6 やあ 著 干支 『タツノオトシゴ』
ぼくのとうさんはクルマエビを曳くエビ曳き業者だ。
深夜の沖で底引き網漁をしている。
かあさんも結婚したばかりの頃は何度か漁についていったらしいが、船酔いで仕事にならず、早々ととうさんから引導を渡されたらしい。
とうさんは酔っ払うとそんなかあさんを笑うが、かあさんは澄ました顔で相手にしない。
エビ曳き漁の操業時間は日没から日の出までだ。
夏の夜、妹をおぶったかあさんと浜に涼みに出たら、遠くに漁火がいっぱい並んでいるのが見えた。
あの光のひとつはとうさんの船だ。
ぼくがかあさんに、
「あの一番でっかくて明るいのが大漁丸の光や」と言うと、
「あったり前」とかあさんは豪快に笑った。
ぼくの名前の大樹の「大」は、大漁丸の「大」らしい。
普通は船主の名前から一文字をとるのだけど、ぼくは反対に船の名前から一文字を貰っている。
とうさんのとうさん、つまりぼくのじいちゃんが「大助」という名前で、大漁丸はじいちゃんの名前に因んでいるから、本当はぼくの名前はじいちゃんから一文字を受け継いだ筈なのに、とうさんは照れ屋だから大漁丸からとった名前だとうそぶくのだ。
ぼくとかあさんは夏の間中、堤防から出来るだけ小さな石を選んではそっと海面に落として遊んだ。
海底を目指してまっすぐ沈む石を囲むように、夜光虫がきらきらきらと点滅する。
海蛍と呼んで観光ツアーの目玉にしているところもある。
だがテレビで見たそのツアーでは、海に勢いよく握りこぶしほどもある石を投げ込んでいて、ぼくたちはかなり嫌な気持ちになった。
テレビ画面から目を離さず、
「自然を大事にする気持ちが欠けている」ととうさんは言った。
かあさんも、
「小さい生き物がびっくりするわねぇ」と顔を曇らせた。
ぼくは夜の磯でちょこんとケシ粒みたいな目ん玉をふたつ光らせている、イソスジエビを思い浮かべた。そうだ。あいつらだって、いきなり石が飛び込んで来たら怖がるに違いない。
去年の春に大きい地震があったせいで、海のものはみんな安くなってしまった。
ぼくの住んでいるところは牡蠣やわかめの養殖筏が流されかけた程度で済んだけど、風評被害で魚や貝がほとんど売れず、たくさんの漁業者が困っている。
原発から漏れ出した放射能が、日本中の海に広がってしまったと思われているみたい。
「命までは取りに来ん」。
それが魚が安い時のとうさんの口癖だったけど、とうさんはもうその表現を使わなくなった。
津波に飲み込まれた人たちが海にたくさん漂っているというニュースを聞いてから、とうさんもさすがに言葉を選んで使うようになったようだ。
とうさんはもう随分と前に、一度だけ海で仏さんを拾っている。
仏さんとは遺体のことで、とうさんが見つけたのは誤って海に落ちて溺死してしまった漁師さんだった。
現場を知らない人は漁師なら泳げばいいのにと思うだろうけど、着衣のまま、ましてや漁業者用の合羽を着込んで船から転落してしまうと、まず助からないのだ。
その時、
「仏さんはな、神さまとおんなじやぞ。ひとり、ふたりや無うて、ひと柱、ふた柱と数えるんや」ととうさんはぼくに教えてくれた。
そして、
「仏さんを拾うことは有り難いことなんや」と続けて、ぼくの目をじっと見つめた。
ぼくはぼくの目を通して、心の中が全部、見透かされてしまうみたいな気になって、どきっとしたのを覚えている。
去年は魚がうんと安く買い叩かれてしまい、クリスマスもプレゼントはなしでケーキを食べただけだった。
漁業は毎年の魚の漁果や時価で年収が大きく変わる。漁師で食べていくのは、ばくちみたいなものなのだと言われている所以だ。
元旦の朝。
今年はどうせお年玉も貰えないと諦めていたら、玄関からとうさんがぼくと妹の名前を大きな声で呼ぶのが聞こえてきた。
日に焼けたまっ黒な顔で嬉しそうに笑うとうさんは、がっしりとした腕に大きいバケツを下げていた。
中には二匹のタツノオトシゴが入っていた。
きっとエビ曳きの網に入ったのを、ぼくと妹に内緒で活かしていたんだろう。
「お年玉やぞ。今年の干支は辰やからな。本物の辰を貰える子どもなんて、お前らふたりだけかも知れん」
とうさんは大きな口を開けて笑った。
まだよちよち歩きの妹が手を叩いて喜ぶのを見て、ぼくもつられるように嬉しそうな顔をしてしまった。
海のものを飼う時には、毎日、海水を替えてやらないといけないから大変なのに。
けどとうさんがこの小さな二匹のタツノオトシゴを今日まで大事に活かしていたと思うと、なんだかおかしくなった。
うまく言葉で言い表せないけど、ぼくはやっぱりとうさんが大好きだ。