彼は「ミラクルタケ」と
彼は「ミラクルタケ」と地元の住民から呼ばれていた。
本名は武だったが、そのあだ名には少し侮蔑のニュアンスが含まれていた。
彼の家は俺の家から自転車で10分ほどの距離にあった。
彼が腰を痛めていた時期、俺は彼の椎茸栽培を手伝ったことがあった。
大きな家の裏に広がる敷地には、黒い日よけネットの下に、椎茸のほだ木が整然と並べられていた。
俺の手伝いは主に力仕事で、約一メートルの長さに切断された原木を運んで並べたり、原木に開けられた穴へ「駒打ち」と呼ばれる椎茸の菌糸を金槌で打ち込む作業を任された。
その時期はまだ二月で寒かったが、作業を続けるうちにじんわりと汗をかいた。
そんな中、俺と武さんは黙々と作業を続けた。
一日の作業を終えると、武さんは俺にその日のバイト代を白い封筒に入れて、温かい缶コーヒーと一緒に手渡してくれた。
それをきっかけに、春と秋の年二回行われる椎茸の収穫も手伝うようになった。
物静かな武さんは、いつも何冊かの大学ノートを大事にしていた。
一冊は日記のようなもので、そこには毎日の天候や気温の記録なども記されていた。
もう一冊は日付と数字の羅列、それから金額が記載された、何かの収支報告のように見えた。
几帳面な武さんは、作業の途中でノートを開くことがあったが、いつもノートを開く前には、きちんと水で手を洗っていた。
そんな武さんの家は代々続く稲作農家で、以前はこの辺り一帯に広い水田を所有していた。
しかし、その水田は今はなく、武さんは椎茸の栽培と年金で広い家に一人、静かに暮らしている。
かつては奥さんがいたが、離婚している。
また、娘が二人いたが、今は武さんとは絶縁状態にあるという。
彼は兼業農家として長らく農林系金融機関に勤めていた。
妻と二人の娘と暮らしていたが、娘たちは結婚して家を離れ、夫婦二人の生活になった。
そして、彼は定年退職を迎えた。
堅実な生き方をしてきた彼には、慎ましやかな生活と小さな幸せ、それから不安のない将来が約束されていた。
退職の日、一緒に働いてきた職員から花束を受け取り、拍手で送られた。
その後、職場の同僚たちによって送別の宴が設けられ、武さんは人生の節目を迎えた。
その時、隣に座っていた同僚の一人に声を掛けられた。
「武さん、明日から何をするんですか?」
あまり酒を飲まない武さんは、少し酔った彼にも真摯に「のんびり農業でもしながら、本でも読んで暮らしますよ」と答えていた。
すると彼はその答えに面白くなさそうな顔をした。
そして「では今度の週末に、私と一緒に出掛けませんか」と武さんを誘った。
これからの予定を何も決めていなかった武さんは、彼と出かけることを約束した。