養われる金銭感覚
人生そんなこともありますよね
流石に霞が関は忙しく、大学も毎日は行けなくなった。
大学に行っても授業が終わったら霞が関まで戻って仕事をすることもザラだった。
忙しくても数時間の仮眠はとることができた。
本当に忙しいときは一睡もしないことがあった。
椅子に座ると眠気に襲われるので、立ったまま机の上に段ボール箱を乗せての上で書類を書いていた。
そうなると若干の残業代(本当の残業時間の10分の1くらい)がでるのだが、使う暇がない。
お金は貯まっていった。
弟が私立高校に進学した。
公務員である父親の給料は多くなかったが、晴香が学費を自分で賄ったため何とか弟は私立に行けたのだ。
しかし、父親は晴香に奨学金を借りるよう頼んだ。
返済は自分がするから、晴香に迷惑はかけないから……と。
高校時代からお金に苦労しなかった晴香は快諾した。
父親も働き盛りで確実に給料がもらえるなら返済が滞ることはないだろうと。
確かに父親はキチンと返済していた。
しかし、霞が関に異動した晴香に『共済から金を借りてくれ』再度の要請があった。
自分にはお金がそれほど掛かっていないはずなのに、なぜそんなにお金が必要なのかわからなかったが深く考えずに承諾した。
更に、晴香に『臨時でお金を貸して欲しい』と度々頼み込んだ。
お金に困っていない晴香はいつも快く貸してあげた。
その頃には財布の中身は何かあった時のために常に5万円を入れていた。
同期が給料日前に財布の中身がさみしくなるころであっても5万円以上は入っていた。
大学も忙しくなり、仕事も大学も全力で取り組んだら1か月で熱を出した。
それ以来、両方とも7割くらいの力で取り組むことにした。
それでも足せば1.4、常人の1.4倍の努力が必要だった。
親が老後に住むための家を買うと言い出した。
当然、晴香への借金が毎月膨らんでゆく。
最悪、退職金で返してもらえるだろうから気にしていなかった。
その頃、テレビの経済番組で米ドルのレートが日々刻々と変動するのを見ていた晴香は外貨預金に要身を持った。
しかし、当時は為替手数料が高かったが、とりあえず始めてみた。
そのうち、手数料の安いFXにのめりこんだ。
最初はうまくいっていた。
見る見る残高が増えてゆく。
最盛期はスワップと併せて年収が1000万を超える見込みとなった。
しかし、そんな上手くはいかない。
下がり始め、損切りもできずに全て溶かした。
溶けた額は1000万……。
辛うじて貯金があったし、給料は保障されていたので首を括るはめにはならなかった。
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