7 かいじん 著 生還 『その後の罪と罰』
昭和19年(1944)1月中旬頃、北海道.知床半島最端に近い岬、通称、ペキンの鼻
・・・
窓の外ではまた風が激しくなって来た。
男は、灰色の雲の下で広がっている真冬のオホーツクの荒波が岩壁に砕け散る音と
氷雪に覆われた地表を地吹雪が吹き荒れる音をずっと聞くとも無く聞き続けていた。
火の向こう側に目をやると、シゲは目を閉じて気持ち良さそうに眠っている様に見える。
男は、自分の船の乗組員の中で一番若かった、19歳のシゲを可愛がり、よく面倒を見てやった。
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「船長、オラもう目が見えねえ・・・」
夜が明け、空が明るくなり始めた頃、痩せ細った シゲがそう言った。
それから、しばらくして、シゲは寝息をたてる事も、寝返りをうつ事もしなくなった。
もう二度と起き上がる事は無いだろう・・・
男は悲しみに襲われたが涙は出なかった。
男自身、もう起き上がる事さえままならない程、衰弱しきっていた。
(自分ももうすぐシゲの後を追う事になるだろう・・・)
男は思った。
(死ぬ前に、もう一度食いたい・・・)
男は切実にそう思った。
・・・
時は1月半ほど遡る・・・
昭和18年12月4日、日本陸軍、暁部隊所属の徴用船、第五精神丸(27トン・乗組員7名)は小樽への回航命令を受け、
僚船5隻とともに根室港を出港した。
出港当時の天候は、良好だったが数時間後、野付水道に差し掛かる頃には猛吹雪になり、海は荒れ、視界不良で
僚船を見失った。
更に知床半島羅臼沖に差し掛かった頃、不測の事態が起こった。
機関が故障し、エンジンがストップ、精神丸は航行不能に陥った。
碇を降ろし、必死で修理を試みるが、船はどんどん陸に向かって流されていった。
未明、船はついに座礁、激しい衝突音と共に、船体に大きな亀裂が生じた。
船長だった男は、沈没しかかった船からの脱出を命じ、最後に凍てつく海の中に飛び込んだ。
海中を無我夢中でかきわけ、辛うじて陸地にたどり着いた時、猛吹雪の中を見渡して大声で叫んだが、誰の姿も無く返事も無かった。
強風の吹きすさぶ、氷点下20度前後の状況下では、ずぶ濡れの陸軍外套はたちまち凍り付き、全身が着氷で覆われた。
気力を振り絞って浜の方に歩いて行ったが、全身が麻痺してもう駄目かと思った時、目の前に雪に埋もれる様に建っていた漁師の番小屋を見つけた。
飛び込む様に、中に入り闇の中を必死でまさぐってマッチを見つけ、囲炉裏に
火を起こした時ようやく生きた心地がした。しばらくして、シゲが番小屋に倒れこむ様にして入って来た。
助け起こして、聞いてみると他の者はどうなったかわからないと言った。
翌日、食料を求めて、別の番小屋に移ってみると、そこには味噌と少量のフキの漬物があった。
雪を溶かして味噌汁を作り、浜に漂着しているわずかな海草を拾って飢えをしのいだ。
しかしやがてそれも底を尽き、浜に何も漂着しなくなると、激しい飢えが二人を襲った。
次第に意識が朦朧とし、自分が起きているのか、夢の中にいるのか、わからなくなった。
どちらかが、救援のトラックが番小屋の外に見えたり、仏が眼前に現れたりする幻覚を見る様になった。
そして、今朝、シゲはついに力尽きた。
(死ぬ前にもう一度食いたい・・・)
混濁した意識の中で男は思った。
・・・
半月後、男は陸軍外套にムシロを巻き付けた姿で、氷点下20度近くにもなる地吹雪の
海岸線や、断崖の下の流氷の上を二日以上彷徨い歩き、2月4日の夕方
羅臼町北浜の漁師宅に助けを求めた。
生きてそこにたどり着いた事が奇跡だった。
・・・半年後の8月
「罪名 死体損壊罪 判決 懲役1年」
それが男の問われた罪と課せられた罰なのだけど、僕自身は果たして、彼を罪に
問う事が妥当だったのかどうか甚だ疑問に思う。
いわゆる(カルネアデスの板)と呼ばれる問題のひとつだけど、それは、彼が生きるべき
だったのか、死ぬべきだったのかと言う問題に直結している。




