夜と約束と動き出す歯車 2
「さて……いざ現状を話すとなると、どこから話したらいいかわからないものね」
テラスで頬杖をつきながら思考に明け暮れ、やがて聖女は目の前の少年が如何程の知識を有するのかすら知らなかった事実に気がつく。
「アリエス君。失礼だけど、学校に行って歴史の勉強をしたことはある?」
しばらく沈黙してから、アリエスは「いいえ」と答える。
実はストリートチルドレンになる前……孤児院に居た頃は僅かな期間とはいえ学校というものに通っていた経験もあったが、それは8歳まで。社会や理科なんて科目が時間割に登場する遥かに前のこと。
「そっか。わかった。じゃあ、ちょっとだけ歴史のお勉強ね。始まりは今から約200年程前……」
かつてこの大陸には様々な呼び名が有り、その呼び名の数だけ大小様々な国家が存在した。農耕で栄えた国家。漁業で栄えた国家。海運で栄えた国家。商業で栄えた国家。多数の国家が互いに共存し合い、協調しあう。そんな理想的な世界が実現していた時期もあった。
しかし、軍事力を背景にした国家が誕生したことでその束の間の平穏は一瞬にして瓦解を余儀なくされた。軍事大国として名を上げたゲルマニアという国が隣国へ宣戦布告したことに発する大陸全土を巻き込んだ第一次大陸戦役は次第にその炎を西へ東へと広げ、やがて大陸の極東に位置する小さな貴金属と宝石の算出国エーフェもその火の粉を頭上から被る時代へと突入した。
既に、多数の国家が焼き払われた時代、大陸の半数をその統治下としたゲルマニアがやがて大陸全土を収め、大陸の全てがゲルマニア国王の手に収めるのは時間の問題であると誰もが認める中、ついにエーフェへの進軍が始まった。
ある日いきなりエーフェ有数の金鉱を有する離島を我が物と主張し、海軍力を持って侵攻を開始したゲルマニア。
後にユースタス海戦と呼ばれるその戦いにおいて大勝を得たゲルマニアはエーフェの皇都へ向け12万の兵士を進軍させ、結果エーフェの女帝を東南の土地へと逃亡させ皇都を占拠。女帝は国内の親ゲルマニア派から退位と無条件降伏を強いられる屈辱を受けることとなる。
しかしそんな屈辱に屈すること無く、そしてこの危機的状況を救うため、女王は数少ない信頼出来る臣下であった自らの騎士に人材の調達を要請した。
結果、かつて様々な国家に召し抱えられそのすべての国家で輝かしい功績を残しながらも現在は晴耕雨読の生活を送っていた男を自らの頭脳たる宰相として迎え、国家産業とも言える貴金属と宝石の算出を足掛かりに莫大な富を得ていた商人に国家財政と外交を仕切らせ、獅子退治の英雄とされながらも現在は地下闘技場での日銭を賭けた戦いに身を投じていた男を将軍に抜擢したことで、その後のエーフェという国家の逆転劇は後に何十もの伝説で語られ、数えきれぬほどの本やソレを元にした創作が生み出されることとなる。
最終的にゲルマニアは"エーフェの商人"が大陸の香辛料と毛皮の流通を独占したことで、真冬にも関わらず食料の保存が効かなくり、防寒対策すらままならず、文字通り寒さと飢えで戦争の継続が困難となり侵略し属国とした国々に助けを求めたものの、弱っている宗主国に味方するより現在戦況で勝る小さな歴史ある国に味方した方が圧倒的に優位に立てると考える国が大多数を占め、ゲルマニアという国はこの大陸の地図から姿を消し、その国の土地は小さな宝石産出国の色で塗りつぶされることとなった。
窮地に追いやられながらもその後僅か数ヶ月で大陸の半分を占拠するに至ったその国を周辺諸国は不死鳥と崇め、ゲルマニアの再来と罵った。
前回はたまたまゲルマニアが攻めて来なかったというだけであり、再びエーフェが侵略戦争を始めればその時は間違いなく食い潰される。なにせ相手は大陸の半分を領土とする巨大国家なのだから。残りの半分の国々が恐怖に怯える中、大陸の西の果てに位置する国アリティアも同様の考えを持ち、エーフェ以外の国家に対して同盟をもちかけた。
侵略されるよりは。
どの国もがそう考え、どの国もがその道を選んだ。
かくして、神聖アリティア帝国を盟主とするアリティア連合と皇帝を主とし絶対王政を施政するエーフェ皇国とにより大陸は西と東を両分する形で200年の平穏を手にすることとなったのである。
しかし、その平穏は突然に奪われることとなる。
二年前に賢君として君臨していたアルカディアス・シャルル・ベルメージェル・シェリサントが逝去すると、当時11歳だったその息子バルバトラがバルバトラ・オズワルド・ジ・シェリサントとして即位。当然政治など出来るはずもなく摂政として彼女の母親で先帝の正室であったキャスリーン・リーサ・シェリサントが選出された。
しかし、このキャスリーンという女。とんでもない悪君であった。
元より、政略結婚によりスティリアという小国を併合するに当たって、エーフェ宮廷へと招かれた政略結婚の姫。自国を売り渡すような王族達によって何不自由なく育てた姫に愛国心を期待するほうが到底無理な話だった。
皇帝である息子を傀儡とし、自ら女王を名乗り、彼女は暴政の限りを尽くした。
まず、自身に取って代わられることを恐れ、先帝の死に沈む側室シェリルを策略に嵌め全ての地位と力を奪い去り宮廷敷地内の離宮に幽閉。
そして国家の全権を握ると、湯水の如く支出する財政により宝石算出による莫大な収入があるとは思えないほどに国庫は疲弊。宰相であるフェルトマリア家の当主、ヴィンセント・フェルトマリアによりなんとか崖を踏み外さずにいる状態だった。
しかし、それも一年前までの話。
忘れえぬ一年前の年末。フェルトマリア家は夜襲を受け全滅。
後にブルー・ル・マリアと呼ばれるこの事件はフェルトマリア家の当主ヴィンセントとその妻マリアを何度も刺殺し、二人にまだ息があったにもかかわらす居城に火を放った。唯一、一人娘の遺骸だけは見つからなかったが、今だ生死すらわからず行方不明になっている。
そしてフェルトマリアの崩御を受け、皇国は完全に崩壊した。キャスリーンによる完全独裁制への移行、さらにあろうことかキャスリーンはフェルトマリア家を襲撃したのは大陸のもう半分を有する連合の盟主であるアリティア帝国による謀略であると発表し、帝国のみならず連合に属するすべての国家に対し多額の賠償と謝罪、及び領土の割譲を要求した。
これを連合は身に覚えのない事件だと否定。皇国からの要求を全てはねのける形となった。
だが、皇国に連合の謀略とする確固たる証拠がないのと同様に、連合にも無実の証明は不可能。さも悪魔の証明のようなこの事件は大陸を二分する皇国と連合の関係を一気に緊張状態へと縺れ込ませた。
そして、開戦こそしていないものの、国境近くでは紛争が繰り広げられている。
「ま、そんなわけ」
苦々しい笑いを口元に含ませたエリルティアは半ばあきらめたように乾いた笑いを漏らした。
アリエスにしてみれば初めて耳にする現在の歴史。インターネットはもちろんテレビすら無く精々家に一台ラジオがあればいい方なこの時代にとって、このような情報を手に入れようと思えば、それこそ新聞や本ぐらいしか無いのだが、学校に行っていないアリエスはせいぜい簡単な文章を読める程度。熟語が満載の文章など読めるわけもない。
「エリーさんも、戦ったりするんですか?」
彼女が腰に帯びたレイピアを見据えて小さな声で問う。できれば彼女の手が血に汚れているのかもしれないというのは信じたくない事実だった。しかし、エリルティアは乾いた目でアリエスを見据え、「たまにね」とたった4文字だけの残酷な返答をした。
「何がたまにですか。今や救国の聖女として戦場で女神扱いされてるのに」
後ろからの声にアリエスが振り返る。
「シロンさん」
「もう!!!私のこと置いていくから!!!あっちこっち探しまわっちゃいましたよ!!!」
怒るシロンに、エリーが「ごめんごめん。私が連れ出したの。彼に責任はないわ」と苦笑いして謝る。
煮え切らない表情で彼女は持ってきたグラス3つをテーブルの上に置いて、そこに水を注ぎ、そして、自分もその場の空いている席へと座った。
「先程もあなた目当ての巡礼の方がいらっしゃってました。神様の声を聞く聖女の伝説を信じて」
「神様の……声?」
アリエスが知り得ない聖女の噂。しかし教会では常識とされてるのか、シロンが先程よりさらに機嫌悪そうな顔をして怪訝の視線をこちらへ投げてきた。
「聖女の物語を知らないんですか?女の子は路地裏でまるで闇に紛れるようにして生きてきた占い師のまだ10歳の女の子でした」
今の俺やシロンと同じぐらいだとアリエスは心の中で静かに思う。
「その女の子のする占いはとっても不思議なものでした。何故なら、100%当たるんです。普通占い師と言えば、結構曖昧なことを言ってしまうものですが、その女の子は的確に物事を言い当てることができたんです。まるで予言のように。本人は”神様の声”と言ってました。しかも、その女の子は人の心の声も聞くことができたんです。」
「心の声って……つまり……」
「誰かが辛いと思ってればそれがわかりますし、誰かが嬉しいと思っていればそれが分かる。そういうことです。そして、ある日、その噂を聞きつけた一人の文官が彼女を王宮へと連れていきました。
そして、そこで厳しい審議が執り行われました。ひょっとしたら悪魔や伝承通りの魔女である可能性がありましたから。当時まだ皇帝として玉座に座っていたアルカディアス先王は自ら群衆の中に隠れ、影武者を玉座へと上がったのです。しかし、心が読める少女はすぐにそれを見破り、群衆の中から皇帝を見つけ出しました。
何千人という群衆の中から陛下を当ててしまったんです。そして、その後も教会のシスター達による厳しい審問を受け、ついに聖女として認められたのです。そして、少女は現在までの8年間、素晴らしい活躍をなさいました。その功績は国家が最年少での列聖を決定するほどに。そして、半年前。彼女は敵によって侵略された国境に居ました。人を守るために……戦うために……。
未来を見る力で伝説の武器が眠っている場所を探し出し、手に入れ、その武器を手に、彼女は紛争に介入しました」
無謀だ。とアリエスは心のどこかで思った。女の子が一人で、戦場に出て、軍隊を相手にするなんて無理や無茶ではない。無謀。英雄のすることではなく、馬鹿のする行動だと目の前の聖女を見つめ考えてしまう。しかし、その聖女が今だ目の前で生きているのは代えがたい事実。この世界には幽霊なんてものもごく当たり前として存在しているが、聖女はソレとは考えられないほど血色もよくなにより温かみがあった。
「アリエスさん。その結果、どうなったと思います?」
「負けた」
10歳の少年らしく、アリエスは正直に言う。
「いいえ、聖女はたった一人の少女とたった一本の魔剣を使い、10万を超える軍隊が壊滅したんです。わずか数時間で」
驚愕にアリエスはシロンの目を見返した。アリエスの無言の問い掛けにシロンは真面目に頷いた。
「まあ、その女の子の手に入れた伝説の武器が想像を絶するものだったからというのも、もちろんあるんだけどね」と、聖女が付け加える。
「想像を絶する……ですか?」
アリエスの問いかけに聖女はそっと腰のレイピアのスウェプトヒルトの護拳に触れる。
「”郷愁のレガリア”。伝説ではそう呼ばれているわ。かつてこの世を支配した神様やら魔神やらが創りだしたと言われる伝説の戦器。宝具や宝貝なんて呼ばれることもあるわね。伝説では世界に7つ7種類が存在するらしいけど、私が見つけられたのはその中の一つ、剣だけ」
「結果、その内紛は集結し、聖女様はその後様々な奇跡を起こし、幾多の戦場を渡り歩いては紛争を解決し人々に救済を与えて来ました。だからこそ、エリルティア様はこう呼ばれています。救国の聖女、光導する魔女と」
「小さい子供がつけてくれた”えりりん”ってのが一番好きだけどね」
「えりりんなんて冗談じゃありません。弱冠17歳で枢機卿にまで昇ったあなたになんの敬称もつけないなんて許されません!」
毅然と言い放つシロンは機嫌が悪そうながらも双眸だけは隣の聖女を憧れと尊敬に輝かせていた。
「エリーさんすみません。俺何も知らなくて……」
うつむくアリエスにシロンも「その通りです」と言わんばかりに首を縦に振る。
「いいのよ。気にしないで。私的にはできれば気軽に読んで欲しいしね。最近は聖女聖女って。名前で呼ばれる機会中々無くってね。さてと……じゃあ、話をまた歴史の話に戻すわね」
暇を入れること無くアリエスは頭を縦に振った。
「ただ、もちろんキャスリーンに内政のすべてを任せてこの国を滅ぶのを良しとしない人たちは大勢いる。一人はさっきも言った先代皇帝の側室だったシェリル・リ・シェリサント様。元々先代皇帝とは恋愛結婚だったから、崩御された時はそれはそれは落ち込んでらして、キャスリーンに全てを奪われた悲劇の姫君。でも、彼女は彼女で自分の夫の国を滅ぼすつもりはなく、残された権利や権力そして名前を使って自ら独立機動部隊を設立して、ご自身も戦線に立っておられるわ。あと、教会も現在は空席になってるけど教皇の地位は皇帝より偉い。あと、せめて国家が侵略されるような事態になった時みすみす国家を明け渡すような愚行を犯すまいと、正規軍から辞任したジュリオ・チェザーレ将軍を筆頭に義勇軍も設立されてる。そして私達教会は教皇の名のもとに宮廷には属さないから、国家に侵されることはない。
現在、シェリル様は宮廷内をコレ以上悪くしないために尽力し、ジュリオ将軍は国家が侵略されぬよう押しとどめてる。そして私達教会は行方不明になってるフェルトマリアの令嬢、カトレア・キャビレット・リ・フェルトマリアを探しているの。」
もし宰相一族であるフェルトマリアの令嬢が見つかれば、彼女はすぐに宰相位に招かれる。そして彼女が一度シェリルを内政に戻すことを宣言すれば、一気にキャスリーンの地位は危うくなる。現王政の瓦解。それができるのは唯一、カトレアだけである。
だが、生きているのかも死んでいるのかもわからない雲をつかむような捜索活動。当然ながら、ノゾミはかなり薄い。むしろ、2年間姿を消している時点で、死んでいる確率の方が圧倒的に高いのだから。
まるで古い油のような重い空気が流れる。
この息苦しい空気を脱するように、聖女はそっと笑い、アリエスとシロンの頭をその手で撫でた。
「ごめんね。重たい話をしちゃって……まあ、長々と話をしてきてアレだけど、要は今のこの国の現状っていうのは、“アルフヘイム連合との冷戦による膠着状態”と“エーフェ皇国が女王キャスリーンによる悪の独裁政治の温床になっている”って板挟みなわけ。当然そんな状況だから、学校なんてホント一部の市民と特権階級しか行けなくって、農民や漁師の子供は貧困のせいで日々の生活すら危ぶまれる。つまり、アリエス君みたいに、学校に行けない子供もそれなりにいるわけよ」
苦しそうにアリエスが答える。だって、そんなの。祖国に蹂躙される生活なんてそんなの……
今まで戦争なんて無縁の国で育ってきたというのに……
「残念だけど、これは現実よ」
そう。もう、あの頃はきっと帰ってこない。これは現実なのだから……。
「でも、悪いことばかりじゃないんですよ。聖女様は現在、全国の教会に働きかけて、私のような戦災孤児を修道院で保護し、教会を学校として無償で教育を行う準備をしているんです」
あわててシロンがフォローし、それにアリエスも口元に乾いた笑いを含ませた。
「凄いですねエリーさん」
そう。今更昔を振り返ったってなんにもならない。今を精一杯生き抜くことだって十分に大切なはずなのだから。
「頑張ってください」
「ありがと」
アリエスの何気ない一言にもエリーはニッコリと笑って対応する。最悪な状況でもまず自分にできることから。次世代に望みを、願いを託すためにできることからコツコツと。そんな大人たちが当たり前に語りしかし実現させようとはしない理論を、実際に体現した聖女をアリエスはそっと尊敬の眼差しで見つめた。