そこはすべてが銀色
そこはすべてが銀色で構成された操縦室だったが、計器類もスイッチも何もなく、ただがらんどうの空間が広がっていた。
操縦席はU字型に囲むように左右から中央へとドーム型に膨らみ、銀色の席に腰を下ろすと見た目に反して柔らかく、座り心地が良い。
正面に配置された楕円形のハンドルを握ると、前方180度に外の景色が見えるようになり、まるでスモークガラスのように外側からは見えない仕組みになっているようだった。
さらに操縦席の左右のドームも反応し、取り扱い方法が立体ホログラムで英語表示された。
「もしかして、これは米軍の最新鋭の兵器なのか?」
そう疑いつつも、ハンドルを手前に引くと物体は静かに浮き上がり、そのまま押すと浮いたままゆっくりと前進し始めた。
「こんなものを無闇に弄っていることが米軍にバレたら、消されてしまう」
そう思った俺は物体を着地させ、少年と共に外へ出た。
「やっぱり、おまえのうつろ舟だったのか?」と少年は興奮した様子で目をキラキラさせて聞いてくるが、俺は「何も知らないし無関係だ」と断固否定した。
すると少年は「俺は善だ。みんなから善と呼ばれている。おまえの名前はなんだ?」と改めて自己紹介を始めた。
「俺は史郎、国重史郎。よろしくな。さっきは水をありがとう、助かったわ」と俺が応じると、少年は「史郎、これからどうするんだ?」と問いかけてきた。
「とりあえず、警察に行って事情を説明するわ」と答えると、善は険しい表情で「警察?なんだそれ。史郎はどこから来た、どこの国の人間だ?」と問い詰めてきた。
そもそも、善の服装がおかしいし、現代人の格好ではない。嫌な予感が胸をよぎった。
「おまえ、その格好で村へ行き事情を話せば、間違いなく縛られて、うつろ舟に乗せられて海へ戻されるぞ」と善が言い放ち、俺は寒気と吐き気を覚え、気を失いそうになった。いや、むしろ気を失いたかった。
「善、頼むから嘘をつかないで教えてくれ。今は何年何月なんだ?」と震えながら問いかけると、善は砂浜に文字を書き、こう告げた。
「貞永元年八月」
それは俺にとって死刑宣告に等しい無期懲役の時代だった。
1803年、江戸時代後期。
茨城県の海岸に円盤状の乗り物が漂着し、中から見慣れない服装の女が箱を抱えて現れた。
言葉は通じず、舟の内部には謎の文字が記されていた。
この出来事は「常陸国うつろ舟奇談」として文献に記録されている。
だが、その出来事について俺は何も知らない。