第1章⑤
週明けの月曜日、昼休みに旧校舎へと行こうと教室を出た。チビに会いにという口実で、もう一度碧人を口説こうと思っていたからだ。でも、通りがかったB組の雰囲気が異様で立ち止まる。
「だから、金曜日の放課後どこにいたのよ。言えないんなら桐生くんが犯人でしょ」
ただならぬ内容が聞こえてきて、なんだなんだと廊下の窓からのぞき込む。
「別に言う必要はねえ。金も取ってねえよ」
「でも実際に支度金が無くなってるのよ」
「それはあんたの管理が悪かっただけだろ。俺のせいにするな」
「そ、そりゃ机の中に入れっぱなしにしたのは駄目だったと思うけど。でも、まさか泥棒する人がいるなんて思わなかったんだもん」
女子生徒が腰が引けながらも、碧人に食い下がっている。でも、なんで碧人が盗ったなんて話になってるんだろうか。
蛍はそっとB組に入ると、幸太の横に行く。
「この状況なに?」
小声で聞くと、幸太が面相臭そうにため息をついた。
「級長が預かってた文化祭の支度金がなくなったんだと。んで、金曜の帰りのHRまではあったけど、文化祭の調べ物で図書館に行ってた間になくなってたらしい」
「ふーん。でも何で碧人が犯人扱いされてんの?」
「図書館に行ってたメンバーと部活に明らかに参加してたメンバーは除外。そうすっと数人残るんだけど、みんな塾だったり、バイトだったりで校外にいたと何らかの証明が出来る。放課後のアリバイが証明出来ないのは碧人だけだったわけ」
「あー、そういうこと」
蛍は不機嫌そうにそっぽを向く碧人を見る。金曜の放課後は蛍と一緒に動物病院へ行っていた。一言それを伝えればこの面倒な状況から脱出できるのに。子猫を学校内でこっそり保護しているとバレたくないのだろう。変なところでプライドが高い奴だ。
「はい! ちょっといいっすか?」
蛍は勢いよく手を上げた。一斉にB組の生徒の視線が集まる。
「杉原くん、今ちょっと取り込み中なの。よそのクラスの人は黙っててくれるかな」
「いやいや、えん罪を見過ごすわけにはいかないんで」
「なにそれ、桐生くんの味方するっていうの?」
金を紛失してパニックになっているのは分かる。でも、それを他人のせいにするのは違うはずだ。
「もちろん。だって、金曜の放課後は俺と一緒にいたから」
「杉原くんが? 申し訳ないけど信用できない。桐生くんのご機嫌取りしたくて言ってるだけなんじゃないの? 先週からずっと付きまとってるじゃない」
級長の指摘に、他のB組生徒もそうだそうだと賛同の声を上げる。ただでさえよそ者だから、アウェイ感が半端ない。
「違う、俺は事実を言ってる。本当に一緒にいたって」
「じゃあ証拠を出してよ」
「え、証拠?」
一緒にいた証拠なんてあっただろうか。動物病院にいく碧人に着いていっただけ――――そうだ!
「碧人、財布出して」
「は? だから俺は盗ってない」
「分かってるから。ほら、いいから出せよ」
まるで喝上げみたいな台詞を言いながら、碧人に手を差し出す。
碧人は不愉快そうに眉間に皺を寄せて、非常に凶悪な表情になっていた。でも、蛍が手を引かないので、根負けしたのかしぶしぶ尻ポケットから財布を出す。
受け取った財布を問答無用で開ける。まわりからは怖いもの知らずな蛍の行動にどよめきが起こるも、蛍は知ったことではない。今は碧人の無罪を証明することが先決なのだから。
「あった! これだよ証拠。じゃーん、動物病院のレシート。日付も時間もバッチリ記載されてる。それに、今碧人の財布の中から俺が取り出したのをここにいる皆が見てる。これ以上の証拠はないだろ?」
蛍はレシートを級長の目の前に突きつける。
「まさか、でも、確かに日付も時間も該当してる…………じゃあ、桐生くんは」
「そ、碧人は犯人じゃありません!」
「じゃあ、お金はどこに行ったのよ。どうしたらいいの、私のせいで」
級長は床に座り込んで、泣き出してしまった。
え、なんか自分が泣かしたみたいになってるんですが。どうしよう、と幸太に視線を向け助けを求める。
「あー、みんなでもう一度探してみようぜ。級長も外には持ち出してないって言ってたから、どこかに紛れ込んでるかもしれないし」
幸太の呼びかけに、固まっていたB組の生徒が動き出す。そのとき、B組の副担任が顔を出した。
「級長、課題ノートに大事なもんが挟まってたぞ」
副担任の手には『1ーB文化祭』とマジックで書かれた茶封筒が握られていた。
ワッと歓声が上がる。その声に副担任は目を丸くしていたが、級長が泣いているのに気付いたのか、苦笑いしながら級長に手渡す。副担任は届けに来ただけなのか、教室内を見渡しはしたけれど何も言わずに去って行った。生徒の自主性に任せるというやつなのか、面倒ごとにかかわりたくないだけなのか。
「課題ノートって、HRで集めたやつだ」
級長が震える声でつぶやいた。
つまり、泥棒なんて誰もいなかったのだ。うっかり茶封筒が挟まってしまったノートをHRのときに提出して、手元から消えただけ。そのことに気付き、さらに級長は泣き出してしまう。支度金が見つかった安堵もあろうが、無実のクラスメイトを犯人として扱ってしまった後悔だろう。
「よ、よかったじゃん。級長さん」
「ごめんなさい。わたし、杉原くんの言ったこと信じなかった」
級長が頭を下げてくる。でも、下げる相手は蛍ではないはずだ。
「俺のことはいいよ。それより碧人には謝って欲しい」
「そ、そうだよね」
ビクリと肩を揺らし、級長は視線があちこちに移動する。多分、気が高ぶって碧人に対して喰ってかかったけど、今になって怖くなってきたのだろう。
「大丈夫。碧人は優しい奴だから。俺、あんだけ問答無用で話しかけてたけど、殴られてないし。それに、この動物病院のレシートだって――――んぐっ」
「余計なことを言うな、殺されたいのか」
碧人が手で蛍の口をふさいできた。しかも、全然本気じゃないくせに脅し文句を付けるもんだから、教室内が緊張感に包まれたではないか。
「ぷは……碧人さ、なんでそういうこと言っちゃうわけ? せっかくいい感じにまとまりそうだったのに」
「……」
碧人がぎりぎりと歯ぎしりの音が聞こえてきそうなほど食いしばっている。
「ホタル、桐生はなんで言わせたくないんだ? 別に動物病院行ってたくらい隠すほどのことじゃないだろ」
「あ、幸太もそう思うだろ? まったく怖い顔で威嚇してくるけど、本当は子猫拾って面倒見ちゃう優しい奴なんだよ」
「お前! それ言うなって言っただろ」
碧人が威嚇してくるチビのような勢いで怒鳴ってくる。
「えー、俺が約束したのは子猫にデレデレしてることを言わないって……あ、言っちゃった」
「殴る!」
「ちょ、ちょ、ごめん。口が滑った。でもいいじゃん、なにがそんなに問題なんだよ。ヤンキーが猫助けるなんてめっちゃいい話じゃん。王道のテンプレ展開じゃん」
「だ、だからだろ。ハズいんだよ!」
顔を真っ赤にして怒鳴る碧人に、思わず胸が熱くなる。こいつ、めっちゃ中身可愛い奴じゃん。怖いのは見た目だけで、やっぱ人気者になれる素質抜群だ。蛍は目をキラキラさせて確信した。
「き、桐生くん。あの、その、決めつけて、犯人扱いしてごめんなさい」
級長が一歩踏み出した。俯いているので表情は分からないが、肩が震えている。まだ泣いているみたいだ。いや、もしかして……。
「えっと、その、今まで勝手に怖がってたことも、ごめんなさい。桐生くんが、こ、こねこ、ふふっ、子猫助けちゃうヤンキーだったなんて」
顔を上げた級長は、涙を拭いながら笑っていた。もちろん流した涙は動揺の涙だったろうけど、今は笑顔で肩をふるわせている。
「くそ、だから知られたくなかったんだよ」
碧人が感情のままに前髪をぐしゃっと握る。すると、隠れがちだった目元が現れた。初めてはっきりと全容を見せた碧人の顔立ちに、全員が釘付けになる。
「やだ、めっちゃイケメン」
「こんなに格好良かったの?」
「全然あり」
女子から口々に興奮気味な感想が、男子からはどよめきが起こった。
旧校舎で見た笑顔に蛍は惹き付けられた。けれど、そのときは真正面では無かった。今、特等席で見た碧人の困り顔はアンニュイな魅力があり、もっといろんな表情が見たいと思わせてくる。
「やっぱり、俺の王子様は碧人しかいない」
蛍の呟きは、教室内の喧噪に掻き消される。でも、決意はさらに強く育つ。