7 奄美 剣星 著 チョコレート 『隻眼の兎の憂鬱』
甘辛な匂いがする海原は黒褐色をしていた。指ですくって舐めてみる。すると温かいココアでできていることが判った。
彼方から、あたかも路面を走るかのように、海面を、走って行くのはサイドカー。重力を遮断するメカニズムがあるようだ。
「ギルガメッシュ! エンキドウ!」
竹刀袋を高く掲げて叫んだ少女は、ブレザーを着た女子高生で、ボートに乗っていた。有栖川だ。ピーナッツを半分に割ったような形の小舟だ。前にはビーチボール大の種、その娘がいる。櫂はなく漂流していたのだ。
ギルガメッシュと呼ばれたのはサイドカーコクピットに座っている兎で、エンキドウはKATANAというヨーロッパの技師がデザインしたバイクのライダーで虎だった。兎は隻眼で、黒いマントに身を包んでおり、はにかんだ。
「やあ、有栖川くん」
「助けに来てくれてありがとう。また、時空の狭間に落ちちゃったみたい」
「近くに島がある。ピーチョコ島っていうんだ。上陸してみないか?」
ギルガメッシュは、有栖川が同意をしないうちに鉤紐を投げてピーナッツ・ボートを曳航して海原を走り出す。十分もしないうちに島がみえてくる。ピーナッツチョコレートの塊でできた岩礁のような小島だ。上陸すると浜辺に黄金・宝石の装飾品が山と積まれており、よくみれば掌に乗るサイズをした小さな人のようなものが囲んでいた。頭に角が生えていて赤いのやら青いのがいる。小鬼だ。
「桃太郎御一行の皆様、どうか、成敗なさらないでください。儂らは何も望みません。真面目に働いて蓄えた品です。お納めいたしますので略奪に加えての暴行・放火といった破壊活動だけはご勘弁のほどを……」
「えっ? 桃太郎様御一行? 桃太郎さんって海賊だったの? 犬・猿・雉は手下……。想像したら目つき悪そう。鬼さんたち、目がうるうるしている。よっぽど酷い目にあったのね」
突然、海上に帆船が姿を現し、機銃掃射を始めた。ピーナッツ・チョコレートの岩が砕ける。バイクが走り出す。虎が手招きした。有栖川がバイクの後部座席に飛び乗った。
「ギルガメッシュ、桃太郎一味をやっつけるのね?」
「もちろんだとも。奴らは指名手配中の時空海賊だ」
鉤縄をピーナッツ・ボートの種に引っかけて、そいつを敵船にぶっつける。帆船で、スリムな形をしたバイキング船だ。胴体にぶち当たり爆発する。
「あれって、爆弾だったのね……」
「日本一」と書かれたハチマキを額に結んだ若武者、手下のペットどもは、海に爆風で投げ出された。
銃刀法違反。恐喝、暴行及び窃盗などの罪により逮捕する。君たちは時空裁判にかけられる。それまでパトロール隊当局により拘置訊問されるが黙秘権がある」
隻眼の兎の鉤縄が一味を縛り上げ、海面を走って行く。背後の島からは、小鬼たちが万歳して、有栖川たちを見送ってくれた。
☆
台所である。母親の声がする。
「何、ぼけっとしているのよ、この子は? 鍋から煙がでてるでしょっ!」
「し、しまった!」
明日はバレンタインデー。少女が狭間の世界を旅した瞬間は、家族・友人に贈る手作りチョコレートをつくっていた最中であった。
(了)




