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夜と約束と動き出す歯車 3

「こちらにおられましたか、聖女様」

 全身を軽鎧で包んだ兵士が一人小走りで近づいてきて、エリーの後ろで立ち止まる。

「馬車の用意整いました。いつでもご出立になれます」

 その言葉に「ありがとう」と言ってエリーは静かに席を立った。

「じゃ、私はちょっとお出かけしてくるわね。」

 聖女がそう言い立ち上がって兵士が持ってきたマントを身にまとうとシロンが静かに立ち上がり「どちらに?」尋ねた。

「オスロに行ってくるわ。教会の会合でね。今日はあっちに泊まって明日の朝帰ってくるから、こっちに戻ってくるのは明日のお昼頃だと思う」

「分かりました。食堂のおばちゃんとか修道院の院長先生にはそうお伝えしておきます。どうぞ、お気をつけて」とシロンが静かに頭を下げたため、アリエスもそれに習い、立ち上がって、頭を下げる。エリルティアはそれに満足気に笑い、再び優しくシロンの頭を撫でた。

「シロンちゃん。アリエス君は、きっとまだ知らないことがたくさんあるだろうから、怪我の具合を見つつ、街を案内してあげて」

 シロンが頭を上げて、元気な返事をする。するとエリルティアは、今度は優しくアリエスの頭を撫でて。

「アリエス君。わからないことはシロンに何でも聞いてね。私の一番弟子だから、きっと何でも知っているはずよ」

「そんな、恐れ多いです」と照れるシロンの隣でアリエスも頭を上げて、「いってらっしゃい」と素直に頭を下げた。思えばこんな風に誰かに「いってらっしゃい」なんて言うのは何年ぶりのことか。むしろ普通にその言葉を言えたことになにより驚いていたのは他でもないアリエスだった。

「じゃあ.あんまり夜更かししちゃだめよ」

 そんな保護者っぽいことをいたずらっぽく言いながら、エリーは静かに石造りの廊下の向こうへと消えて行った。残されたアリエスは気まずくなってテーブルの上に置かれた水を一気に飲み干すと、先に隣のシロンが語りだす。

「アリエス君……でしたよね」

名前を呼ばれ、聖女の消えた廊下先からシロンの瞳へと目線を移す。先ほどの不機嫌さとは打って変わって、年齢通りの10歳の少女の優しげな双眸がこちらを見つめていた。

「傷はまだ痛みますか?」

 問いかけに痛みの最も強い背中を摩りながら、その感触を確かめる。

「大丈夫。思ったよりは痛くないと思う」

「ちょっと背中を見せていただけますか?」

 シロンの言葉に戸惑いながらも、アリエスは静かにシロンに背中を向けた。

「すごい」

 と、服の上から撫でながらシロンが漏らす。

「思ったよりもずっと傷の治りが早いです。どうやら痛みが引いているのは鎮痛剤のおかげだけでは無いようですね」

 うれしそうな声で、「もういいですよ」と言われたため、アリエスはすぐに元通りにシロンの方へと向き直った。

「少し、お出かけしませんか?」

 シロンの言葉に、アリエスが思わず「え?」っと声をあげる。

「思いのほか傷の治りも早いようですし、ずっと屋内に居ては体にも悪いです。少しぐらいなら出歩けそうですので、よろしければ軽い散策をしませんか?肩ぐらいなら貸してあげますから」

 正直、このまま寝ているだけよりも日の下を歩きたい気分ではあるが、果たして少女の肩を借りてまで出かける必要があるのだろうか。

 ただ、このままベッドに戻ってもただ退屈に一日を終えるだけである。常に毎日何かを成さなければその日その日を明日へ繋ぐことすらできなかったアリエスにとってそれは日常から突き放されたような感覚でどうにも居心地が悪かった。

「頼める?」

 アリエスが聞くと、シロンは嬉しそうに「喜んで」と言う言葉と笑顔を返してくれた。

「じゃあ、行きましょうか……」

 シロンにそう言われ、アリエスは立ち上がり、シロンの肩にそっと触れ、悪く言えば、彼女を杖替わりにしてゆっくりと歩き出した。

 初めて触れる少女の肌は今まで出会ってきたどんな人よりも柔らかく触れたところから溶けてしまいそうな粉雪のようなのに、とてつもなく暖かかった。


       ※          ※              ※


 教会から外へ出てみると、すぐに柔らかな草と土の匂いのする風が鼻腔を擽った。

 目の前に広がったのは田園の風景。季節が秋なこともあり、そこには金色の麦穂が所狭しと頭を垂れていた。あぜ道をシロンに支えなられながらアリエスはのんびりと歩いていく。聞こえるのは土に鍬を振り下ろす音と自分たちの足音。そして、遠くに聞こえる大人や子供の声と小鳥のさえずり。

 のどか。平和。

 先程エリルティアから説明された現在の世界情勢とは似つかわしくなく、また、アリエスの日常とも程遠かったこの2つの言葉がどうしようもなくその場所には似合っていた。

「シロンさん。この村って、国内のどの辺なの?」

 その問いにシロンは暫し、開いている手を顎に添える。

「アリエス君もしかして、地理には疎い方ですか?」

 疎いも何もそもそも自分がいる場所すら知らなかった。その旨をシロンに伝えると彼女は疑問に首をかしげる。

「アリエス君。一体何しにここに来たんですか?」

「何しにって」

「怪我して倒れてたのはこの村へ続く一本道でしたし、他に行く先があったとは」

 そんな事情を当然アリエスは知らず、ありのままを伝えることにした。

「とはいっても、ホント彷徨ってたって言い方が近いから」

「さ……さまよってた?」

「ああ……俺、家族も家も無いから……」

 暗く言っても仕方ないのであっさりと言う。

「いろいろあってさ。ここ2年ぐらい国内を天涯孤独で、とにかく生きるために国中旅してたんだ」

「そ、それはその」

 明らかな失言をしてしまったことで動揺するシロンを無視して、明るい調子でアリエスは続けた。

「生きるためになんでもやってきたよ。盗みもやったし、人を刺したこともあったっけ。でも、まだ殺したことはない」

 まさかこの数年後、合法的に大量殺人をするとは思っていないアリエスはニッコリと笑って返した。

「お食事とかどうしてたんですか?」

「良ければ親切な人が果物をくれたり、レストランで皿洗いする代わりにまかないをもらえた。でも、ほとんどはゴミ箱漁ったり、盗んだりしてた。そして、それが軍隊や警察に見つかる度に、その街には居られなくなって、次の街を探す放浪生活の繰り返し」

「服とかは?」

「食べ物に同じく」

「夜寝るときは、どうしてたんですか?」

「橋の下とか使われてない農耕小屋があればいいほうだけど、大抵そういうところには大人の先客がいるから、裏路地のそのまた裏で捨てられてた毛布とか服とかを縛りあわせて寝具にしてた。割と温かいんだよ」

「寂しくなかったんですか?」

「どうだろ。必死すぎてあんまり考えなかったかな。でも、うん……多分寂しかったんだと思う」

 誰からも必要とされず、誰からも要らないモノのように扱われ、死にたくて死にたくてどうしようもないけれど、こんな惨めなまま路上で死ぬのは嫌だと本能が拒絶する。ゴミ捨て場の食べ物をめぐって争い、大人の浮浪者から殴られ、激怒し、近くにあったガラス瓶で殴りつけてその大人を血みどろにしてかじりかけのパンを奪ったこともあった。

「ごめんなさい」

 消え入りそうな声でシロンが呟く。

「無神経な事を聞きました。」

「いや、誰かにわかってもらえたというか……誰かに話を聞いてもらっただけでも、随分楽になった。ありがとう」

 優しく笑うアリエスにシロンは顔を赤らめ背けるが、こんなに自然に笑えたことに一番驚いているのはアリエスだった。

「えっと、そういえばここはどこかって話でしたね」

 話題を戻し、シロンが小枝を拾って簡単に地面に地図を描く。彼女の書いた地図はほんとうに簡単なもので、四角形と三角形を様々組み合わせた積み木細工のような形をしていた。

「これが大体この国の地図だとして、今いるのはここです」

 彼女が示した場所。それはその地図の左側の果てだった。地図的に見れば西ということになるのだろう。そして、それは同時にアリエスに自嘲めいた感慨深さを与える。街を追い出されては次の街へ行き、また追い出されては次の街へ。そんなことを繰り返している内にいつのまにか国を東から西へと縦断していたらしい。それは2年間という彼がストリートチルドレンとして生きてきた時間がいかに長いものだったのかを思い出させる足跡であった。やがて、再びシロンに連れられてアリエスは歩き出す。

「この村はタルブって言います。見ての通り国境近くに有る小さな農村なのですが、あまりに小さすぎて地図にも載ってないんです。まあ、そのおかげというかなんというか、ここは連合もそれほど重要な拠点とは思っていないらしく、紛争も起きずにこうしてのんびりとした場所でいられるんです」

 シロンが慈しみを込めながら辺りを見回すのにアリエスも続いて目線を巡らせる。まるでベトナムの山奥にでも来たようなのどかで、それでいてどこか懐かしさを感じさせる。有りもしない故郷とか自分の生まれた場所を見つめるようなそんな不思議な感覚になる。

「あの?アリエス君?」

 しばし無言で歩いていたところで、シロンが不意に声を掛けた。

「お腹……空きませんか?」

 そう言われて太陽を見てみると、既に西の空にあった。感覚的に言うと午後三時半と行ったところだろうか。まあ、時間など関係なく、普段から日々の食べ物にすら困っているアリエスはいつだって空腹だったし、腹が満たされた経験すらないのだが。

「実は少し」

 せめてもの強がりを口にして、アリエスはそっと腹部を擦った。最後に残飯食を済ませたのは昨夜のことなので、本来ならば3日間位何も食べなくても生きていける。だが、それはあくまで我慢出来るという意味であり、正直いますぐにでもなにか食べさせて貰いたいというのが心の奥底で意志とは関係なく呻きを上げる身体の本音だった。

「それなら」

「儂が奢ってやろう」

 聞きなれぬ第三者の声に振り向いてみると、そこには一人の老人が立っていた。

 大きな三角帽に古びたローブ。それに、長い白ヒゲと眉。

 それは明らかに魔術師を連想させる要望だった。

 この世界では科学技術よりも魔術のほうが発展している。だが、ソレを使いこなせる人物というのは限りなく少ないのもまた事実だった。そもそも生まれつき才能のある人間が血反吐の出るような特訓をしてやっと一流と言われる技能。それが魔術。

 しかしながら、それゆえに魔術は使えるというだけで誰もが望むエリートコースを歩むことを約束された程の価値を持つ。この世界の評論家には「人生の7割は顔が良いかそれとも魔術が使えるかで決まる」なんてことを言い残した者も居る程に。

 もちろんそれ故に、まがい物も大勢存在するのだが。占い師程度ならそこいらの一般人でも少し本で勉強すれば使えるようになる。そして、目の前の老人はどう見てもそのまがい物にしか見えなかった。そもそもエリートたる魔術師は様々な場所で重宝され高給での働き口を探せるため、汚らしい身なりなどするはずもない。

「スタンレーおじいちゃん」

 シロンがその名を口にする。

「お前か、昨日大怪我で修道院に運び込まれたっていうガキは」

 正直はっきりとした記憶がないので肯定も否定もできないのだが、それでもアリエスは静かに頷いた。

「大変だったんじゃぞ。散策に行っていたシロンが慌てて帰ってきてな。『男の子が血を流して倒れている』と。それから、八百屋と酒屋の息子がお前を担架で運んで、すぐに、魔法陣の上で腹を掻っ捌いて儀式じゃ」

 まるで黒魔術の復活の儀式だ。何をされたのかと弱冠気分が悪くなった所で、シロンが目の前の老人に詰め寄り怒りの瞳を向けた。

「おじいちゃん!そういう言い方しないで!あれは、魔術治療とそれから外科手術!れっきとした治療法なの!」

 ソレを聞いて胸を撫で下ろすアリエスに不気味な笑いを浮かべた老人が詰め寄る。

「儂に言わせればどっちも邪道じゃよ。少年よ」

「はい?」

「東洋医術というものを知っているか?偏屈な一般的な魔術や腹を掻っ捌く治療とは違って、己の気の力のみで治療をするから安全じゃし、薬とやらの副作用も無い。儂の診療所にくれば……」

「あ~はいはい。残念ながら、アリエス君にはイモリの黒焼きとか蛇の卵とか食べる趣味はないから!」

 いったい治療と称して何を食べさせるつもりだったのかとアリエスは老人に流し目を送った。老人はすぐに目線を逸らしたがアリエスとてそんなとんでもないものを食べさせられるつもりはない。ちなみにどちらも不味いことは既に体験済みだった。

「まあ、それはさておき、どうじゃ?どうせ、食事と言っても、修道院の食堂にでも行くつもりだったんじゃろ?」

 じいさんの言葉にシロンは図星をつかれたように「当然です」と毅然とした返事をした。

「修道院のお食事は毎日専門のシスターが栄養バランスを考えて作るとっても身体に良いお食事なんですから」

「栄養価の配分が良いのは認めよう。だがしかし、シロンはともかく、若い少年が肉も食べずにあんな野菜だらけの飯では満足せんじゃろ」

 老人の問いかけにシロンはバツが悪そうに「それは……」と言葉に詰まっていた。確かに若い育ち盛りの男子に食べさせるには少々分量も満足感も足りないことはシロンとてよくわかっている。事実シロンですらよく物足りなさを感じ、街に行った時、こっそりと購入したキャンディーを夜中に舐めたりすることがある。シロンはそっと、アリエスに目線を反らし、「どうします?」と問うてくる。シロンとてアリエスをきちんとしたレストランに連れて行ったほうがいいことはこの時点でわかっているのだ。

「えっと、『ご飯を奢ってくれたお礼に変な魔術とかに協力しろ』なんて言いませんよね」

「馬鹿者!!儂とてそんなに落ちぶれてはおらんわい!!」

 青筋を立てて怒鳴られたので、苦笑いしながら、シロンに向かって頷いた。

「じゃ、じゃあ、スタンレーおじいちゃん。ご馳走になります。」

「うむ」

 こうして、この怪しい老人に食事を奢られる運びになった。

 だが、この時点では誰も知る由は無かった。

 この後に起こる悲劇の始まりを。


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