次郎さんは知略家であり
次郎さんは知略家であり、優れた戦略家だった。
そして、その活躍を支える軍資金も潤沢に持っていた。
次郎さんが最初に取り組んだのは、新興住宅地の住民に養蜂の理解を深めてもらうための情報発信だった。
専門の印刷会社に依頼して養蜂について説明したパンフレットを作成した。
このパンフレットには、農作物の受粉に蜂が重要であることや、蜂は刺激しなければ安全であること、また、大量の蜂が集まる分蜂という現象についての注意点が書かれていた。
さらに、蜂を引き寄せないための具体的なアドバイスとして、白い洗濯物を室内干しにすることや、甘い香りの柔軟剤の使用を控えることが説明されていた。
次郎さんはこのパンフレットを住宅地の全20世帯に配布した。
次に、次郎さんは住民間のつながりに楔を打ち込む活動を行った。
パンフレットを配布した翌日、20世帯のうち10世帯だけを訪問し、自分が採取した蜂蜜をお裾分けした。
「市販品と違って純粋で栄養価が高い蜂蜜なんですよ」と愛嬌のある笑顔で説明し、特に若い主婦には美容や健康への効果をアピールした。
その一週間後、次郎さんは住民間の亀裂を広げるために、蜂蜜を届けた10世帯のうち5世帯を再訪問し、農場で収穫した野菜を手土産にした。
その野菜は多少傷があったり、規格外で市場に流せないものであったが、「この野菜は無農薬栽培なので、少し虫食いがありますが、体には良いですよ」と主婦たちの健康志向に訴えた。
さらに一週間後、次郎さんは全20世帯を訪問し、手土産にあからさまな差をつけた。
好意的な家庭には追加の蜂蜜や野菜を届け、その中でも微妙な差をつける工夫をした。
一方で、敵対的な家庭や関心の薄い家庭にはパンフレットを再度渡し、早々に退散した。
最後に、次郎さんは信頼できる協力者を見つけることに注力した。
その結果、一番理解を示してくれた家庭の主婦へ定期的にお土産を持参し、監視役を担わせる形で協力者に仕立てた。
次郎さんの計画が完了する頃には、住民間に不協和音が生じ、それが互いの不信感へと変わり、地域住民たちの中で蜂に対する意見はばらばらになった。
そして蜂に関する話題も次第に落ち着き、苦情は自然消滅した。
こうして、次郎さんの静かな戦いは無事に終結した。