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自作小説倶楽部 第4冊/2012年上半期(第19-24集)  作者: 自作小説倶楽部
第24集(2012年6月/「雨具」(傘・長靴)&トンネル
59/62

4 そよそよ 著  雨具 『傘と呪文と父と母』

  カンナは父の大きな黒い傘が大のお気に入りだった。

なぜならメアリーポピンズごっこにかかせないものだったから。母が見ていない事を確かめてから、塀に上ると、傘を開いて飛び降りる。体が少しふわっと浮いた気がする。何度も何度も繰り返しているうちに母に見つかり「パパの傘が痛むでしょ?」と叱られるのだ。

私の家にも、メアリーのような楽しいナニーが来てくれたらいいのに。いつもカンナはそう思っていた。気難しい父は、映画の中の父親そっくりだったし、母親は運動家ではなかったが、病気の兄の付き添いで不在がちだった。

 田舎の広い雑草だらけの庭で、6歳のカンナはいつも一人、空想の中で遊んでいた。学校でも一人でいる事が多かった。父の傘は時に魔法の杖になり、時に勇者の剣となる。丈がカンナの背と同じその傘は、カンナの大事な大事な遊び相手だった。雨あがりの朝は、カンナは真っ先に玄関に行き、父の傘を広げて日当たりのいいところに干しておく。そうしないと大事な傘にカビが生えてしまうからだ。

 最近、夜中によく両親が喧嘩している声が聞こえていた。兄の看護に一生懸命な母へ、父が苛立った声をあげている。「それでも農家の嫁か!」という罵声が響く。父の両親はカンナが生まれる前に亡くなっていた。母は義母から解放されたが、農家の全ての雑事を母がこなさなければならなくなった。父は少し気難しかったが、それでも優しい父だった。母はよく言っていた。あなたにはいい父親なのよ、と。

 ある朝、曇り空を見上げたカンナの父は、黒い傘を手にして会社に出かけた。そして夜遅くに帰ってきた父は、ご機嫌そうに騒いでいる。そういう日はとにかく寝たふりをするに限る。上機嫌の父に起されて土産の寿司を無理に食べさせられそうになるからだ。母に諌められた父は段々と機嫌が悪くなる。そしてまた喧嘩が始まった。カンナは耳を両手でふさぐ。兄の目が覚めて甲高い声で泣き始めた。二歳上の兄は病気のせいで情緒不安定だった。兄の泣き声に父は更に苛立ち、兄に手をあげかけたようだった。

…ああ、あの呪文はなんだったっけ。カンナはメアリーがいつも口にしていた呪文を必死に思い出そうとした。…スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスだ。

この呪文を覚えるために、一生懸命紙に書いて覚えたのだ。ブツブツとつぶやいているうちに、カンナは眠りに落ちた。

 そしてメアリ―が空から降りてくる夢を見た。その顔はどう見ても母だった。

 翌日は土曜日で、家の中が妙に静かな事に気が付いた。母の布団は綺麗に畳まれていた。カンナは兄の姿を探したが、兄の布団も畳まれていた。カンナは慌てて父親のところに行く。父は布団の中から返事をした。お母さんとお兄ちゃんは出て行ったよ。二日酔いなのか、頭が痛そうだった。

 その日、カンナにはもう一つショックな事があった。父が大事な傘を店に忘れてきたのだ。カンナは一人庭で遊びながら魔法の言葉を繰り返す。どうして、自分はこんなにメアリーポピンズが好きなのだろう。それはカンナの母がこの映画を好きだからに違いなかった。本当に支えてくれるナニーが欲しかったのは、きっと母だったのだ。

 その夜、父が男の料理だと言って作ってくれたのは、肉の無い野菜炒めだった。キャベツの芯は硬かったし、人参も生煮えだったが、カンナは涙目になりながらも食べ終えた。夜、隣で寝ていた父が「明日、一緒に傘を取りに行こう。」と言った。カンナはうなずくと、父の布団にもぐりこんでそのまま寝てしまった。

 翌日、父と二人で車で動物園に出かけた。夕方にならないと、お店は開かないからと言う。カンナは大好きな象を見たり、うさぎを抱っこしたりしている間も、傘の事で頭がいっぱいだった。ただ、お気に入りのロボコンと写真を撮っている間だけは、その事を忘れていた。

 ようやく夕方になり、父と訪れた神戸で有名な歓楽街は、ゴミだらけの汚い町だった。ただ初めて見るネオンというものは綺麗だと思った。父の後をついて路地裏の汚いビルの狭い階段を上る。化粧気のないおばさんが現れて、父に傘を渡した。傘が戻ったのは嬉しかったが、そのおばさんのお世辞でも綺麗と言えない恰好を見て、胡散臭そうな目をしたカンナに、父が「もう少しすると綺麗な人に変わるんだ。」と小声で言った。

 カンナは黒い傘を両手でしっかりと持った。カンナの様子に、父はなんでそんなにその傘が好きなんだ?と聞いた。「これはね、魔法の傘だから。」カンナはそう答えた。それから、父にも魔法の呪文を教えてあげた。父は何度か間違えながら繰り返した。カンナは「パパよくできました。」と言って笑った。

 父も笑うと、今からお母さんとお兄ちゃんを迎えに、おじいちゃん家へ行こう、とカンナに言った。カンナは片手で傘をギュッと握りしめた。もう片方の手は父の手を握った。


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