2 奄美剣星 著 雨具 『隻眼の兎の憂鬱』
魔法の傘をご存知だろうか? もちろん市販のものではないのだが、傍目には市販のそれと何ら変わるものではない。白地にピンク玉模様が入った可愛いやつだ。年頃の娘たちが、友だちとじゃれあいながら路地を歩いても何ら違和感のないものだ。唐突なことではあるが、先日、サイドカーに乗った兎から、それを贈られた。兎はぶっきらぼうだが、ときどき異世界に迷い込む少女の世話を何かにつけやいてくれたものだ。
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高校普通科二年の有栖川は彼女はやや身長が高いほうで百七十センチを超えていた。スポーツをするときは有利だった。バスケットをすれば、そこにボールを放り込むのは容易であったし、バレーボールでもディフェンスに有利だ。もちろん所属している部活の剣道部でも、「面」を打つときに身長差は極めて有利だったのだ。「篭手」や「胴」は身長の低い者でもできる。「突き」は難易度が高い。背の高い相手から「面」をもぎ取るのは至難の業だ。有栖川は県大会にでてもかなり上位に食い込むことができたのだ。
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有栖川は髪の毛を切ってみた。心境の変化というほどのことではない。ちょっとイメージチェンジをしてみたくなったのだ。相応に恋だってしたい。しかし声をかけてくる男子は少なく、稀に声をかけてくる連中というのは好みではない。クラスで彼女の身長に釣り合う男子は限られるし、大概、相手がいた。
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梅雨の季節。庭先では紫陽花が咲いていた。リビングで家族とテレビを視ていると、モノクロの古い映画が放映されていた。『ローマの休日』というものだ。ドレスで着飾り、表面的には華やかな生活を送っていた欧州のどこかの国の王女が、家畜のように極度に管理された生活に嫌気がさし、渡航先のイタリア・ローマの宿泊所から逃げ出し、疲れ果てて、ローマの噴水のところで、ついうとうとしていると、イケメンのアメリカ人記者に出会い、数日間の逃避行をするというものだった。
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(いいなあ。あんな素敵な恋がしたいなあ)
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有栖川は器量は悪くない。四肢は長いし、鼻は高い。少し顎と耳が尖っている。そう、ファンタジーによくでてくるエルフを連想するといいだろう。そんな娘だ。ブレザーにスニーカー、背中に竹刀をしょって自転車に乗り、高台にある南欧風の街の坂道を駆け降りて港湾を横切り、平野部となったそこから二キロ先の向こう側にある高台の学校に通っていた。
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どんよりとした空模様であった。夕方。危惧していた雨が降ってきた。魔法の傘をさしての運転。風があると煽られるので奨められるものではない。帰りの坂道には、紫・青・白の紫陽花が並んでいる。ぎこぎこと踏ん張って帰りの坂道を登っていると、後方から黒いリムージンが走ってきた。ロールスロイス・シルバーゴーストというもので、今となっては交通博物館でしかみられない代物。そいつが後ろから走ってきて有栖川の自転車の速度にあわせて徐行しだした。後部座席の窓が開く。
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「お嬢さん、僕と恋に落ちてみませんか?」
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黒衣にマント。耳と顎がとがっている。みるからに魔族といった感じだ。一応訊いてみる。
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「貴方様は?」
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「魔界のプリンスさ」
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(そう……)
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古めかしい装いだが、十七八のアイドル歌手のようにみえなくもない。身長は百八十センチ弱。細身色白細面。髪は軽くカールしている。切れ長の目は少しつり上がっていてクールだ。好みだ。
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少女の自転車が停った。黒衣の貴公子は車から降りてきて、少女の傘の下に入ろうとした。
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「相合傘、したくない?」
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有栖川は、自転車から後方へ退け跳んだ。自転車が倒れる。次の瞬間には傘を閉じ、相手に先を向けた。
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魔法の傘ビーム!
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傘先から雷光が走り抜け、リムージンを直撃、木っ端微塵に爆破した。爆風で魔界王子は吹き飛ばされ、街並みを超えてシケた海のほうに消えていった。
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(やっぱ、魔族は人類の敵よねえ)
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すると、ライダーが虎でコクピットには眼帯をつけた兎を乗せたサイドカー仕様のKATANAが後方から坂道を登ってきた。魔法の傘を贈ったのは兎だ。
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「……」
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有栖川の恋路は遠い。




