いつの間にか、俺が釣りの指定席
いつの間にか、俺が釣りの指定席にしている桟橋の先端に、 四本の柱が立てられ、その上に日よけの筵がかけられていた。
おそらく、村の誰かが俺のために整えてくれたのだろう。
その日よけの下で、俺は釣り糸を垂らし、隣に善が桟橋から足を投げ出して座っている。
彼は釣りには興味がないものの、釣りに関してはほとんど素人の俺を心配し、そばにいて助けてくれる。
魚の中には、背びれなどに鋭い棘や毒を持つものがいるため、 釣れると善が網を使って魚を掬い、釣り針から外してくれる。
今日はすでに数匹のアジとメバルを釣り上げた。
今晩は塩焼きにするか、煮付けにするか、それともさっぱりと蒸してみようかと考えていると、 釣り竿がこれまでにないほどしなった。
釣り糸が切れないように、注意深く魚を引き寄せて、善が網で掬い上げた。
「すごいじゃないか、史郎。よくやった」と善が興奮気味に声を上げた。
三十センチほどの腹が膨らんだ真鯛であった。
善の話によれば、この時期は鯛の産卵期にあたり、浅瀬にやってくるらしい。
続けて、それよりも小さいサイズの真鯛が二匹も釣れた。
俺も初めての大物に興奮して、すぐに食べるのが惜しくなった。
他の魚はその場で処理し、真鯛三匹は海水を張った桶で持ち帰り、舟に設置された水槽へ放り込んだ。
放り込まれた真鯛は青い水の中で元気に泳いでいた。
翌日、水槽を見ると中央から仕切られており、一方には三匹の真鯛が、もう一方には水面に透明な卵が密集して浮いていた。
さらにその翌日には、孵化した数万の稚魚たちが青い水の中を漂っていた。
一週間もすると、俺が水槽に近づくと一斉に集まり、黒い眼玉でじっと俺を見つめていた。
試しに指で水槽を叩くと、稚魚たちは音に反応して集まり、ガラス越しに大きく円を描くように指を動かすと、稚魚たちは魚群を形成し、それに合わせて動き始めた。
十日もすると、わずか数ミリの稚魚たちがすっかり馴れ、俺が近づくと喜んだように泳ぎ回って跳ねたりするようになった。
とはいえ、日に日に成長する稚魚たちをどうすることもできず、善に手伝ってもらい、海へ放流することを決めた。
深夜、舟で桟橋に向かい、まずは食べるのが忍びなくなった三匹の真鯛を放流すると、彼らはすぐに海の中へと泳ぎ去った。
次に、水槽の排水用の蛇口から桶に順次稚魚を移し、海へ放流した。
しかし、稚魚たちは桟橋の下に留まり、泳ぎ去る様子もなく、水面から俺たちをじっと見上げていた。
俺が桟橋を歩くと、彼らはついて回り、桟橋を叩くとそこへ寄ってきた。
いよいよ舟で桟橋を離れようとすると、稚魚たちは跳ねて水面をたたき、無数の波紋を生み出していた。
少し寂しい気持ちになり、二度と水槽に魚を飼わないことを誓った。
翌日、空になった水槽がいつの間にか再び青い水で満たされており、まるで次の生物を待っているかのようだった。
やがて、俺たちが稚魚を放流したこの海域は、鯛の浦タイ生息地として、大正11年に国の天然記念物に指定され、昭和42年には特別天然記念物となっている。
本来は深い水深に生息する真鯛が、浅い水域で群れを作り泳ぎ、観光船でその海域へ向かい、船の側面を叩くと、その姿を水面に現すという。
その光景は、いまだ学術的に解明されておらず、謎に包まれたままである。
この件について、俺は何も知らない。