を放ったその瞬間、アリエスの中で何かがはじけ飛んだ。だらしなく膝から崩れ、なすがままに手を地について頭を垂れることしかできなかった。
「なぁに、恥じる事など無いさ。誰にでも罪は有る。浅いか深いかだけの違いだ。たまたまお前が死ななかった。たったそれだけじゃないか」
男が手で合図をし、それに従って周りの兵士が静かに腰の剣を抜刀した。
「ガキ。それにお嬢ちゃん。君たちはあの世を信じるかい?私は信じない。何しろ幽霊なんて見たことないし、でなければ戦場は幽霊だらけになっちまう。魂だけの存在になるなんて、チャンチャラおかしな話だ。人間なんて、死んだらただの死体になるだけ。そこに魂なんて存在しない。残るのはソイツの重くて辛かった人生だけだ。だが、もしあの世なんてものがあったとしたら、恨まないでくれよ。運が悪かった。たったそれだけのことなんだから」
気がつくと、赤い鎧の兵士達によって周りを円形に囲まれていた。
悔しそうに顔を顰めるアリエスと、目をギュッと瞑り涙を浮かべながら震えるシロン
そんな2人に向かって男はイカれた笑顔を見せながら言う。
「心配するな俺は優しいんだ。できるだけ苦しまないよう、一瞬で逝かせてやるよ。殺せ」
男の指示に全員が揃って剣を振り上げた。2人とも死を覚悟し、ぎゅっと目を閉じ、最後の維持でアリエスはシロンを庇うように抱きかかえた。
状況の変化は一瞬だった。
一瞬白い糸が空中を舞った気がした。
そして、その後2人の双眸が捉えた光景。それは10歳の少年と少女にはあまりにショッキングな光景だった。全身をバラバラなパーツに切り刻まれ、血液をまるで噴水のようにまき散らして絶命していく兵士たち。今まで自分達を蹂躙しようとしていた兵士たちが一転、蹂躙される側に回らされる悲劇。シロンは悲鳴を上げて目を閉じたが、アリエスはそんなシロンの頭を抱えその光景を見せないようにしながらも自身は歓喜の感情も嘲笑う衝動も無く、ただただ機械のようにしっかりとその光景を目に焼き付けた。
人間の命が無慈悲に奪われる瞬間を。その瞬間の断末魔を。表情を。
「なんだ?ナニが起こった!」
圧倒的優位を崩され、男は機敏に視線を動かして現状を確かめようと必死になる。やがて一人の人影を見つけ暗闇と燃え盛る炎の逆光の中、ゆるりと揺れる影を見つけ、その姿を確かめようと目を細めた。
「真に優しき人間は人を殺そうなどというゲスな考え方をしません。言葉は選んで使いなさい」
揺らめく炎を後光のように輝かせ、金糸のような髪を熱風に揺らめかせながらその女性は鋭い視線を男に浴びせていた。
「聖女様」
シロンが泣き出しそうな声でその名を呼んだ。手にしたレイピアを地面に突き刺し、大きく腕を広げてシロンとアリエスをそっと抱きかかえるように抱きしめる。炎の中だというのにその体は確かな暖かさが有り、今までの不安を一蹴して余りあるほどの安心感が2人を包み込んだ。
「ごめんね。ちょっと遅すぎたみたい」
たまらず声を上げて泣き出すシロン。不覚にもアリエスまでもがボロボロとだらしなく涙を流し、聖女の洋服を濡らした。対して一人その光景を見つめる男は冷や汗混じりに震える指で聖女を指す。
「聖女ってことは……あんたが、エリルティア・オンタリオか……」
「名を呼ぶことを許した覚えはありませんよ」
先程までの2人を抱きしめていた時の慈愛に満ちた表情とは一転、再び視線だけで人を殺せそうなほどの冷たい支線を男へ投げ、聖女は再び地面に突き刺していたレイピアを手にした。
「あーぁ、ひでぇな。皆殺しちまいやがった。これが聖職者のやることかね」
わずかに震える声でせめてもの強がりを口にするが、男は腰の剣を抜くこともせずただただその状況から逃げ出す方法を探っているようにも見えた。聖女が聖職者であることを自覚させ、せめて自分だけでも情けをかけてもらおうという浅ましい考え方。それを知ってか知らずか、エリーは静かに脅迫の言葉を口にする。
「聖職者は聖人ではありません。人間である以上怒ることも許せないことも恨むこともあります。最後の情けです。今すぐ立ち去り二度と国境を跨ぐような真似をしないと誓いなさい。そうすれば命まで取ろうとは思いません」
「その優しさ。いつか命取りになることを忘れるな」と捨て台詞のように聖女の捨て台詞を残して男は消えていった。辺りに自分達しかいなくなり、ただただ轟音を鳴り響かせながら燃え盛る炎の熱さだけがそこに残され、アリエスはなんの感情もなく、ずっとその炎を見つめていた。
「アリエス君、シロンちゃん。そろそろ行きましょう。有事の際には皇都の中央教会がお世話してくれることになってるから」
エリーのその一言にアリエスは唖然とする。まだ生きている人がこの炎の中に居るかもしれない。ならば先にすべきは消火活動ではないのか?光熱で炙られた空気が吹きすさぶ中に混じる血の匂いと人肉が焼かれる臭い。
「……行きましょう」
聖女の言葉は10歳の少年少女にもその言葉が意味するところはわかった。すなわち、自分達以外の生存者が既に望めないことを。
シロンが崩れ落ちるように地に伏せ、教会のシスター達の名前をうわ言のように呼び続ける。
そこにはあまりにも残酷な臭いが立ち込めていた。
「敵国の兵士が堂々と紋章や軍服を着込んで国境を不法侵入し、侵略を行った。いつかは起こるって誰しもが考えていた事態が起きてしまった。だから私はこれから皇都に行って、宮廷にこの村で起きたことを全部説明しなきゃいけないの。わかってくれる?」
聖女の言葉にシロンは静かに頷いた。しかし、アリエスは素直に頷くことができなかった。このまま皇都に黙って向かうことに対する奇妙なズレを感じた。何が『ズレている』のかはわからない。だが、このまま皇都に向かうのは何かズレているという奇妙な感覚に包まれた。
「エリーさん。都って、どっちですか?」
その言葉は無意識に近い無防備な状態で口から発せられた。「ここからだと東北東だけど、なんで?」とエリルティアが疑問を投げかけるとアリエスは少し考えた後に作り笑顔を浮かべ、「先に行ってて貰えますか?後から追いつきますから」と言葉を返す。
ソレに対してエリルティアは多くを語らず、多くを問おうとはしなかった。ただ、アリエスに「それは今やらないと後悔すること?」とだけ質問し、アリエスは短く「はい」とだけ答えた。
エリーは目を閉じて、10歳の少年の意見を聞くべきかしばらく考えていたが、やがてそっとその両肩に手をおいてその双眸を覗きこんだ。
「分かったわ。でも、これだけは約束して。絶対都に来るって。出来る限り早くね」
「わかりました」とアリエスは大きく頷いた。これ以上は何も言うまいと、エリーは静かにシロンにだけ手を差し伸べ、その手を取った。
「アリエス君!!」
シロンが叫ぶ。
「必ず!!必ずまた会えますよね!!」
その言葉にアリエスは頷き「もちろん」と返した。確証はなかったが、そうしなければいけない気がした。震えるシロンの手を取り、もう一度その栗色の双眸を見つめ、もう一度頷く。
「大丈夫だよ。スグ会える。スグに」
「本当?ですか?」
弱々しい声での再度の問いかけ。もちろん確証はない。だが、それでも、答えなければならない気がした。
「もちろん」
できるだけ自然な笑顔を心がけてアリエスが笑う。すると、シロンは静かに小指を差し出した。
「指切りしてください。」
暫し困惑したが、アリエスは静かに自分の小指を差し出す。
「指切ゲンマン嘘ついたら針千本の~ます!!」
子どもっぽい。でも確かな約束をする感覚で2人は指切りを交わす。
僅か数十秒の年端もいかない子供同士の約束。しかし、アリエスの心にはしっかりとそれが刻み込まれた。必ずもう一度会おうと。
「じゃあ、アリエス君。先に行っているわね。いい?必ずあとから来ること」
エリルティアの言葉にもアリエスはニコやかに笑顔で対応した。それを見届けると、エリルティアはシロンの手を引いて、燃え盛る街に背を向け歩き出した。何度も燃える街を振り返るシロンに対し、エリルティアは一度も振り返ることはしなかった。
それが覚悟の重さ故なのか、はたまた単にこの凄惨な光景をコレ以上見るに耐えないからなのか。アリエスの目にはそれが印象に残った。
「さて」と一声上げてからアリエスは燃える村の方へと向き直る。元々小さな村だけあり、建物がそれほど密集していないことも影響して、炎は先程よりも多少鎮まりを見せていた。これなら、一軒一軒回って生存者が居ないかどうかを確認することだってできるはず。自らに炎が燃え移らぬよう、近くの井戸から水を汲み上げて頭から被るとアリエスは残存の兵力が残っていることも考え、先程無残に殺された兵士の亡骸から剣を掴みとる。初めて触れた人を殺すためだけに成形された刃物は簡単に振り回すことすら出来ぬほどの重みがあったがそれを両手で引きずるようにしながらアリエスは炎の中へと消えていった。まだ見ぬ、聖女が見落とした生存者を見つけることを夢見て。