7 かいじん 著 トンネル 『トンネルの出口』
「要するに、お前は(噛ませ犬)に選ばれたんだよ」
ゴマ塩頭の会長が言った。
「相手は、この次に世界戦の話が、ほぼ決まっている。
あちらサンとしちゃあ、その前に、楽に勝てる相手と
試合を組んで、派手な勝利で弾みを付けようって
腹なんだろう」
「で、あちらサンは、そこそこのキャリアがあって、
楽に倒せる対戦相手として、お前をご指名して来たと
言う訳だ。
お前どんな気分がするよ? ええっ?」
「・・・」
会長にそう言われた時、彼は何と答えればいいのか
とっさには言葉が浮かんで来なかった。
元々、彼は自分が思っている事を、他人に的確な
言葉で上手く伝える事が苦手だった。
(噛ませ犬・・・)
はじめそう言われた時、彼は正直な所、別に腹は
立たなかった。
相手側のジムから話があって決まった
今度の試合・・・・OPBF(東洋太平洋)ライト級王者
シーザー滝沢とのノンタイトル10回戦は、王者と
自分のこれまでの実績を比較して見れば、周りから
その様に思われるのは仕方の無い事の様に思える。
実際、その通りなのだろう・・・
彼は、ジムの窓越しに見える、、隣のビルの壁の方に
ぼんやりと視線を移した。
婦人服を下請けで、製造している、隣の町工場は
今は既に建物内の電気が消されている。
その真っ暗になった窓とコンクリートの壁に、
商店街の方から漏れて来るパチンコ屋の
ネオン看板の光が、めまぐるしく色彩を変え、
絶え間なく点滅しながら反射し続けている。
いつもの年より一層、暑く感じられた夏が終わり、
秋が来て今はもう季節は晩秋に差し掛かり、
一年は急速に、その終わりに向かって突き進もうと
していた。
彼はちょうど、去年の今頃に、
東日本新人王決勝進出を果たした自分が、
新人王獲得の為に、ただひたすらに
サンドバックを叩き続けていた事を、思い出す。
時々、思う事なのだが、時間と言うのは、気が付いて
見れば、いつの間にか何だかあっけなく
過ぎて行っている様に感じられる。
道を振り返って見れば、そこには自分が歩いて来た
道のりが目の前にある。
それは、とても短い距離しか無い様に感じられる。
・・・・
「どんな試合でも、自分は精一杯やるだけです」
彼は答えた。
「お前は、この所、ひでぇ負け方や、つまらない
試合をして引き分けたりと、まるでトンネルに
入っちまった様に目が出ねえでいる。
しかし、お前今度の試合をチャンスだと思わねえ
様じゃ駄目だぞ。」
会長が肩に掛けたタオルの両端を握り締めながら
言った。
「・・・そりゃぁ、確かに、滝沢は強えぇよ。
生半可で勝てる様な、相手じゃぁ無えさ。
だが、もしお前が、奴を食っちまったら、
こっちは苦労しねぇでも、タダで、世界ランキングが、転がり込んで
来るんだぜ?
(世界)と、言う言葉を、聞いて燃えない様じゃ、
お前、ボクサーなんか、やってる意味ねぇぞ。」
(確かにその通りだ・・・)
彼は思った。
「・・・このチャンスを生かすかどうかは、
お前次第だけどもよぉ・・・」
会長はそう言って、しばらくの間、黙り込んだ。
「・・・俺みたいな、オンボロジムの老いぼれ
でもよう。
元気でいられる内に、一度くれえ、自分の育てた選手を連れて、
世界戦の(夢のリング)に立って見てぇんだよ。」
窓の外に見える、ネオンの反射を眺めながら
会長が言った。
(自分は、このまま選手を、続けたとして、自分は、あのスポットライトに
照らし出された、24フィート(7メートル32センチ)四方のリングの中で
この先、一体どこまで、たどり着く事が出来るのだろう?)
彼は今度の試合でそれを確かめてみたいと思った。




