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第2章④


「幸太、おーっす」


 蛍はB組を覗きに来ていた。いつも昼休みになると碧人は旧校舎に来るのだが、今日は蛍が弁当を食べ終わってもまだ姿を現さなかったのだ。もう昼休みも半分が過ぎようとしているので、気になって様子を見に来たというわけだ。


「ホタルが昼休みに来るの久しぶりだな」

「おう。な、碧人は?」


 碧人は幸太の後ろの席のはずだが、もぬけの殻だ。


「桐生はあそこ」


 幸太は教室の後ろの方を指さした。すると、女子生徒に囲まれた碧人がいるではないか。


「何あれ」

「質問攻めにあってる」

「まじか」

「今までほぼ話したことがないヤンキーが、いきなりイケメンにイメチェンしたもんだから、女子達は興味津々なわけよ」

「つまり、モテているということ?」


 ごくりと息をのみながら尋ねる。


「まぁ、ざっくりと言えばそうなんじゃね。俺は正直、桐生を新しい王子にすると言いだしたときは、本気でホタルは馬鹿だなと思ってたけど、訂正するわ。お前の慧眼はすげえよ」

「もっと褒めてくれて良いんだぜ」


 幸太の讃辞に蛍は胸を張る。誰もが気付かなかった怖い奴を、王子候補に見いだしたのは自分だ。誇らしくてたまらない。

 そのはずなのに、女子生徒に囲まれて、困惑しながらもちゃんと返事をしている碧人を見ていると、もやもやとした何とも言えない気持ちがわき上がってくる。

 碧人が蛍に気が付き、軽く片手を上げてくれた。その仕草に、蛍の中のもやもやが風に吹かれて散っていく。


「ホタル、家で何かあっただろ」


 幸太がこちらを見ることなく、参考書をめくりながら聞いてきた。


「え?」

「目元が赤い」


 ちらりと蛍を見てきたが、幸太の視線はすぐに机の上の参考書に戻る。


「あぁ、バレた? 久しぶりに兄ちゃんのスイッチ入っちゃったんだ」


 幸太にはいつも気付かれるのだ。隠せていると思っていたのに、やはり幼馴染みだけはある。


「……大丈夫か?」


 小学3年のとき、学校内で柊に詰め寄られているところを幸太に見られたことがある。普段と様子が全く違う弱々しい自分を見られて、幻滅されたんじゃないかと怖くなった。けれど、幸太は変わらない態度で接してくれたから、安堵したことを覚えている。


「へへ、大丈夫だって。こうして今日も笑顔で登校してるだろ」

「まあな。ホタルは内弁慶ならぬ外弁慶だからな。家だと言いたいこと何も言えないくせに、学校だとべらべらとうるさいくらいだ。変な奴だよ、本当」

「バランス取れてるんだからいいんだよ。それよりあれ、碧人なんか困ってないか?」

「ん? 確かに」

「俺、ちょっと行ってくるな」


 蛍は碧人を取り囲む女子生徒達の輪に向かう。


「杉原くん、良いところに来た。杉原くんからも説得してよ」


 輪の中の女子が興奮気味にしゃべりかけてくる。


「なんの話してんの?」

「桐生くんは、文化祭のミスコンに出たら良いと思って」


 この高校では、かつて女子を対象としたミスコンテストをしていたらしいのだが、女子の容姿に順位を付けるのは如何なものかという批判が出て、ここ数年開催されていないと聞いている。今年は数年ぶりにやるということなのだろうか。


「でも、碧人が美形だからって、女装は似合わなくない?」

「違う違う。杉原くん知らないの? 今年の文化祭、女子じゃなくて男子のミスターコンテストをやるんだって」


 女子でも男子でも、容姿に順位を付けるのはどうなんだろうかと思わなくもないけれど。

 蛍は風が吹いてきたのを感じた。これだ!


「いいじゃん。出ようよ碧人」

「えぇ……、人前に出るの嫌なんだけど」

「何言ってんだよ。これで一位になれば、学園の王子様はお前じゃん」


 兄の柊が居座っている『王子様』の地位を、これほど分かりやすく奪い取れる機会などないだろう。

 蛍の言葉に、まわりの女子達もやりなよと騒ぎ出す。


「えー、ここまで大ごとになると思ってなかった」


 思わずこぼれ出た碧人の本音に、少し良心が痛む。きっとそうなのだろうなと思った。碧人は蛍に少し協力してやるかくらいの気持ちだったのだろうから。


「お願い! 出てくれるだけで良いから。手続きとか準備とか全部俺がやるし」


 手を合わせて頼み込む。それでも、碧人の渋い表情は変わらない。まわりを囲む女子達も蛍の後押しをしてくれているが、まったく効果が現れない。


「出てくれたら、何でも言うこと聞くから。一生のお願い!」


 もうこなったら小学生レベルの駄々をこねるしかない。内心、恥ずかしさはあったが勢いで言い切った。

 すると、碧人の表情が少し和らいだ。口元をもごもごとしている。もしや笑いそうになるのをおさえているのではないだろうか。

 高校生にもなって、必死に『一生のお願い』とか言ってる蛍を見てツボったに違いない。これは一気にたたみかけたら碧人も折れる。そう感じて、重ねて言い募ろうと口を開き掛けた瞬間だった。


「へぇ、愉しそうな話をしているね」


 そこに、思いもかけぬ声が割り込んできた。蛍にとっては嫌というほど聞き覚えのある声だ。


「……兄ちゃん?」


 途端に教室内に歓声が上がる。

 一年生にとって三年生の柊は遠くから見る存在だ。それが目の前に現れたのだから興奮するのも分かる。蛍とて、いるはずのない柊の姿に心臓が飛び出そうなくらいドキドキした。興奮と言うよりは恐怖でだけれど。


「蛍に会いに来たんだけど、自分の教室にいなかったから。もしかしたらここかなと思って来てみたんだ」


 穏やかな笑みを崩すこと無く、蛍に語りかけてくる。周囲から見たら優しい兄そのものに映るだろう。でも、昨日の今日だ。蛍にとっては、まだ生々しい恐怖が脳裏にこびり付いている。


 表情は変えるな。笑え。笑みを貼り付けてろ。

 自分自身に必死に言い聞かせる。きっと表情は取り繕えているはずだ。でも、どうしても手の震えが止められない。

 どうして一年の教室なんかに来たのだ。昨日、蛍が反抗したから様子を見に来たのか?


「何か用? わざわざ一年の教室まで来るなんて」

「あぁ、そうだね。ちょっと蛍がどんな様子で過ごしているのか気になって……、でも、思ったより楽しそうにしていて驚いたよ。みんな、蛍と仲良くしてくれてありがとう」


 これ見よがしに、柊はまわりに愛想を振りまく。柊の愛想を向けられた女子達は歓声を上げたり、隣同士で手を取り合ったりして大興奮だ。こうやって柊は魅力を最大限に生かし、味方を増やしていく。


「兄ちゃん。あの、家で話を聞くから、もう帰ってよ」


 これ以上、ここにいて欲しくない。早く自分の教室へ戻ってくれと、心底願う。でも、その願いをあざ笑うかのように、柊の興味は蛍に向いていた。


「なに、恥ずかしがってるのかい?」

「そうじゃないよ。ただ、注目を浴びてるのが居たたまれないだけ」

「それを恥ずかしがってるっていうんだろ。本当に蛍は素直じゃないんだから」


 柊はくすくすと笑いをこぼした。その控えめな笑い方に、うっとりと女子達が見とれている。


「あの、杉原くんのお兄さん」


 急に碧人が口を開いた。感情の感じられない、淡々とした口調だった。


「なに? ちなみに僕も『杉原くん』だけどね」

「揚げ足取らないください。じゃあ生徒会長、様子を見に来ただけなら用件は済んだでしょう。そろそろ帰ったらどうですか」

「……へぇ。君、そんな感じかぁ」


 柊の目つきが一瞬だけきつくなる。すぐに元の穏やかなものに戻ってしまったから、他の人は気付いていないだろうが、蛍には分かった。


「どんな感じに受け取ってもらっても構いませんよ」


 柊と碧人がにらみ合っている。が、はた目には美形同士が見つめ合っているように見えるらしく、女子達がまたもや黄色い歓声を上げた。


「そういえばミスコンの話をしていたね。僕にとっては今年が高校最後の文化祭だから、盛り上げたいと思って企画したんだ。君は参加してくれるのかな?」

「……まだ決めてません」

「そっか。企画した以上、責任を持って出場しろと生徒会役員達に言われて、僕は強制的に参加することになってるんだ。蛍はさ、もちろん僕を応援してくれるだろ?」


 碧人に向かっていた視線が、蛍に戻ってきた。


「そ、れは……ええと、あの」

「蛍は僕を選んでくれないの?」


 きゅっと、喉が締まる。

 選びたくない。けど、選ばないと蛍は家の中で孤立した。だから、いつも柊を一番に、最優先に、選んで行動してきた。そのしがらみが、重くのしかかってくる。違うことをするのはとても勇気が要ることだから。失敗したらどうしようと怖い。家の中にいながら透明人間のように扱われるのが辛くて、自分を卑下して兄を優先してきた。そうすれば両親の機嫌は良くなり、一応は蛍も家族として扱ってくれるから。

 体に染み渡った選択の習慣。それでも、今の蛍は碧人を選びたかった。蛍がこの人だと見つけたのだ。彼を新しい王子にしたいと心から思ったのだから。


「俺は――――」


 柊を見上げて、口を開く。でも言葉が出てこない。この意気地なしめと自分で自分を罵倒するが、柊に対しての罵倒は何一つ吐き出せはしない。


「あと一分で予鈴が鳴りますよ」


 蛍の視界に碧人の背中が入り込む。


「……そうだね。さすがに戻るよ」


 まだ何か言いたそうな口調ではあったが、昼休みの時間は終わりを告げようとしている。仕方ないとばかりに肩をすくめ、歓声を上げる女子達に小さく手を振る。去り際まで爽やかな好青年を演出していく姿に、学園の王子と称されるだけはあるなと思ってしまった。

 柊がいなくなった途端に予鈴が鳴る。それと同時に、蛍の手の震えも収まっていた。


「俺もD組戻らなきゃ」


 そうつぶやき、女子達の間を抜けて廊下に出る。すると、碧人に呼びかけられたので振り向くと、彼は心配そうな表情でこちらを見ていた。


「碧人、ありがと」


 碧人が蛍の精神状態に気付いていたのかは分からない。だとしても、柊からの言葉を受けてパニック手前の状況になっていた蛍は助かったのだ。


「別に。それより、ミスコンの件だけど」


 なるほど。嫌がっていたもんなと蛍は納得した。だからわざわざ追いかけてきて、声をかけてきたのだろう。出て欲しいけれど、無理強いするものでもないから。がっかりした表情にならないようにと、慣れ親しんだ笑顔を貼り付ける。


「出てやっても良いぞ」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。だが、脳にやっと言葉の意味が到達すると、貼り付けていた笑顔なんてさっさと剥がれて、驚く素顔が現れてしまう。


「えっ、まじで?」

「気が変わった。お前の一生のお願いをきいてやる」

「本当にいいの? 目立つの嫌なんだろ」

「良いって言ってる。その代わり、俺の言うことを聞け」

「聞く聞く、何でも何個でも言って」

「ミスコン後でいいし、一つだけでいい」

「そうなの? 分かった。ありがとな。じゃあまたあとで!」


 一つどころじゃお礼には足らないくらいなのに、碧人は優しい奴だ。

 柊の強襲に押しつぶされていた心が、あっという間に膨らんでいく。



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