5 奄美剣星 著 金環食 『隻眼の兎の憂鬱』
時計の針は九時過ぎだが、夏の陽射しは昼も同然の光量だった。
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南イタリア風のとんがり屋根の住宅街は丘の上にあり、眼下に港町がある。竹刀を背にしたブレザー姿の少女がろくにブレーキもかけず、長い坂道を自転車でくだってゆくと、太陽が急になくなって真っ暗になった。朝は、腹痛で遅れると学校には連絡してある。治ったから、自転車に飛び乗ったというわけだ。彼女の名は有栖川ミカ。近くの県立高校に通う女子高生だ。
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坂は蛇行していた。カーブになったところは、道路外縁ぎりぎりに寄せて突っ走る。いつもならそれでいいはずだった。ところが――。
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天空が闇になり、太陽が黄金の環のようになり、そこから声が訊こえてきた。
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――汝に黄金の指輪を授ける。
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勝手に左腕が上がり、黄金の指環が薬指に収まったではないか。
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(やばい。『指輪物語』でいったら、邪神の指輪よ、これ。捨てなくっちゃね)
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自転車をとめようとしたのだが、それはみえない道を走り抜け、黄金の環をつきぬけて、闇の中に飛び込んでしまったではないか。道は火山山頂に続いていた。
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「ここに捨てなくてはいけないんだ。でも、ああ、なんて誘惑的な指環なの。す、捨てられない。どうしよう」
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闇の中を、溶鉱炉のように燃え盛る溶岩が、赤々と火口周辺を照らしていた。自転車を停めて指輪を外し、何度も投げ込もうとする手が、行きつ戻りつしている。
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「なんてね」
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少女は、不敵な笑みを浮かべ、指輪を火口に投げ込んだ。すると――。
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いつの間に現れたのだろう。自転車少女の後には、ライダーが虎であるサイドカー仕様のKATANAがきており、コクピットに収まっている隻眼の兎が腕組みをして、忠告するように声をかけてきた。
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「有栖川くん、長編小説のヒロインになりたかったら、もう少し葛藤したらどうだね? あっさりしすぎだ。だから、いつも掌編小説で終わるのだよ」
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ギャフ~ン!




