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第2章③



 食後、自室へ入ろうとしたとき、柊に呼び止められた。


「蛍、最近、あまり良くない噂のある生徒と仲が良いみたいだね」

「……もしかして碧人のこと?」

「へぇ、碧人くんって言うのか」


 じろりと視線が張り付く。ねっとりとした感覚に、思わず手に力が入った。


「な、なにか問題でもある?」

「どうして彼と仲良くしてるんだい? クラスは別だろう」


 柊こそどうして別クラスだと知っているのだ。見下した弟のことなど、無関心でいてくれれば良いのに。


「幸太と同じクラスの奴だから」

「あぁ、なるほど。幸太くん、ね。彼は未だに友達でいてくれるんだ。親切だね」

「そんな言い方、しないでほしい」


 まるで幸太が同情で蛍の側にいるかのような言い方に思えた。

 違う、はずだ。幸太は何でも聞いてくれて、蛍の学校では隠しているうじうじとした部分も気にしないでくれる。良い奴だ。蛍だって……幸太の話を…………、あれ、幸太ってあまり自分の話をしないかも。もしかして、蛍が一方的に甘えているだけなのか?

 柊の指摘に、急激に頭の中が冷えていく。


「あんまり幸太くんに負担を押しつけちゃ可哀想だよ。蛍は僕という兄がいるんだから、まずは他人じゃ無くて僕を頼ったらどうかな」

「えっと、その、遠慮、しとくよ」

「なぜ?」


 コテンと柊は首を傾ける。


「兄ちゃんには迷惑かけるなって、母さんにも言われてるし」

「僕の言うことより、母さんの言うことを聞くの?」


 柊が半歩、近寄ってきた。背は柊の方が高い分、見下ろされる圧を感じる。


「そ、そういうわけじゃない。兄ちゃんは忙しいって分かってるから、簡単には頼れない」


 頼る気なんかさらさらないけれど、経験上、こう言わないと柊は納得してくれないのだ。


 柊と話していると、今みたいに息苦しくなる。じわじわと首を絞められているような感覚がして、逃げ出したくなるのだ。どうしてこんな問い詰めるようなしゃべり方をしてくるのだろう。

 まるで『僕を見ろ』とアピールされているみたいで嫌だ。ただでさえ幼少時から意識して過ごしてきた。兄の体調の善し悪しで、蛍の過ごし方は変わってしまうから。生きていくために兄の様子を伺うことは、蛍にとって呼吸みたいなものだ。


「僕を心配してくれてるんだ。ならさ、僕に心配をかける蛍は悪い子だね」

「……えっ?」

「可愛い僕の弟が、ワルい奴と仲良くしてるなんて。兄として恥ずかしいよ」


 柊の手が、蛍の頬に添えられた。ぞくっと寒気がして体を引くも、すぐ後ろは壁でこれ以上は下がれない。


「に、兄ちゃん、碧人は誤解されてるだけで、本当は良い奴なんだ」


 震えそうになる声を必死に絞り出す。どんなに柊に対して萎縮していても、碧人のことだけは否定したかった。


「蛍? どうしちゃったんだよ。お前にとって一番に気にしなきゃいけないのは僕だろう? そんな碧人って奴じゃない」


 柊の手がゆっくりと下がり始めた。頬から顎へと動いていき、喉のところで止まった。

 別に触れられているだけで、力を込められているわけじゃない。それなのに、勝手に喉がしまっていく感覚に襲われる。苦しくて必死に息を吸おうと思うけど、ただ口が開閉するだけだ。酸素が足りないという恐怖に襲われ、カタカタと体が震え出す。


「や、やめて……兄ちゃん」

「何を? 僕はただ首に触れてるだけだよ」


 愉しいと雄弁に語る柊の目が怖い、緩やかに弧を描く口が恐ろしかった。


「……ごめん、なさい。もう、ゆるして」


 何に謝っているのかも分からなかった。でも、この状況から助かりたい一心で口から勝手に零れていた。


「まぁ、今日のところは許してあげようかな。可愛い泣き顔を見せてくれたしね」


 柊の手がやっと離れた。とたんに酸素が体内に入り込み、蛍は激しく咳き込んだ。ずるずると壁を背にして蛍は座り込む。

 失敗した。最近は上手くやれていたはずなのに。

 柊は、たまにスイッチが入ったように、変な圧を出して蛍を叱責してくる。別に拘束されるわけでもないのに、逃げられないのだ。殴られるわけでも無く、怒鳴りつけられる訳でもないのに、怖くて怖くて、蛍はいつも足が震えて動けなくなってしまう。


「ねぇ蛍。もう碧人くんとは仲良くしないって約束できるよね?」


 柊の声が頭上から降ってくる。

 ここで『はい』と言えばいい。それで解放される。分かっている。今までだったらそうしていた。


 でも、どうしても声が出ない。だって、それは碧人への裏切りじゃないか? 蛍が騒いで、無理を言って、我が儘に碧人が付き合ってくれているのだ。本当は目立つことは好きじゃないはずなのに。それなのに碧人は、蛍が言いだした新しい王子様計画に協力してくれると言った。それは彼の優しい人柄の証明だ。


 目の前の『現王子様』を引きずり下ろしたくて、『新王子様』を担ごうとしているのは蛍だ。己がその『現王子様』に屈していていいのか?

 いいはずないだろう。


 蛍は無様に座り込んだ姿勢から、ゆっくりと立ち上がる。そして、勝手にこぼれていた涙を袖で拭った。


「蛍?」


 いつもと様子のちがう蛍を見て、柊が不思議そうにしている。


「碧人とはこれからも仲良くする。だって、良い奴だから」

「僕が嫌だって言ってるのに?」

「そうだよ。俺にとっては、兄ちゃんよりも碧人と過ごすことの方が大事だ」

「……なんだよそれ。まさか、そいつのこと好きなのか?」


 柊の顔から表情がごっそりと抜け落ちた。


「ちが、そういうんじゃなくて」

「違わないだろ。過去に幸太くんを引き合いに出したときでさえ、僕に反抗なんてしなかった。この僕に逆らってまで我を通そうとしたのはこれが初めてだ。自分で気付いてないの?」

「わ、わから、ない」

「そう。これは躾直しが必要かなぁ」


 柊の視線が蛍を射貫く。その鋭さに、収まっていた震えが戻ってきそうになる。いつも放っておくくせに、本当に離れようとすると引き戻そうとしてくる柊の執念は何なのだ。


 怖いけれど、立ち向かうと決めたのなら、安易に逃げてはいけない。


「もう、兄ちゃんの言いなりはやめる。だから、俺にもう構わないで」


 言い切ると、柊を押しのけて強引にドアを開ける。唖然とする柊を視界の端に感じながら、勢いよくドアをしめた。


 言ったぞ、言ってやった。これでもう後戻りは出来ない。


 普通の兄弟であれば、こんなやりとり日常のちょっとした口喧嘩でしかないかもしれない。でも、蛍にとっては清水の舞台から飛び降りたくらいの出来事だった。



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