第2章②
美織の行きつけの店とは美容院だった。近所の床屋に通っている蛍は、美容院のお洒落空間に圧倒されてしまう。暇つぶしにどうぞと渡されたメンズ雑誌も、イケメンモデルの写真ばかりで文字が少ないからすぐにめくり終わってしまった。
手持ち無沙汰になった蛍の目線の先では、碧人がカットされている。このあと、くせ毛風のゆるふわパーマもかけるらしい。美織と美容師がカタログと睨めっこして、あーでもないこーでもないと議論した結果、柔らかい印象を与えるためパーマが選択されたようだ。これで怖い要素を減らそうということらしい。
あと、美織もついでだからとトリートメントをしてもらっている。何もやってもらわないくせに店にいるのは自分だけ。店側の了承はもらっているものの、やはり居心地は悪い。
苦行のような時間を耐え、ついに碧人の施術が終わった。セットされて蛍と美織の前にやってきた碧人は、別人のようだった。
「すごくいいじゃん!」
思わず叫ぶくらい、爽やか風イケメンになっていた。狙い通り、緩いパーマが柔らかな印象を醸しだし、目つきの鋭さを緩和している。今までは、重ための前髪から睨み付けるような目が隙間から見え、チラ見えしたきつい目が印象に残り怖く思われていた。でも、こうして常に目元が出ていれば、見慣れてもくるだろう。
「これで、お前の目指す王子とやらには近づいたかよ」
まだ新しい髪型になれないのか、前髪をちょいちょいと触りながら碧人が聞いてきた。
「うん、うん。なんていうか、すごい。まじでいい。惚れるくらい格好いい」
「……そうかよ」
碧人は照れくさそうに、顔を背けてしまった。もっとちゃんと見ていたいのにと思って回り込むと、むっとした表情でデコピンされた。
「痛い!」
「ほら、もう帰るぞ」
「せっかくだから写真撮ろうよ」
せっかくなのだから王子の第一歩を踏み出した姿を撮りたいではないか。
照れて帰ろうとする碧人を蛍がなだめるのを、笑いながら美織がスマホで撮っている。いや、違う。撮って欲しいのは碧人だけなんですが。
***
髪型を変えただけで、碧人は凄まじくイケメン度が増した。同性相手だというのに、目が離せなくて、ドキドキした。こういう気持ちなんていうんだろう。今流行の『推し』ってやつだろうか。
でも碧人は見た目だけの人間じゃない。分かりにくいだけで、すごく優しい奴だ。新たな王子になって欲しいのは本当だけど、碧人がどんな奴なのか分かる度に、純粋に彼の魅力をもっと皆にも分かってもらいたいって思った。
だから、どうにかして碧人を多くの人に知ってもらう必要がある。普通に学校生活を送っているだけでは、せいぜい同学年にしか認知されなさそうだ。兄が全学年から王子だと思われている現状を打破するためには、何かアクションを起こさねばなるまい。
そんなふうに考え込んでいた。美容院でイメチェンしてから一週間が経った、晩ご飯の食卓で。
「蛍、箸が進んでないけれど、どうかしたのかい?」
この穏やかな口調で話しかけてきたのが兄の柊だ。蛍にコンプレックスを植え付けた人物と言える。
柊は蛍よりも背は高く、色素薄めなさらさらの髪、切れ長な涼やかな目元、まさに王子様と表現するに相応しい美形だ。そして何よりも誰に対しても穏やかで礼儀正しい性格、動作にも荒々しさがなく優雅だった。
「どうもしないよ。文化祭の準備でバタバタしてて、疲れてるだけ」
父は仕事で遅いことが多いので、いつも母と兄と三人で夕食を取っている。そして、蛍はこの時間がとても苦手だった。
「蛍、お兄ちゃんに余計な心配かけないの。お兄ちゃんは生徒会長のお仕事をやりつつ、クラスでも準備があるのでしょう? おまけに家に帰ってきたら受験勉強よ。蛍よりよっぽど疲れているわ。蛍なんか適当にクラスメイトと騒いでるだけでしょ。脳天気なものね」
蛍の返事が気にくわなかったのか、母が口を挟んできた。
「ごめん、なさい」
少し返答を間違えるだけで、すぐに母からの嫌味が飛んでくる。そして、兄は助け船は出してくれない。
「せっかく同じ学校に行ったんだから、少しはお兄ちゃんの手伝いしなさい」
「母さん。そんなに蛍に押しつけたら可哀想だよ。それに、蛍が生徒会に来てもやることないし。みんな優秀で賢い子ばかりだからね」
ほら、笑顔で抉ってくる。基本的に蛍のことを下に見ているのだ。まぁ、蛍に勝てるところがないので仕方ないけど。
柊は幼い頃は体が弱かったが、成長するにつれて丈夫になっていった。今では背も伸び、程よく筋肉も付け、幼少時の弱々しい面影なんてない。
でも両親、特に母は頻繁に熱を出していた兄のことを心配していたし、いつも可哀想にと言って着きっきりだった。元気な蛍は放っておいても育つから、余計にその傾向は酷くなった。祖母がたしなめても返事は口だけ。そして、兄が成長したらその優秀さにますます入れ込んでいき、今では兄が生きがいになっているように見える。
逆に蛍は小さい頃から元気だったから母に放置され、成長したら凡庸さにがっかりされた。今はもう兄がどれだけ素晴らしいかを図る道具のような扱いだ。蛍の出来が悪ければ悪いだけ、柊の優秀さが引き立ち、そのことに母は喜ぶ。だから、蛍は家に帰ると息が詰まりそうになる。
唯一の救いだった祖母も、三年前に他界した。まだ受けた愛情の何分の一すらも返せていなかったのに。
この家の中で蛍の地位は最下層だ。兄の引き立て役でしか存在を許されない。だからこそ、蛍は昔から学校が大好きだった。学校へ行けば、友達がいる。母に選ばれないことを学校にいる間は忘れられるから。
でも、同じ学校なだけに、兄と無関係ではいられない。兄が優秀であればあるだけ、あいつの弟だという色眼鏡で見られる。それが嫌だった。でも、家の中よりはマシ。だから、蛍は昔から学校が好きだ。




