第1章①
※いつもは異世界恋愛ものを掲載しておりますが、この作品はBLジャンルですのでご注意ください。
蛍はうきうきしていたのだ。それは大いなる勘違いだったわけだが。
「だからね、杉原くんのお兄さんを紹介して欲しいなって思って」
目の前のクラスメイトの女子は、そう言って頬を赤らめている。こんな状況でなければ可愛いなと思っただろう。だって、杉原蛍は彼女のことが好きだったから。
明るく楽しい子で、他の男子よりも確実に蛍に対して多く話しかけてきた。そんなの、自分に気があるに違いないって思うだろう。そして、男という生き物は単純だ。己を好いてくれているというだけで、とたんに気になる女の子になってしまう。なおかつ彼女は普通に可愛い。好きになるに決まっている。
だから、話があるから昼休みに中庭に来て欲しいと言われて、告白に違いないと思った。高校一年にして、ついに人生初の彼女が出来るのかと、それはそれは心弾ませていたというのに。
「ええと……紹介は、ちょっと」
「なんでよ。家でクラスメイトの女子が話したいって言ってたよとか、軽く伝えてくれればいいだけじゃん」
「いや、あんまりそういう話は兄ちゃんとしないというか」
「まさか、お兄さんがモテるから僻んでるとかじゃないよね?」
ドキッとした。冷や汗がじわじわとにじみ出してくる。
「違うよ」
「どうかなぁ。だって学園の王子様って呼ばれている生徒会長と、ただの一年男子じゃ天と地ほどの差が出ちゃってるもんね」
「はは……そ、そうだね」
「なによ、その反応。ったく、本当に紹介は無理なの?」
腰に手を当てて、可愛らしく上目遣いに睨んでくる。だが、そんな顔されても蛍は頷くことはできない。
「無理だよ。兄ちゃんとはあんまり会話がないんだ」
「嘘でしょ、まじで無理なやつじゃん。杉原くんと仲良くなればお近づきになれると思ってたのに」
「ご、ごめん」
「まぁ仕方ないか。杉原くんだもんね」
諦めたとばかりの彼女の表情に、胸がちくちくとした。いろんな感情が心を刺してくる。兄への足がかりに利用されたこと。足がかりにはなれずに落胆されたこと。落胆したのに蛍なら仕方ないとあっさり諦められたこと。そして何より、最初から選ばれたのは自分じゃなかったこと。
また選ばれなかったなと、悲しくなる。でも、それは生まれてからずっとだ。今さら傷ついてなんかいられない。
***
残暑の九月、蝉の声がしつこく聞こえてくる。学校内は十月に行われる文化祭が近づいており、どことなく浮ついた雰囲気が漂っていた。そんな空気にあてられて、蛍も女子からの呼び出しにさっきまでは浮ついてたのだ。
「聞いてくれよ! 俺のことを好きだと思ってた女子が、兄ちゃん目当てだったんだ。まじでつらい」
蛍は中肉中背の平均的な背格好で、顔立ちも華やかさはなく平凡な部類だ。不細工ではないのだが、要するに地味なのだ。注意して良く見ると丸く大きめの瞳が目を引くが、実兄が美形すぎるので、どうしても比べられてがっかりされてしまう。そして、学校での言動が陽キャのノリなので、適当に扱っても許される奴だとまわりには思われていた。
「おーよしよし、ホタルは相変わらず不憫なやつだな」
傷心のあまり、B組の幼馴染みである長谷川幸太にすぐ泣きつきに行った。幸太には今までの蛍の選ばれない人生を散々聞いてもらっていて、都度片手間に慰めてもらってきている。
ちなみに蛍は、高校では名字呼びが多いが、小学校、中学校の友人からはホタルと呼ばれていた。
「どうせ俺は選ばれないよ! 中学でサッカー部のレギュラーに選ばれなかった以上につらい」
「サッカーよりも? それは重症だな」
幸太はデカい弁当を食べながら、参考書を読みつつ、蛍にも相づちを返している。数年たったら聖徳太子並に複数同時並行出来るようになるんじゃなかろうか。それくらい出来る奴なのでモテそうなのだが、体格ががっしりして野球部で丸坊主にしているため、お洒落男子とは一線を画しており、女子には恋愛対象にされていないようだ。女子は本当に見る目がないなと思う。
「うそ、それよりはまだましかも」
「どっちなんだよ」
「どっちもショックなんだよ!」
中学で蛍はサッカー部に所属していた。三年のときにはスタメンは無理でもレギュラーにはぎりぎり選ばれていた。地道に練習してきた努力が報われたのだと思って、最後の大会は精一杯頑張ろうと意気込んでいたのに。
顧問の先生に呼び出され『悩んだが、二年の青木をレギュラーに入れることにした。悪いがレギュラーから外れてくれ」と言われた。理由はセンス抜群の青木を大会に出して経験を積ませたいから、だった。
蛍にとっては最後の大会なのだと食い下がってみたが、高校でもサッカー出来るから本当の最後って訳じゃないだろうと軽く流されたのだ。でも、蛍はその後に膝を怪我し、サッカーのような激しいスポーツは出来なくなってしまった。本当にあれが最後の大会だったわけだ。
正直顧問を恨んだが、こういう星の巡りに生きているのだと自分を納得させていた。
「そうだ。たまたま後輩から聞いたんだけど、あのサッカー部の青木って奴、もう三年の四月で部活辞めてたらしいぞ」
「は? 怪我でもしたのか?」
「練習厳しいから嫌になってやめたんだと」
「嘘だろ。なんのために、あいつにレギュラー譲ったと思ってんだ」
聞きたくなかった。ただでさえ落ち込んでたのに、さらに下に突き落とされた気分だ。這い上がるのに十年くらいかかりそうな深さである。
「だよなぁ。本当、蛍ってそういう運の悪さがあるよな。ま、元気出せ。それより俺は今から小テストの勉強するから自分の教室へ帰れ」
「冷てぇ! 傷心の俺をもっと労って」
「だからちゃんと話聞いてやっただろ」
「そうだけど。でも、失恋しただけならまだしも、兄ちゃん目当てで近づかれてたんだぞ。俺の地雷をこれ以上無いほど踏まれているのに」
蛍は大げさに胸を押さえて、これ見よがしに言い募る。
「話は聞いてやるが、それ以上のことは何も出来ない。考えてもみろ、お前の兄貴は学園の王子様だと非公認のファンクラブまであるようなイケメンだぞ。おまけに学力も常に上位をキープし、生徒会長に選ばれるような人望もある。普通にお前じゃ足下にも及ばん」
「くっそ、全部事実だけに言い返せねぇ。でも幼馴染みなら俺をもうちょっと擁護してくれても良いじゃん」
「不憫な奴だなと同情はいつもしてやってるだろ」
「まぁ確かに」
小学校からの付き合いである幸太は、蛍の選ばれないエピソードをこれでもかとリアルタイムに見聞きしている。そのたびに慰めてくれた。雑だけど。でも、親身になりすぎないからこそ、蛍も気軽に吐き出せているので、やはり雑でちょうど良いのだろうと思う。
「そもそもさ、蛍はなんで他の高校を選ばなかったんだ? 兄貴がいるって分かってて入学してるんだから、卒業するまで我慢しろよ」
「俺だって他の高校にしたかったよ。でも、親がここにしろって言うから」
ここは家から通いやすく、大学進学率も良いと兄が選んだ私立高校だった。私立は学費が高そうだし、兄と別の高校にしたかったのもあって、公立に行きたいと親には申し出た。だが、きょうだい割というのがあるらしく、学費は半分で済むから気にするな。むしろいろいろお下がりが使えるから同じ高校に行けと言われてしまったのだ。家の中でのヒエラルキーが最下位の蛍は、黙って言うことを聞くしか出来なかった。
「相変わらず、親に言い返せないのな」
哀れみの籠もった目で幸太が見てくる。その通りだった。蛍は幼い頃から常に親の顔色をうかがって生きてきたから。育児放棄とまではいかないが、兄との対応の差が激しく、いつも布団の中で泣いていた。
親の前でいつも気持ちを押し隠し、笑顔で取り繕っていた。だから、それなりに明るいキャラを学校で演じることはたやすかった。高校のクラスメイトも蛍のことは家でも外でも明るい、真の陽キャだと思っていることだろう。
「俺、大学は絶対に別のとこに行く」
「いいんじゃね。そもそも兄貴とお前じゃ同じランクは無理だろ」
余裕でこの高校に入った兄に対して、蛍はぎりぎりの補欠合格だったのだから、幸太の指摘はもっともだった。
「うっさいぞ。どうせ俺は兄ちゃんに勝てる要素なんて何もないよ! 一生負けて選ばれない人生なんだ」
自分で言っていて悲しくなってきた。
でもあと一年の辛抱だ。今三年生の兄は卒業するから、そうしたらもう二度と同じ場所に通うことはない。家の中は別としても、外での兄の呪縛からは逃れられる。
「でもなぁ、一度くらい兄ちゃんを見かえしたかった」
「まだ間に合うだろ」
「兄ちゃんに勝てるものが何もない」
「まあな」
幸太はあっさりと肯定してくる。
「そこは嘘でも、あるよって言えよ」
「すまんな、俺は正直者なんだ」
「くそ、なんで学園の王子様なんかが俺の兄ちゃんなんだ!」
今までに百万回は思ったであろうことが、口からこぼれる。
「むしろ逆だろ。お前の兄ちゃんが学園の王子様になったんだろ」
「そうか。なら……兄ちゃんを学園の王子様から引きずりおろせばいいんじゃ?」
これはとても良い案なんじゃないだろうか。蛍にとって兄はいつも頭上に輝いて、自分を見下ろしてくる存在だった。それに一矢報いれたら、それは素晴らしいことのように思える。
「おー、がんばれ」
「でも、兄ちゃんに勝てるものが何もない」
しかしすぐに蛍は大前提の壁の大きさに、頭を抱えた。
「なんか会話が回ってね? 同じ台詞聞いたような気がする」
「ひらめいた! 兄ちゃんに変わる王子を育成しよう。んで、兄ちゃんの王子の地位を奪うんだ」
ばっと頭を抱えていた腕を広げる。目の前の幸太は、呆れと笑いと哀れみを混ぜ込んだような変な表情を浮かべていた。
「蛍が王子になるよりは、まだ可能性がある挑戦だな。でも、誰を育成するんだ?」
「えーと…………幸太、王子やってみない?」
恐る恐る言ってみるも、幸太は無表情で参考書に視線を移してしまった。
「無理。俺は野球部が忙しい」
「そこを何とか!」
幸太の両肩を掴んでぐらぐらと揺らす。すると、力が入りすぎて、幸太の後ろの席の机に椅子が当たってしまった。
「あっ、ごめん」
蛍が慌てて謝罪を口にしたと同時に、ふと教室内が妙に静かなことに気付いた。まだ昼休み中のはずなのに、どうして誰もしゃべっていないんだ。
「わりぃ、桐生。起こしちまったか?」
幸太が振り返って、後ろの席の人物に声をかけた。彼は机に突っ伏して寝ていたところを、蛍のせいで起こしてしまったらしい。
「……別に」
恐ろしく低い声で返事があった。しかも、重ためな前髪の間から覗く目にこれでもかと射貫かれ、かなり怖い。ビリッと強い静電気が全身に走ったような感覚に襲われる。心臓が妙な鼓動を刻み始めた。
「ご、ごめんな」
改めて蛍も謝る。だが、彼は無言で立ち上がると、そのまま教室の外へ出て行ってしまった。
その途端、教室内の会話が一気に戻ってきた。どうやら彼はこのクラスで特殊な地位にいるらしい。
「あいつ、名前は何て言うんだ?」
「桐生碧人だよ。いろいろ噂があってみんなちょっと怖がってる」
噂とかよりも、普通に目つきが怖いからじゃないかと思うけれど。背が高いから余計に威圧感があるし。
何故だか、後ろ姿から目が離せなかった。怖いと思うのに気になるのだ。あいつは他の奴らと何かが違う。まるで兄のようなオーラを感じたのだ。
「俺決めた。あいつを王子に育成する」
「はぁ? やめとけ、そういうキャラじゃねえよ」
「幸太はギャップ萌えという言葉を知らんのか。不良が猫を拾うと好感度が爆上がりするだろ。それと同じだ」
幸太に何を言われようが彼を王子にしたい。きっとすごいことを引き起こしてくれそうな予感がするのだ。
「言わんとすることは分かるけど」
「じゃあ、俺桐生を探しに行ってくるな!」
「まぁほどほどに頑張れー」
棒読みの頑張れで送り出された蛍は、意気揚々と桐生の姿を探すのだった。