第1章③
翌日、金曜日である今日を逃すと土日を挟んでしまう。そんな焦りから、休み時間ごとにB組に顔を出していた。
「碧人、また寝てんの?」
声をかけてみるが、碧人は机に突っ伏したまま身動きもしない。
「おーい、碧人くーん」
「ホタル、お前んとこ次は体育だろ」
幸太がため息つきつつ、口を挟んできた。
「そうだけどさぁ。クラス違うんだから、休み時間じゃないと話せないじゃん」
「いーから。さっさと着替えてグランド行け」
強引に背中を押されてしまったので、しぶしぶ廊下へと出た。にしても、B組の人達の視線が突き刺さる。余程碧人のことが気に掛かるらしい。
「杉原くん。ちょっといい?」
諦めて着替えに行こうとしたとき、写真部の佐藤に呼び止められた。
「なに」
「あのね、B組に来るのは別に良いの。長谷川くんと仲良いの知ってるし。でもね、桐生くんに話しかけるのはやめて欲しいなって」
「どうして?」
蛍が勝手に話しかけているだけで、佐藤には何の関係もないはずだ。
「ハラハラして落ち着かないから……かな。桐生くんがそのうちキレるんじゃないかって思うと、怖くて休み時間なのに休まらないのよ」
佐藤の目は真剣で、それだけ切実に怖いのだと訴えてくる。
「そんな……」
「お願い。教室の外でならどれだけ話しかけても良いからさ、教室内ではやめてください」
彼女は勢いよく頭を下げてきた。ぎょっとして、わたわたと無意味に手足を動かしてしまう。
ここまでされてしまっては、蛍も強気の態度は取れなかった。
「分かったから、その、頭上げて」
女子に頭を下げさせているこの状況、何だとばかりにまわりの視線が痛い。碧人に近寄りたいのは蛍個人の野望だ。さすがに無関係なB組の人を不愉快にさせていいわけはない。
なお、碧人のことは除外とする。自分勝手だと詰る奴がいるなら詰れば良い。兄に勝てたらその償いは甘んじて受けようではないか。
B組で碧人に声をかけられないとすると、もう彼が教室を出たときしかチャンスがない。そのため、昼休みになり掻き込むように弁当を食べると、蛍は一年のトイレへと向かった。一応補足しておくけれど、別に便意を催していたわけではない。碧人をトイレの前で捕まえるためだ。
スマホゲームをしながら待つ。でも、ちょくちょくクラスメイトや部活の仲間が来ては会話をしているうちに、もう半分以上が過ぎていた。
「ホタル、トイレの門番やってるってマジだったのかよ」
幸太が呆れたような口調で言ってきた。
「だってB組内で碧人に話しかけないでくれって頭下げられたから、仕方ないじゃん」
「あー、そういうことね。でも、トイレの門番の話はB組でも広がってるから、たぶん無理じゃね」
「……えっと、俺が待ち構えているトイレに碧人は来ない、ということでオーケー?」
「そう、オーケー」
「マジかよ! 俺の昼休みはなんだったんだ」
弁当早食いしたせいでなんとなく胃が痛いし、クラスメイトのダウンロードした漫画を横からタダ読みしたかったのを我慢したのに。それもこれも碧人を捕まえたい一心のことだっただけに、ショックは大きい。
「そんな可哀想なホタルに良いことを教えてやろう。桐生は昼休み、よく旧校舎の方に行くぞ」
「え、本当? でも何で知ってんの? もしかして幸太って碧人と仲良いのかよ。ならさっさと教えてくれたらいいじゃん」
「ちげえって。購買行くと、たまに見かけるんだよ」
購買は校舎の一階にあり、旧校舎に続く渡り廊下が見えるのだ。
「旧校舎で何やってんだろ」
「それは知らねえけど。もし怪しいことをやってたらかかわりたくないって、誰もそれを桐生に聞いたりしないし、ましてや確認しにも行かないしな。まぁそもそも桐生に話しかける奴なんてほぼいないけど。今さらだけどさ、俺が桐生の前の席なの、あれわざとなんだぜ」
あまり大声で言いたくないのか、途中で幸太が近づいて耳打ちしてきた。
「どういうことだよ」
驚いて目の前の幸太を見上げる。
「桐生が学校来ない期間中に席替えがあったんだよ。くじ引きだったんだけど、桐生の前の席になった女子が泣いちゃってさぁ。俺は別に話しかけるのは怖くないって言ったら、前の席にされた」
「てことは、桐生の横の席の奴も幸太みたいなかんじ?」
「そ、一人が言い出したら私もって感じで、桐生の前後左右斜めの席を引いた女子達が騒いでそうなった」
徹底してるし、ちょっとやりすぎじゃないだろうか。ここまで遠巻きにされたら、桐生も良い気分はしないんじゃと思うけれど。
「ふーん。なんかそれって、逆に女子が桐生を加害しているように思えるけど。まあいいや。他クラスの事情だしな。俺、ちょっと旧校舎の方行ってみるわ」
「おう、気を付けてな」
幸太に見送られながら小走りに廊下を進む。先生に見つかったら走るなと怒られるが、早く見つけたいという気持ちが蛍を走らせた。
そんなに彼は怖い人物なのだろうか。ちょっとしかしゃべったことはないけれど、B組の奴らが言うほど恐ろしい人物だとは思えない。確かに胸倉をつかまれた生徒もいるらしいが、それも挑発されたからだと言っていたし。蛍のクラスでも、言い合いがエスカレートして掴み合いになったことはある。すぐまわりが止めたから、大ごとにはなってないけれど。でも、それと同じではないかと蛍は思うのだ。
考えながら走っていると、木造平屋建ての旧校舎に着いた。今は選択科目の授業でたまに使う以外は物置と化しているので、人の気配はほとんど無い。板張りの廊下が歩く度にギシギシと鳴る。
「こりゃ、近づいたら逃げられるな」
侵入者が来ましたよと言っているようなものなので、廊下を進むのは良くなさそうだ。少し考えて、外から窓の中を確認することにした。壁に沿って一教室ずつ覗いていく。すると、三教室目で碧人を見つけた。床に座り込み、壁に背をつけ足を投げ出している。そして、足の間には何やらもごもごと動く毛玉が…………子猫だ!
うそだろ、王道テンプレのちょっとワルい奴が子猫拾って面倒を見るってやつじゃん!
あまりの尊さに、蛍は思わず膝をついた。外にいるので、思いっきり土で汚れただろうがそんなのどうでもいい。この素晴らしい状況を天に感謝するので精一杯なのだ。
「も、もうちょっと見たい」
息がぜいぜいと切れる。興奮しすぎて酸欠気味だ。
恐る恐るもう一度窓から中を見る。すると、碧人は子猫に向かって紐をたらして遊んでいた。子猫がぴょんぴょんと紐に向かってジャンプする。でも届きそうになると紐を高くするので、子猫は届かないままコロンと床に転がってしまう。その愛くるしい姿に、碧人は笑っていた。
「すげえ、めっちゃ良い笑顔」
碧人に全神経が集中し、心臓がこれでもかと興奮に脈を打つ。
笑みを浮かべた碧人は、爽やかなイケメンにしかみえない。これは本当に王子だ。新しい王子様に絶対になれる。いや、してみせる。
子猫を助けて、あんな優しい表情で慈しむ碧人。彼がクラスメイトに散々怖がられて避けられているなんてあってはならない。
これは俺だけでなく、碧人にとっても良い提案になるはずだ。碧人が新王子になることで、俺は兄を王子の座から引きずり下ろせる。そして碧人はクラスメイトの誤解が解けて、楽しいスクールライフが送れる。
そうと決まれば、交渉だ。と、その前に、スマホを取り出し蛍は記念写真を撮りはじめる。
「お前、何してやがる」
数枚撮った後、自分の姿も入れて撮ろうと窓に背を向けて自撮りしようとしたときに声が降ってきた。
「あ、碧人。可愛い猫ちゃんだな。俺も触っていい?」
窓から顔を出した碧人は、女子生徒が見たら泣き出すのは必至の怖い表情を浮かべていた。正直、いきなりこの表情を見たら蛍も恐怖でナニがひゅんとなりそう。でも、さきほどのとろけた顔を見てしまったから、抱く恐怖も半減だ。
「はぁ……なんなんだよ、お前」
「よくぞ聞いてくれました! 俺は碧人をこの学園の新しい王子様にプロデュースする男だ!」
「意味分からん。とにかく、今見たことは忘れろ。もし他言したらどうなるか分かってるだろうな」
碧人が握りしめた拳を蛍のほっぺたに押しつけてくる。その大きな拳はごつごつしていて、皮がたこのように分厚くてざらついていた。もしかして殴りだことやらかもしれない、と脳裏によぎる。でも、碧人は問答無用で殴ってきたりしないのだ。それがより蛍を嬉しくさせてくる。
「言わないって。子猫とじゃれあって、溶けるような顔してたなんて」
「こんのやろう」
「あだだだだだ」
殴ってこない代わりに、ほっぺたに押しつけた拳に力を入れてぐりぐりとスクリューしてくる。
「分かった、分かったから。子猫にデレてたことは他言しない。でもさ、その代わりに俺の話もきいてくれない?」
「……嫌だ」
「じゃあデレ顔写真流出しちゃうかもぉ」
「クソが」
「お。じゃあ話聞いてくれる?」
蛍は期待に満ちた目で碧人と見上げる。男の上目遣いなど気色悪いだろうが、構ってられない。
「……仕方ねえな。聞くだけは聞いてやる」
「やった。じゃあ今日の放課後、またここに集合な」
「集合しても良いが、今日は用事がある」
「そうなの?」
首を傾げつつ、蛍は了承した。聞いてくれるなら何でもいいのだ。