ふつうの恋人
夏が終わって、駅前ロータリーの空気が少しだけ軽くなった。
最寄り駅の改札を出ると、宮本拓海が片手を上げる。
「おはよ、梨緒」
「おはよ、拓海」
彼は昨日の試合の疲れが残っているのか、まだ頬が少し赤い。
「昨日の試合、惜しかったね。最後のスリー、入ってたら逆転だったのに」
「お、ちゃんと見てくれてた?」
「もちろん。応援してたもん」
「マジであと一歩だった。俺、フリースロー外したのが悔しくてさ」
「でも拓海、リバウンドすごかったじゃん。美琴、めっちゃ『すごい!』って言ってたよ」
「……それ梨緒が言ってくれよ」
ふっと笑って肩をすくめる彼に、私もつられて笑った。
並んで歩く道は、いつも通り。信号が青に変わるまでの沈黙も、彼となら気まずくない。
「放課後どうする? 俺は練習あるけど、昨日は試合だったからちょっと短くなるかも」
「私は写真部に顔出してから、駅前のカフェ寄る予定。テスト近いし」
「じゃ、練習終わったらそっち行くわ」
私たちは、誰が見ても「ふつうの高校生カップル」だ。
並んで登校して、授業の合間にノートを貸し借りして、放課後はお互いの部活を優先する。
ふつうで、優しくて、安心できる。
――なのに、ときどき胸の奥に、言葉にできない空洞がひっそりと残る。
教室に入ると、沙耶と美琴が待っていた。
沙耶「梨緒、昨日試合行ってたでしょ? どうだった?」
梨緒「惜しかったよ。あと一点で逆転できたのに」
沙耶「うわー、それドラマみたい」
美琴「でも宮本くんかっこよかったよね」
友達の言葉に「そうだね」と笑ってみせる。
胸の奥がほんの少し誇らしく、ほんの少しだけ空虚だった。
四時間目が終わるころ、廊下の先がざわついた。
美琴「ねえ、また水城先輩じゃない?」
沙耶「うわ、ほんとだ……」
視線の先に、水城遥先輩がいた。
二年生。女子バスケットボール部のキャプテン。背筋がまっすぐで、歩幅が大きくて、肩までの髪は無造作に束ねられている。笑えばきっと優しいのだろうけど、その横顔はどこか凛として近寄りがたい。
目が合ったわけじゃない。ただ、すれ違う一瞬、風の向きが変わったような気がした。
それだけのはずなのに、胸のあたりが少し熱くなる。
気づかないふりをして、視線を逸らした。
私はただ、ふつうの毎日を送っているだけ。
――このときの私は、まだそう思っていた。