10 百目木 著 星空 『星月夜 エピソード・ゼロ』
某年某日。カシオペア座で年老いた白色矮星が爆発した。超新星SN1572は「ティコの星」と呼ばれ、1万光年離れた地球上からも金星に匹敵する明るさで視認された。しかしながら、超新星から吐き出された高密度の珪素ガスが、宇宙空間に生じたブラックホールに呑み込まれ、渦巻く星間塵となって濃縮と結晶化を繰り返しながら、地球軌道へ向かったことは杳として知られていない。
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東の国のひなびた在郷にあるナカウラ城では、この年4歳になるジンゴが密かに天守閣に登り、北天で妖しく輝くカシオペヤ座Aに目を奪われていた。死んだ人間はみんな星になるそうだ。
城主だった父のスミヨシは、3年前の久津峠の戦いで主君を守るために戦死していた。美しい星だが、残念なことに彼にはその名前を知る由もない。もし父上が存命ならば、、あの星の名前を教えていただけたのに。孤児であることはもう慣れたが、身近に指導者がいないことに対しては、寂寥を禁じ得なかった。
どこか星のように遠くの異国へ行ってみたい。彼は自分につけられた小佐々水軍一族を表す小佐々甚五という大儀な名前が重荷だったのだ。昼に市場で遭遇した眼の青い渡来人たちは、ジンゴをジュリアンという不思議な響きで呼びかけていた。そう、どうせなら異国の名前でもいいのかもしれない。父の星が彼に向かって微笑みかけたような気がした。ふと我にかえると、階下から彼を呼ぶ母の声が聞こえた。
西の国の中西部に位置する運河の町では、今年エドワード6世校の二年生になったビリーが、去年生まれた妹をあやしながらエイボン川の上流から漂ってくる夜風を楽しんでいた。カシオペア王妃は伝説のエチオピア王ケフェウスの妻で、美しいアンドロメダ姫の母親だったけど、海神ポセイドンの怒りをかったため北天に幽閉されたんだ。ビルはその日ラテン語教師に教わった神話を、妹に諳んじてみせて得意になった。
「まるで小さな先生みたい、感心なビリーね。今日は妹のお守りをしてるの?」
振り返ると美しく着飾ったハサウェイ家のアンが、予想していたように腕組みして微笑んでいた。
「ねね、見て見て。これがこの前に言ったボクの妹のアンだよ」
「あら、はじめまして、アン。ほんとに私と同じ名前なのね、ご機嫌はいかがかな?」
「妹のアンも、アンお姉さんのようにホロスコープに興味があるみたい。ちょっとすごいでしょう」
8歳のビリーは大人の匂いがする16歳のアンが眩しくてならない。この町でいちばんいけてるハサウェイ家のアンが、すらりと伸びた四肢を優雅に動かし、運河の道を闊歩する様子は遠目に見ていても絵になっていた。それにアン・ハサウェイが時々見せてくれるあの不思議な水晶占いを、今日こそはもっと聞き出したかった。この際、まだ1歳の妹のことはどうでもよかった。ビリーは妹を口実にして待ち伏せしたのだった。どうやら幸運なことに、数日前から北の空に出現しだした「ティコの星」が、彼女をいつになく上機嫌にしているようだ。
「私の水晶球には、遠く離れた星々の記憶を読み込んで輝く性質があるのかもしれない。難しい言葉で言うと、星が瞬くときに伝わってくるシンチレーション。その波が過去と未来をホログラムの像にして、水晶球の中に映し出してくれるんだわ」
「いいなぁ。ねね、アンはその水晶球をいったいどこで手に入れたの?」
「それは私も知らない。ただ気がついた時にはこれが私の手の中にあった。わかっているのは、私が生まれた年にこの地方には大きな彗星が現れたこと。赤っぽい頭部と南西方面へ伸びた麦色の尾があって、木星と同じくらいの明るさだったそうよ」
アンは手提げの中から革ポーチを取り出し、2インチほどの水晶球を慎重に掌に載せて、器用な手つきでクルクル回転させて見せた。目を凝らすと水晶球はアンの掌から微かに浮き上がっていて、そこに「ティコの星」の放つ輝きが、夜光虫のように吸い寄せられていく様子が見てとれた。水晶球の中には城郭にたたずむ異国の少年の顔がゆっくり浮かび上がり、しばらくすると、それと入れ替わるようにやはり同じ年頃の少年の顔が現れて、ゆっくり消えていった。その時アンが何かを悟ったように微かに微笑して頷くのを、ビリーは見逃さなかった。
「ずるいよ、アン。どうせならボクの将来を占ってくれてもいいんじゃない?」
「そんなに試してみたい? じゃあ今から13年後でもいいかしら」
アンは水晶球を右回転で素早く回転させた。…11、12、13。
「ううむ。キミは21歳にして既に3歳の子どもの父親になる。お見事ね。そして、、うふふ。鹿泥棒をしてこの故郷から追われている」
「え〜〜っ、そんなのひどいよ」




