14 百目木 著 猫 『みんなネコになりたい』
ネコになるのは難しい。しかし大きなネコ族の擬態を演じることなら、その気になれば簡単かもしれない。満員電車の中でそのことに気がついたオレは噴き出した。向かい側に座ったお揃いの紺色コートの親子が、怪訝な顔をして目をそらした。オーケイ、それでいい。誰だってネコになりたいんだ。オレの視線は電車と併走して車窓の向こうの首都高速を、這うように飛んでいく女性ライダーの姿を追っていた。。
次の駅で下車したオレは、大通りに面した人影のないイタリアンカフェに飛び込んだ。いくらも待たないうちに、カウンターの奥の石窯からピザが焼けあがる香ばしい匂いがたちこめてきた。テーブル の間の通路には、十数台のピアッジオ製スクーターが乱雑に陳列されている。客たちは鋼鉄の玩具の脇で、気に入ったピザをほおばることができるわけだ。それが無愛想なマスターが考えたこの店で唯一のサービスに他ならない。
半月形に折って焼いたカルツォーネが運ばれてきた。
「マスター、アエルマッキのボブキャットって知ってる?」
「おう。1966年デビュー、175ccの2ストロークシングル。一時乗ってたことがある。ハーレーの大失敗作とけなすヤツもいるが、そんなことはない。あいつは小型で取り回しがいい。探してるのかい?」
「セパハン仕様にして首都高の追い越し線をフルスロットルでかっ飛んでいくのをさっき見た」
「タンクの上にネコのように前傾してへばりついた独特のライディング・ポジションの女だったろう」
「そう。まるで狩りをする雌のボブキャット、すばしっこそうだったよ」
「あと30分も待っていれば、ここに戻ってくる。そんなにヒマなのか?」
「あぁ、きっとそうかもしれない」
「ならこのもう一台のキーは、今日から自由に使っていい」
その日からマスターの店で待ち合わせて、飽きるまで首都高環状線を走り回るのが、オレと彼女の秘密の日課となっていった。半年たった今でも、彼女の名前はおろか、 どこに住んでいるのかさえわからないのだが、オーケイ、そんなことはどうだっていい。気が向けば盛りの付いた二対の小型山猫に変身して、一方が他方を首都高のキツイカーブに追い詰めては、土壇場でヒラリと敵をかわして鮮やかに逃走する——、そういう他愛のない追跡ゲームが続いた。
みんなネコになりたい
みんなが憧れる
猫の生活をいいもんだと♪
ⓒDisney The Aristocats,1970
ヒョウ柄のレザースーツに身を包み、マスターから借りたお揃いのボブキャットにまたがれば、オレたちはいつだって獰猛なネコ科の動物に変身できた。眺望のいい待避ゾーンで熱だれしたバイクのエンジンを休めて、毛繕いをしあうつがいの猫のように、日だまりの中を過ぎていく時間を楽しんだ。首都高環状線は都市の稜線に張り巡らされたキャットウォークかもしれない。きっとそうだ。
「もっとエンジンパワーさえあれば、猛禽類のように空だって跳躍できそうだ」
「わたしも一度それは考えてみた。でもこの小さい山猫が躯体をしならせながら、地表をはうように、どこまでも滑走する感覚が好きなの」
「それはいえる。でも地を震わせて突進する産業車両に混じって、首都環状の地下壕の闇を通過するときなんか、オオ山猫のパワーが羨ましくなってしまうな」
「FXST ソフテイルはね。大きなエンジンを直づけしているから、パワーがかかると面白いようにしなるかもしれない」
「排気系はボブキャット・マフラーに換装。で、不要な電装は外してギリギリまで軽量化するのもいい」
「シャーシが剥き出しになったら、強靱なクーガーの身体にも負けないわ」
「それやってみよう!」
こうして、熱だれの心配がない高出力のツインカムエンジンをフレームにリジットでマウントしたソフテイルに、しなやかな猫足が移植されて、二対のバイクは巨大山猫へと変貌した。なによりもバッテリーレスに変更され、がらんと空いたフレームの空間とボブキャットと刻印されたマフラーが美しかった。そして華奢な肢体の彼女が、低い位置にとりつけられたセパレートハンドルを猫のような姿勢で操るライポジは、ますます妖しい輝きを増していった。
しかし彼女との別れが唐突に訪れるとは、その時はまったく予想すらできなかった。数日後、彼女は鳥のように宙を飛翔して、オレの視界から消えてしまったのだ。。
「あれっ、お母さん。向かいのおじさん、さっきから泣いているよ」
「きっと昔の楽しかったことを思い出しているのね。じろじろ見るのは失礼だからよしましょうね」
「ねえ、さっきの話だけど、ネコ飼っていい? ボク猫になりたいんだ」
「家に帰ったらお父さんに相談しなさい」




