軒先に干された柿は乾いた風に
軒先に干された柿は乾いた風にさらされ、柿霜と呼ばれる糖の結晶が、白く現れている。
家の中では桐製の火鉢で炭がオレンジ色に熾きている。
そのおかげで寒い冬も、少しは温かく過ごせるようになった。
不釣り合いなくらい大きな火鉢だが、隙間だらけの家なので、一酸化炭素中毒の心配はないだろう。
三人には快適に過ごせる舟での寝泊まりを勧めているが、彼らはこの小さな家の一部屋のほうが落ち着くようだ。
冷えてきた師走の夕暮れに、まだ三人はそれぞれの作業に没頭している。
小六はろくろで器を削り、真之介はろくろを回す。
花里は夕食の準備をしている。
彼らは休むことを知らず、常に働き続けている。
働き続けることは、日本人の気質として刻み込まれているのかもしれない、とふと考える。
そんな様子を見ながら、俺はどうなのだろうかと考えてしまう。
正月を前に、俺の家にはたくさんの食べ物が届けられていた。
仁右衛門さん、重忠さん、和江さんをはじめ、蜂蜜をお裾分けした人々からいただいた。
魚や野菜、小麦粉、そば粉、餅や卵まである。
日本人は生まれた時から、他人に優しいのかもしれない。
他の国ではどうなのだろう。
アメリカで知り合った人たちも親切で優しかった。
ただ、その二つの優しさにはどこか異なる温もりを感じる。
俺の中で温かい記憶が交錯する。
木の枝に刺したマシュマロは炎の中で柔らかく膨らみ、そして餅は炭の上でこんがりと膨らんだ。
アメリカでのキャンプファイヤーの炎も、火鉢で熾きる炭も、どちらも同じように温かい。
それは俺の心の中に息づく記憶。
夏の想い出と冬の情景。
温かいうどんや蕎麦を食べたくなる。
小麦とそば粉があるので作ってみたい。
うどんはどうやって打てばよいのだろう。
蕎麦の打ち方はどうすればよいのだろう。
この時代に年越し蕎麦はあったのだろうか。
祖母が近所の人から挽いたそば粉をもらい、そばがきを作ってくれたことがある。
大晦日には、そばがきを作ってみようかと考えた。
火にかけた鍋にそば粉と水を入れ、焦げないように練っていく。
出来たらそれを椀に移し、出汁をかけて食べる。
出汁は椎茸から取り、汁にはゴボウやカブを加える。
温泉卵を落としてもよいかもしれない。
とりとめのない想像、境のない空想。
俺は三人を眺めながら、いつからか微睡んでいたのかもしれない。