表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/16

5『オバケと寄り道』

「それにね」


 依咲の声が僅かに下がり、俺は視線を彼女の方へ向けた。


「今見える星は、もうこの世にはないかもしれないんだよ」


「ん? どういうこと?」


 だって今、俺たちの目の前にあるじゃないか。煌々と輝く無数の星々が、先程と変わらずこうして頭上で輝いている。それらがもう無いなんて、俺には少しも理解できなかった。


「私たちが見ている光は、少し前に輝いていた星なんだよ。何年、何百年前に放たれた光が、長い時間をかけて地球に来るの」


 何光年という距離がその差を生み出しているのだろうと、俺はなんとなくそう思った。


「私たちが見てる太陽の光がどのくらい前のものか、和眞には分かる?」


 依咲が俺の方を向いたことで、偶然にも視線がぶつかり合う。俺はそのまま「んー」と唸り、適当に一時間と口にした。太陽の光がいつのものかなんて、考えたことは少しだってない。


「不正解! 正解は約八分」


 依咲は得意げにふふんと鼻を鳴らしながら、俺のことを見下ろしていた。その様子を見ても、馬鹿にされて怒るだとか、当てらてなくて悔しいだとか、そんな感情は一切湧かない。ただ知らなかった知識が増えたことで、「へぇ」と感心してしまう。俺が見ていた太陽の光は、放たれてから八分ほど経ったもの。確かに、その間に太陽が大爆発を起こして消えてしまったら、八分後には太陽そのものがなくなっていることだろう。それと同じことが、他の星でも起きているのかもしれない。そう思うと、今あるものが永久ではないことを改めて実感する。実感した後で、脳内にあり続ける疑問を依咲に投げかけた。


「依咲」


「なぁに?」


「星は、一体どんな原理で光ってるの?」


 教師に投げかけるべき質問を、俺は同い年の依咲にしている。そんな状況がおかしくて、俺はふふっと笑ってしまった。俺よりも、依咲の方が遥かに勉強が出来るんだと思う。たとえ俺が同じ質問を投げかけられても、どうやったって的確な答えを出すことは出来ない。先生に聞けと、携帯で調べろと、そう言ってしまうに違いない、けれど、依咲はそんな俺とは違う。どれだけ幼稚な質問でも、真剣に応えてくれる。何かのラジオ番組で、そんなコーナーがあったような気がする。専門家が子どもの質問に答えるやつ。今の状況は、どこかそんな雰囲気があった。


「確か……爆発してるんだっけ? いや、燃えてるんだったかなぁ」


 依咲は首を左右に動かしながら、記憶を探るように腕組をしている。その様子は、俺の心をいとも簡単に射止めてしまう。好きが口から零れそうになり、俺は慌てて唇をぎゅっと噛みしめた。こんな場所で告白するなんて、なんだか負けたようで嫌だった。どうせなら、身なりをきちんとした上で行いたい。その辺の常識は、いくら無知な俺でもわきまえている。告白するのは、きっと今じゃない。


「正確にはどうだったか、ちょっと忘れちゃった」


 依咲が申し訳なさそうな表情を浮かべるので、俺はふるふると首を横に振った。依咲とこうやって話ができただけで、俺は大満足だった。


「ありがとう、依咲」


「ん? 私何かしたっけ」


 背後に夜空を背負いながら、依咲の髪が夜風によってサァッと揺れる。夜に空を眺めるなんて滅多にしないけれど、たまにはいいもんだな、と一人静かに思う。車の走行音も、人の話し声も、何もかもがシャットアウトされた世界。静かに響く甲高い虫の声と、周囲を飛び回る蛍に囲まれながら、俺は今、非日常を味わっている。穏やかな世界の中にいると、これから先もこの場にいたいと思ってしまう。ここから離れたくないと。依咲とともに留まりたいと。そう願ってしまうのはおかしいのだろうか。


「さ、そろそろ行こっか。帰るのにも時間かかるよぉ」


 子どもを怯えさせるときのように言う依咲は、少しだけ悪い顔に見えた。このまま肝試しをしよう、と言いかねない顔だ。俺は依咲の言葉に瞬時に起き上がり、大きく深呼吸をした。髪から滴り落ちる水滴は首筋を伝い、ぐっしょりと濡れたTシャツへと落ちていく。服のみならず、パンツまで濡れている俺は、帰りをどうするか迷っていた。

 びしょびしょのまま帰るのは気が引けるけれど、あいにく着替えは何ひとつ持っていなかった。幸いだったのは、今が夏だということだ。夜でも十分暑いこの季節は、濡れたものが割と短時間で乾いてしまう。それが今日適用されるかは分からないけれど、家に着くまでに乾くことを祈るとする。俺はザバァという水音を立たせながら、その場に静かに立ち上がった。すると依咲も同じように立ち上がり、川の中央に人影が二つ出来上がる。この場に他の誰かがいたら、きっとオバケに見間違われたことだろう。しかし、そんな心配は少しも必要なかった。この山に、野生動物の他にいるのは俺たちだけだ。多分そうだ。


「なになに~、和眞、もしかして怖いの?」


 揶揄うように言った依咲に、俺は強めに「違うよ!」と言う。オバケなんか居るもんか。俺はもう高校生なんだ。実体のない生物なんか怖くはないし、いざとなったら倒してやる。こういう場面で依咲を守れば、オバケも倒せてアピールもできる。一石二鳥だと思えば、多少の怖さなんか吹っ飛んでしまう。そうだ、俺は強いんだ。


「分かったよ。じゃあ、手つないでてあげる」


 依咲はそう言って、俺に片手を差し出した。俺は少しだけ躊躇ってから、掌の水分を払ってその手を握る。お互いの手はしっかりと湿っていたが、安心感は先程の比ではない。これではどちらが守っているのか分からないけれど、ここは都合よく俺が守っていることにしよう。そうでなくては男が廃る。


「帰ろ~帰ろ~、お家に帰ろ~」


「何それ」


 歌うように言葉を口にした依咲は、俺の発言にイヒヒと笑う。そうしてから「かずま~」と、俺の名前を同じく歌うように口にした。それはまるでミュージカルのようで、不思議な違和感が変に面白かった。


「もしかして気分いいの?」


「どうだろうねぇ。でも今すごく楽しいよ!」


 暗闇でも分かる素敵な笑顔を湛えながら、依咲は水を蹴って歩き出した。俺も水を掻き分けながら、二度と滑らないように気を付ける。けれど、水中の石は思った以上に滑るものが多かった。


「ゆっくり歩くんだよ、危ないからねぇ」


「うん。依咲も気を付けて。結構滑るよ」


 俺たちは二人で声を掛け合いながら川から上がり、雑草の生い茂る暗い道を進んだ。無数に飛んでた蛍の影は、歩みを進めるごとに少なくなっていく。そしてコンクリート敷きの道路に出る頃には、蛍の一匹も見ることはできなくなっていた。生い茂っていた木々が減ったことで、足元にまで月の光が差し込んでくる。太陽の陽射しには劣るけれど、月光も十分明るかった。俺は、どちらかと言えば月光の方が好きだ。趣があって、不必要なものを不用意に映し出さない。見たくないものを見なくていい夜は、俺の心をいかばかりか軽くしてくれる。


「雲が出てきたねぇ」


 依咲は夜空を仰ぎ見ながら、誰に言うでもなく呟いた。確かに、雲量は来たときよりも多いように感じる。辛うじて俺たちの真上は快晴だけれど、少し視線を外せば雲が空を覆う。雨でも降るのかもしれない。


「急いで帰った方がいいかもね」


「そうだねぇ。走る?」


「いや、そんな体力ないよ」


 いくら休んだからと言って、体に溜まった疲労が無くなったわけではない。これからの長い帰路を考えるのであれば、走って体力を減らすべきではないと思う。たとえ雨に降られたとしても、カメのように着実に進むためには体力を残しておきたいのが本音だ。


「じゃあゆっくり帰ろ! 雨が降ったら、どこかで雨宿りすればいいし」


 来たときに見た景色を反対側から見ながら、俺たちはゆっくりとした足取りで坂を下っていく。上りよりも圧倒的に楽な下り坂は、逆に踏ん張っていないと簡単に走れてしまう。こんな急勾配で走ったら、坂を転がり落ちること間違いなしだ。手を繋いでいることもあって、俺が転んだら依咲だって一緒に転んでしまう。それだけはどうやっても避けなければならない。俺は足に力を入れ、坂に負けないように踏ん張った。そのままの状態で坂を下り終えると、缶コーヒーを買った自動販売機が見えてくる。相変わらず煌々と光る自動販売機は、不気味さを一層引き立てる。それに加え明かりに集まった虫たちが周辺にたむろし、近づくことすらも躊躇われた。


「来るときってこんなに虫いたっけ?」


 山の中故にもちろん虫はいたけれど、これほどまでに多かっただろうか。


「空き缶の匂いに集まって来るのかなぁ?」


 缶コーヒーの匂いだけで、周辺の羽虫が集結するだろうか。甘いジュースなら分かるのだが、あのコーヒーは砂糖が一切入っていない。苦いのが好きな虫がいるとでもいうのだろうか。疑問は疑問を呼び、もはやオバケという見えない存在よりも不気味に感じた。俺は依咲とつないだ手を一層強く握り、自動販売機の前を早歩きで通り過ぎる。その様に、俺の僅か後方を歩く依咲はケタケタと笑った。


「虫嫌いなの?」


「好きではないけど、なんかそういう次元じゃないよ。不気味だ」


「気のせいだよぉ」


 間の抜けた依咲の声に、俺の中にあった緊張感が一気に和らいでいくのを感じた。むやみやたらに気を張っているのは疲れるけれど、この場で緩めてしまうと何かが起きてしまうような予感がある。そう。この辺りは、どこか嫌な空気が立ち込めているように感じてならなかった。地縛霊や土地神なんかよりももっと闇を秘めた、得体の知れない悪者が蔓延っているような。いくつもの霊道が折り重なっているような。そんな言い表すことも難しい雰囲気が、俺たち二人をぐるっと取り巻いている。


「大丈夫だよ、和眞には私がいるから」


 俺のものではない別の人間の体温が、俺の体の深い部分をほんのりと温かくしていく。恐怖や不安がいくらかマシになり、俺は早く動かしていた足を僅かに緩める。すると後方を歩いていた依咲と横並びになり、二人揃って同じ速度で再び歩き出した。


「俺は、あんなもの怖くなかったんだ」


「そうなの? 随分早歩きだったけど」


「怖くなんかないよ。だって、俺はもう十七歳なんだから」


「はいはい、分かったよ」


 俺の虚勢に、依咲は呆れたように返事をする。なんだかカッコ悪いけれど、これが俺なのだから仕方がない。怖いものは怖いし、嫌なものは嫌なのだ。俺がもう一度つないだ手をぎゅっと握ると、依咲も同じように握り返してくれた。そこに安心できる誰かが居ることは、案外心強かった。

 俺たちはそのまま前進し続け、右側にあった自動販売機を横目に直線の開けた道に出た。そこは相変わらず街灯のひとつだってないけれど、もう不気味さは感じてはいなかった。俺は来た道を戻ろうと右側に進む。反対に、依咲は左側に進もうと足を伸ばしていた。つないでいた手が突っ張って、そこでようやく行き先が違うことに気づく。


「どこ行くの? 帰るんでしょ?」


「そうだけど、この辺に知り合いの家があるの思い出したの。ちょっと行ってみない?」


「えぇ……、この坂上るってこと?」


「すぐ近くだからさ。ね! 行こうよ」


 その場に立ち止って渋っていると、依咲は俺の返事を待たずに歩き出していく。つないだ手を離そうにも、依咲が強く握っていて離せそうにはなかった。俺は嫌々ながら、依咲の後に続いて足を動かした。行きでしんどい思いをした坂を再び上ることになるなんて、誰が予想していただろうか。少なくとも、俺はもう下り坂を下るだけだと思っていた。依咲の知り合いの家がこんな場所になかったら、今頃は自宅に僅かでも近づいていたことだろう。なんでこんな場所に家を建てたんだ。依咲の知り合いに会ったら文句を言ってやろう。今はそんな感情だけで、この長い坂を上っていた。





「知り合いの家って、一体どこにあるんだよ」


 長い田舎の坂道を、もう随分上ったような気がする。その感覚は気のせいではなく、後ろを振り向けば先程までいた場所が見えなくなっている。曲がりくねった道故にそれは当たり前なのだが、それにしても歩かせ過ぎだと思ってしまう。


「もうちょっとなの! 頑張って、和眞!」


 行き同様に少しも疲労感を滲ませていない依咲は、俺の手を引いてどんどん上っていく。川で休んだはずの足は既にくたくたで、びしょ濡れだった服は乾き始めていた。


「もうちょっとって、さっきも聞いた気がするけど!?」


「気のせいじゃない?」


 俺の悪態をひらりと交わしていく依咲に、俺は僅かな苛立ちを覚えた。そもそも、俺はその知り合いの家に行きたいなんて一言も言ってはいないんだ。どこの誰かも知らない人と会ったって、仕方がないと言えば仕方がない。それに、出会ったばかりの依咲の親族に会うなんて、まだ早いような気がする。急展開にもほどがある。


「あ! あれだよ。知り合いの家見えたよ!」


 依咲が指差す先には、確かに家の屋根が見えている。その家の周辺には、他に住居は見当たらない。あるのは家を取り囲むようにして生える、背の高い木々や草花だけだ。


「本当に住んでるの?」


 ここからでは、家の全貌をはっきりと見ることはできない。けれど、植物に囲まれている家に人間が住んでいるとは思えなかった。それに、この立地は不便極まりないだろう。生活用品が入手できる店までは随分と距離があるし、ご近所さんがいなければお裾分けも期待はできない。厄介な人間関係から解放されるという意味では最高の場所だが、生きていくにはそれも重要なもののひとつだった。


「住んでるはずだよ。まだ生きてるし」


「怖い人だったりしない?」


「そんなに怖くないよ。口数は少ないけど」


 依咲の口からは、安心できるだけの情報は出てこない。怖い人だったらどうしようとか、怒らせてしまったらこうしようとか。俺の脳内はそんなことでいっぱいだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ