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夜と約束と動き出す歯車 5

シロンが案内したのは村から少し離れた処にある丘だった。

 道は確かに草だらけで明かり一つなかったが、その道を2人で夢中で歩いた。

 そして、丘の天辺に着いて、視界が開けると。

 空一面に広がっていたのは見渡す限りの星空だった。まるで降ってきそうな、月のように明るい星の光。電気の光を知らない夜空は思ったよりもずっとずっと明るく、銀河の腕が光の川となって流れ、空を青い程に輝かせていた。

「凄い」

 アリエスが呟く。そのあまりの美しさに目尻が熱くなるのを感じた。それはあんまり綺麗で……

 シロンは芝生の上に腰を下ろし、そっと空の最も明るい3つの星を指さした。


「アレが“シグニ”。それで、あれが“ナスル”、あれが、“リュラ”。その三つの星を結ぶと出来るのが“夏の大三角形”。でも、もう夏も終りですから、今週ぐらいで見納めですね」

 どれも聴いたことのない星の名前だった。そもそもほとんどの教育を受けていないアリエスは星の名前なんて殆ど知らない。

「えっと、北極星ってどれ?」

 唯一知っている星の名前を告げるとシロンは「北極星?」と首をかしげた。

「ポーラー。えっと、船乗りたちが北を目指す時目印にする星、って言えばいいのかな」

「ああ、“天枢”ですね。」

「天枢?」

「古い言葉で“星の中の星”という意味が有るらしいです。アレです」

 彼女が指差すその先。そこにはひときわ強く力強く輝く星が瞬いていた。昔誰かが星空は星々がダンスパーティーをしていて北極星はその指揮者なのだと浪漫にあふれたことを言っていたがその言葉をそのまま体現するようにその存在を誇示する一等星の姿がそこにはあった。

 だが、対してアリエスは少し肩を落とし、「やっぱり」と呟く。 

 その発言の真意を正そうとシロンは「え?」と聞き返すが、アリエスは咄嗟に「なんでもない」と寂しそうな笑顔を向けたため、シロンもそれ以上追求をするのはやめようと思った。

 夜空を見上げながら、2人は静かな時間を過ごす。

 交わされるのはなんとはない雑談。星の話に始まり、好きな食べ物の話、アリエスが倒れているのを見つけた時の話。そして、いつしか雑談はお互いの過去の話へと移って行った。

「じゃあ、両親が……その……亡くなってからはずっとこの街に?」

 このアリエスの失礼としか言いようがない言葉にシロンが答えたのは、おそらくお互いが似通った境遇にあったからだろう。

「いいえ。お父さんとお母さんが死んでからは、しばらくは聖女様と一緒に諸都漫遊してたらしいです」

「らしいです?」

「ええ、お恥ずかしい話なんですが、あんまりよく覚えてないんです」

「覚えてないって」

 どういうこと?と聞こうとしたところで、シロンが先に答えた。

「聖女様曰く、“悲しみが深すぎて、出会ってこの村に来て修道院に入ってからしばらくはまるで人形のようだった”っておっしゃってました。だから私、お父さんとお母さんの顔もよく覚えてないんです。覚えているのはその日まで暮らしてきた農場の光景だけ」

 シロンは自分の親が小さな街で静かに農業を営んでいたことと、連合との紛争による略奪で自分の目の前で親を殺されたことなどをアリエスに伝えた。そして、今度はアリエスの番。シロンが質問する番。

「アリエス君は……確か、数年前から彷徨ってたと言ってましたね」

 首肯する。

「二年前に一人になってからはずっといろんな街を転々としてたよ。盗みもやったし、路上で寝たことも有るし、悪いコトしたり、街の区画整理でスラムや裏路地が消える度に追い出されてひたすら東の街から西側へ旅してたってその辺の話は昼間したよね」

「はい。でも、その二年より前ってどうしてたんですか?」

「ああ、彷徨う前か」

「はい。差し支えなければご両親のお話や何故浮浪者などに身を落としてしまったのかというお話を聞きたくて……」

 首を捻る。

「なんて言ったら良いんだろうな」

 髪を掻き乱すアリエスにシロンが首を傾げた。

「言いたくないのなら、別に無理してまで言ってくれなくてもいいですよ?」

「いや、ちょっと説明しにくいって言うか。なんて言うか……とりあえず、居たのは孤児院だった」

「孤児院ですか?」

「うん。そこの院長先生曰く、雪の降る真冬の夜に見回りに出たら、孤児院の前に捨てられてたんだってさ」

「捨てられ……」

「置いていったのが誰かは分からない。でも、近くに住んでたおばさんの表現だと、酒に酔った若い女と男の二人組だって。身なりから考えるに、おそらくどっかの店の女とその客じゃないかって」

「あ……ぁ」

「どしたの?」

「いや……あの……その……ごめんなさい」

 まさか、そこまで壮絶な人生を歩んでいるなんて。彼女にしてみれば、自分より酷い過去の持ち主なんて居ないと思っていたのだろう。曲がりなりにも自分より酷い人生の子なんて居ないのではないかと。正しくいうなれば、10歳の女の子にしてはものすごく常識的に、おそらく自分と同程度の重い過去を持っているのではないかと。

 沈むシロンにアリエスはそっと笑いかけた。

「なんで謝んの?俺だって結構失礼な事言ったし、お互い様でしょ?」

「でも」

 煮え切らない態度のシロンにアリエスはさらに笑みを強くした。

 そして……

 ―♪♪♪~♪♪♪~♪~♪♪♪♪♪―

 静かに歌を歌う・・・


 君の瞳に花開く 夢を奏でる心

 風に吹かれるこの道さえも 星明りに照らされ

 今ただ一人 歩こう

 胸を震わせるときめきを 空と大地に歌おう

 悲しみも笑顔も温もりも 熱い想いに揺れて

 今抱きしめて歩こう


 正直、上手とは言い難かったが、その旋律と歌詞がシロンの心の中に染みていった。

「昔さ。孤児院の先生が教えてくれたんだ。『みなさん、悲しいときには歌を歌いましょう。』って」

 しばらくは唖然と死ていたシロンだが、その口元はゆっくりと微笑みへと変わっていた。

「素敵な歌」

「良ければ教えようか。簡単な歌だし、元は皆で歌う歌だから」

 その後しばらくシロンに歌詞とメロディを教え誰もいない夜の丘に2人の子供の歌声だけが小さく響いた。


 ……


 それは、まさに思いつきだったかもしれない。

 ただ、なんとなく彼女なら信じてくれる気がしたのだ。

「シロンなら、きっとこの話も信じてくれるかな?」

 今まで誰に話しても馬鹿にされけなされ続けた話。子供の妄想だと言われ、それがきっかけで街を追い出されたこともあり、その経験から段々と自分の中で隠し続けるようになった話。そんな苦い経験がありながらも何故か、この眼の前の少女だけは信じてくれる気がした。

「シロン。俺、実はさ」

 覚悟を決めて夜空をもう一度見つめ、夏のぬるい空気を肺いっぱいに吸い込み落ち着きを取り戻す。そして…異変に気がつく。

「シロン。星が」

 驚くアリエスにシロンも反応して一緒に空を見上げる。

 そして、「あれ?」と小さく呟いた。

 先程まで今にも降り注いできそうだった星空は一変し、星々はまるで何かから逃げるようにその姿を隠していた。

「おかしいですね。まだ朝日が昇るには早い時間のはずですが」

「シロン!!あれ!!」

 身を起こしたアリエスが指差すその先の光景を見つめシロンは口元を手で覆う。

「そんな……」

 シロンの瞳孔が一気に小さくなり、目の前の信じられない光景を拒絶するかのように身体を硬直させていた。

 眼下に広がる燃え盛るタルブの街。先程まで安息に包まれ全てを眠らせていた街の姿はそこにはなく、夜空に響き渡る悲鳴と怒号。そして蹂躙する蹄の音と空を染め上げる紅だけがそこにあった。

「戻ろう!!」

 アリエスに言われて、シロンが頷く。

 2人は慌てて、来るときは真っ暗だった、今は石の一つ一つの形まで分かる道を駆け下りていく。

 そして、村の入口についた途端。

「隠れろ!!」

 誰かの嗄れた声と共に2人は街を囲む腰ほどの低さの煉瓦の壁の影へと引き込まれた。

 慌てて、誰なのかを確認し、2人はほぼ同時にその名を呼んだ。

「スタンレーさん!!」「スタンレーおじいちゃん!!」

「静かにしろ!!バカども!!」

 その言葉に2人は絶句する。なぜなら、その時の老人の顔は、先程までの東洋魔術かぶれの怪しい老人では無かった。まるで獲物を追い詰める狩人のような激しくも厳しい眼光。まるで本物軍人のようだった。

 スタンレーはそのままそっと煉瓦の隙間から村の方を覗いた。

「俺にも、見せてください!!」「私にも!!」

「ダメじゃ!!絶対に見るな!!」

 見えないけど、音だけは聞こえる。

 それは、そう、まるで山賊にでも襲われているかのような下品な声と無数の足音。そして、刃物が血肉を切り裂き、矢尻が刺さる音。銃の火薬が炸裂し、弾丸が降り注ぐ音。甲高い悲鳴の雨に2人は同時に耳を塞いだ。

「シスター・ソニア……」

 シロンが震えながら声の主の名を呼ぶ。

 悲鳴は尚も続く。

「シスター・エフィ……シスター・サングリア……」

「クソ共め!教会の連中にまで手にかけおったか!」

 スタンレーの怒声に頭に血が昇ったアリエスからブチッという音が聞こえた気がした。

 そして、おもむろに突っ込んだワイシャツの内ポケットから取り出したのは小さな一本のナイフ。

「あいつら!!」

 折りたたみ式のそれを展開させ、しっかりと握りしめてそのまま飛び出そうと地面を踏み込む。

「止めんか!!」

 イザ飛び出そうというところで、老人が強制的に肩を掴んで引き戻した。

「行かせて!」

「バカモン!!大人の力で敵わなかったものに、何故ガキが勝てる!!剣や槍や弓で勝てなかったものに何故ナイフで勝てる!!考えろ!!」

「でも!!」

 その時、アリエスはスタンレーの言葉の意味を理解した。

「敵わなかったって、まさか!!」

 アリエスの言葉にスタンレーは乾いた目で嘲笑うかのように街を見つめていた。

「スタンレーおじいちゃん。村の自警団は?あの人達なら山賊に襲われたって狩猟用のライフルがあるから大丈夫だって。山賊が襲ってきたって負けやしないって」

 シロンの言葉にもスタンレーは無言で答えた。

「まさか!!」

「襲ってきたのが山賊程度なら、負けるわけなかったんじゃがの」

 悔しそうに。そして、残念そうにスタンレーが呟いた。

「やれやれ。歳はとりたくないのぅ。歳を取ると、身体が自由に動かなくなる。それに、数年前……いや、たったの半年前まで出来たことすらままならんようになる」

 そして、壁に立てかけてあった古い樫の杖を手にとった。

 しかも、それもよく見てみると、処々傷だらけで、尚且つ、天辺に小さいながらも紫色の魔法石が埋め込まれている。すなわち、魔法杖。魔術を使う人間が、己と大気中を舞う魔力との媒介として使用する物品。それを持ちたる理由はすなわち、魔術が使えるということ。目の前の老人がかつてエリートだった証たる物品だった。

「ワシが時間を稼ぐ。その間にお前達は逃げろ」

「「そんな!!」」

 スタンレーの言葉に2人が絶句する。“出来るわけがない!!”そう言おうとした時だった。

「考えるな!!!やれ!!」

 それまでに聞いた事ない程の大声でスタンレーが叫ぶ。

 

「昔、ワシは軍の兵士じゃった。内戦では宮廷魔術師の一人として、たくさんの人間を殺してきた。だが、やはり神は魔術というものを人殺しの道具として使ったワシに天罰を与えた。敵の魔術師に戦いで大怪我を負い、もう二度と満足に戦闘ができるどころか、満足に動くことすらままらなん体になってしまった。軍は使えない魔術師をそのまま囲っておくほどヤワな組織じゃ無かった。すぐにクビにされたよ。自分をこんな身体にした、自分を魔術師という特権階級から追放した連合の兵士が憎くてな……その後民間の傭兵として幾多の戦場を渡り何人もの人間をさらに殺し続けた。じゃが、そんな時じゃった。自分の年齢の僅か1/10にも満たない少女と出会ったのは。少女はワシに言ったよ。

『こんな悲しいことをいつまで続ける気ですか?そんな黒い感覚にいつまで染まり続ける気ですか?』とな。思えば拙い子供の発する戯言じゃった。だが、ワシはあれで元気を貰った。やり直す機会を貰ったんじゃ」

 握りしめた杖を淡い透明な光が覆っていく。

「行け。こんな老骨など置いて。そして、何があろうと生き延びよ。お前らはまだ何も知らんでいい。何も気にせず今夜のことは忘れ、ここではないどこかで幸せになれ。いいか?ワシが飛び出したら逆方向に逃げるんじゃぞ」

 余裕のない笑みを浮かべるスタンレーに向かって、2人はグッと何かを堪えるように黙る。

「いくぞ」

 そう言ってスタンレーは劫火の中へと消えて行った。

「なんだこいつは!!」

「黙れ!!ゴミども!!ワシが相手をしてやるわ!!」

「蹴散らせ!!我が連合の力を見せよ!!!」

 叫び声が聞こえた後、再び耳を裂くのは激しい破裂音と魔法音とそれから金属がぶつかる音。何十発という銃声。

「クッ……」

 アリエスが拳を握り締める。情けない。その顔に浮かんでいたのは憎悪、怒り、そしてなにより強かったのは。屈辱の念だった。何にも出来ない。世話になった人が殺されてるのに助けることはおろか、その人を犠牲にして逃げることしかできない。

 やりようのない苦く黒い感情をぶつけるかのように、強く地面を殴る。拳に僅かに血が滲んだ。

「無力だ」

 嘆くアリエスの肩をシロンは優しく叩く。

「私たちにも、出来ることがあります。今は逃げましょう。スタンレーおじいちゃんの言っていた通りに。皇都に言ってこのことを軍隊に知らせましょう。そうすれば彼らに裁きが下ります。神様はちゃんと見ています」

 修道女である彼女が言うまっすぐな言葉。確かにシロンの言う事はわかる。それしか自分達にできることがないことも。でも、本当にそれでいいのだろうか。

 もしかしたら、まだ生存者が居るかもしれない。だったら、このまま逃げないで、村を襲っている奴らがどこかに逃げてから救助作業をするという選択肢も。

 それに……

 アリエス自身、まだ諦めきれなかった。

 自分にも何か出来ることがあるかもしれない。

 それなのに。


 鋭い衝撃が頬を走り、最初何をされたのかアリエスは理解が出来なかった。それがシロンに叩かれた痛みだとわかるまでに実に数秒を有した。

「『おじいちゃんが助けてくれたんです!!その生命を無駄にすることは許しません!!』」

 唖然とするアリエスに対し、シロンは尚も健全にその言葉を紡いだ。

「聖女様ならきっとそう言います。」

 それを聞いてアリエスも首肯する。叩かれたことで多少脳内がクリアになってくれていた。

「わかった。逃げよう」

 やっと目が覚めた。この場に残ってもできることなんて何も無い。だったら、逃げて逃げて逃げまくって、そして生きる。復讐するにも、自分なりに調査をするにも命が無くては出来ないのだから。今まで2年間も続けてきた生活の上で一番重要だった(ことわり)。何が合っても生き残る。なんでそんな一番大切なことを忘れていたのか。

「行こう!!」

 そう宣言して、シロンの手を引き、静かにその場を立ち去ろうとする。だが……

「おいこっちにもガキが2人居るぞ!!」

 飛び出そうとした瞬間。それはあまりにも悪い刹那。大声のした方向を向いてみると、そこには若い男たちが立っていた。しかも。こいつら……山賊なんかじゃない!

 山賊は綺麗な赤の鎧なんて装備しない。

 磨きあげられた新品の剣なんか持ってない。

 そして、山賊は。


 連合軍の紋章なんて付けてない。


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